碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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ケータイを持ったサルは、退化する人間について、札幌で考えた

2008年06月13日 | 本・新聞・雑誌・活字
札幌に来ている。今日13日(金)の午前中に北海道文化放送の「のりゆきのトークDE北海道」、午後は北海道テレビ「イチオシ!」に、ゲスト・コメンテーターとして、それぞれ生出演するためだ。明日の午後には、FMノースウエーブの「ステーション・ドライブ・サタデー」にも出させていただく予定。

どの番組も、この春、勤務する大学が変わるまで、ほぼ毎週、出演させていただいていたので、久しぶりで出演者やスタッフの皆さんに会えるのが楽しみだ。

北海道を離れてから3ヶ月。千歳の空港でも、札幌駅でも、何も考えずに(身体が覚えていて)構内を歩いていることに気づいて、ちょっと嬉しかった。

羽田行きのバス、千歳へ向かう機内、札幌への車内、ずっと読んでいたのが正高信男さんの新著 『ウェブ人間退化論~「社会のIT化」は「サル化」への道!?』(PHP研究所)だ。

昨年末、国内のインターネット利用者が8800万人を越えた。もはや社会に不可欠といえそうだが、その裏で見失った大切なものがあるのではないか、というのがこの本の趣旨だ。著者の正高さんは、『ケータイを持ったサル』で知られる京大教授。ネット万能みたいな現代社会に対する警世のカウンターパンチだ。

正高さんによれば、日本でのケータイメールの異常な普及は世間話をしたいことに起因している。地域、家庭、職場、学校といった現実世界のコミュニティが成立しづらくなったためだ。そこには周囲(世間)から取り残されることへの恐れがある。しかし、メールでの「つながり」や「ヴァーチャルな世間」には、生身の人間同士の触れ合いから生まれる葛藤も成長もない。

また、インターネット掲示板は、ここでしか「心の内」を明かせない人間を増殖させている。公の場で表明することのない本音は、本当の気持ちといえるのか。むしろ「チクリ・いじめ・誹謗中傷」の場としてのうさのほうが勝っていると正高さんはいう。

「携帯をいじる他にやることないのかって、無いよ」とネットに書き込んでいたのは<アキバ通り魔>の加藤容疑者だ。「携帯依存」を自任し、犯行直前までの動きも“実況中継”していた。この事件を解読するヒントも本書の中に散見する。

ウェブ人間退化論―「社会のIT化」は「サル化」への道!?
正高 信男
PHP研究所

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ケータイを持ったサル―「人間らしさ」の崩壊 (中公新書)
正高 信男
中央公論新社

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