アップの多い作品だなあ、と何度も思った。昨夜(10日)、NHK・BSの黒澤明特集で『わが青春に悔いなし』を見ていてのことだ。この映画の中で、お嬢さんだった原節子が生き方に目覚め、自分の意思で、あえて困難と思われる道を歩んでいくのだが、その変化していく様を見せる意味もあるのだろう、節目節目で彼女の顔のアップが現れる。後期の黒澤作品ではアップのカットの印象が薄いので、よけい気になったのかもしれない。
樋口尚文さんの『黒澤明の映画術』(筑摩書房 1999年)は「技術が生み出す映画的なエモーションのみに切り口を絞る」というユニークな黒澤明論だ。その中に「顔と眼」の章があり、この作品での”顔のドラマ”にも言及していて、「顔そのものが持つ名状しがたい衝迫そのものがごろんと投げ出されている」とある。
『わが青春に悔いなし』で、原節子とともに、その顔が強い印象を残すのが、獄死した恋人(藤田進)の母である杉村春子だ。息子のせいで受ける村八分の圧迫に耐えながら、しかし息子を思う気持ちは人一倍で。田んぼで汗を流す杉村の姿は、かつての「日本の母」そのものかもしれない。
中丸美繪さんが書いた伝記『杉村春子 女優として女として』(文藝春秋 2003年)で確認したら、杉村はこの年、木下恵介監督の『大曾根家の朝(あした)』にも出ていて、主人公である母・房子を演じている。ちなみに、昭和21(1946)年の『キネマ旬報』のベスト10では、『わが青春に悔いなし』が2位。1位が『大曾根家の朝』だった。中丸さんによれば、かつて軍国の母を演じた杉村が、いわば「戦後民主主義映画の代表的作品」で評価され、これ以降、数多くの「日本の良心ともいえる、毅然とした理想の母親役」を演じていくことになるのだ。
黒澤監督・黒澤作品に関する書籍は、関連本も含めたらそれこそ山のように出ている。そんな中で、読んでいてゾクゾクしてくるのが脚本家・橋本忍さんの『複眼の映像~私と黒澤明』(文藝春秋 2006年)だ。橋本忍さんは、『羅生門』に始まり『生きる』『七人の侍』『蜘蛛巣城』『隠し砦の三悪人』などの共同脚本家。また、『砂の器』(野村芳太郎監督)などの脚本家・製作者でもある。
この本の面白さは、シナリオ作成という、黒澤映画が生まれる”現場”を垣間見られることだ。黒澤の「テーマは理屈でなく、形の分かるもの、ハッキリ形の見えるもの」といったナマの言葉を知ることができるのが嬉しい。
黒澤監督作品はほとんど見ているが、もちろんリアルタイムで見たのは途中からだ。古い作品は、学生時代、都内にいくつもあった名画座での「黒澤明特集」で少しずつ”補填”していった。当時、銀座並木座でも何本かを見ている。
その並木座が配布していた無料のプログラムのうち、1953年から56年までのものを収録した『復刻版 銀座並木座ウイークリー』(三交社 2007年)を開いてみると、54年に「黒澤明週間」、55年に「黒澤明選集」という特集をやっている。たとえば「選集」では、2週間で「野良犬」「羅生門」「生きる」の3本を見ることができたのだ。しかもスクリーンで! そう、やはり黒澤映画はスクリーンで見たい。
でも、今夜(11日)の『素晴らしき日曜日』も見ちゃうんだろうなあ、きっと。
樋口尚文さんの『黒澤明の映画術』(筑摩書房 1999年)は「技術が生み出す映画的なエモーションのみに切り口を絞る」というユニークな黒澤明論だ。その中に「顔と眼」の章があり、この作品での”顔のドラマ”にも言及していて、「顔そのものが持つ名状しがたい衝迫そのものがごろんと投げ出されている」とある。
黒澤明の映画術樋口 尚文筑摩書房このアイテムの詳細を見る |
『わが青春に悔いなし』で、原節子とともに、その顔が強い印象を残すのが、獄死した恋人(藤田進)の母である杉村春子だ。息子のせいで受ける村八分の圧迫に耐えながら、しかし息子を思う気持ちは人一倍で。田んぼで汗を流す杉村の姿は、かつての「日本の母」そのものかもしれない。
中丸美繪さんが書いた伝記『杉村春子 女優として女として』(文藝春秋 2003年)で確認したら、杉村はこの年、木下恵介監督の『大曾根家の朝(あした)』にも出ていて、主人公である母・房子を演じている。ちなみに、昭和21(1946)年の『キネマ旬報』のベスト10では、『わが青春に悔いなし』が2位。1位が『大曾根家の朝』だった。中丸さんによれば、かつて軍国の母を演じた杉村が、いわば「戦後民主主義映画の代表的作品」で評価され、これ以降、数多くの「日本の良心ともいえる、毅然とした理想の母親役」を演じていくことになるのだ。
杉村春子 女優として、女として (文春文庫)中丸 美繪文藝春秋このアイテムの詳細を見る |
黒澤監督・黒澤作品に関する書籍は、関連本も含めたらそれこそ山のように出ている。そんな中で、読んでいてゾクゾクしてくるのが脚本家・橋本忍さんの『複眼の映像~私と黒澤明』(文藝春秋 2006年)だ。橋本忍さんは、『羅生門』に始まり『生きる』『七人の侍』『蜘蛛巣城』『隠し砦の三悪人』などの共同脚本家。また、『砂の器』(野村芳太郎監督)などの脚本家・製作者でもある。
この本の面白さは、シナリオ作成という、黒澤映画が生まれる”現場”を垣間見られることだ。黒澤の「テーマは理屈でなく、形の分かるもの、ハッキリ形の見えるもの」といったナマの言葉を知ることができるのが嬉しい。
複眼の映像 私と黒澤明橋本 忍文藝春秋このアイテムの詳細を見る |
黒澤監督作品はほとんど見ているが、もちろんリアルタイムで見たのは途中からだ。古い作品は、学生時代、都内にいくつもあった名画座での「黒澤明特集」で少しずつ”補填”していった。当時、銀座並木座でも何本かを見ている。
その並木座が配布していた無料のプログラムのうち、1953年から56年までのものを収録した『復刻版 銀座並木座ウイークリー』(三交社 2007年)を開いてみると、54年に「黒澤明週間」、55年に「黒澤明選集」という特集をやっている。たとえば「選集」では、2週間で「野良犬」「羅生門」「生きる」の3本を見ることができたのだ。しかもスクリーンで! そう、やはり黒澤映画はスクリーンで見たい。
でも、今夜(11日)の『素晴らしき日曜日』も見ちゃうんだろうなあ、きっと。