碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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ミュージカルの巨匠の人生は、酒とバラの日々だけじゃない

2008年06月27日 | 本・新聞・雑誌・活字
ミュージカルの舞台というものを、あまり見ていない。芝居の中で歌う、というのが何となく不自然な感じがしていたのと、見ていて、なぜか照れくさくなるからだ。それでも、宝塚や劇団四季のものを何本か見ている。

映画となると、また話は別で、嫌いではない。オードリー・ヘプバーンの『マイ・フェア・レディ』(64年)、ジュリー・アンドリュースの『サウンド・オブ・ミュージック』(65年)あたりからは、割と見ているほうだ。『屋根の上のバイオリン弾き』『コーラスライン』『キャバレー』『オール・ザット・ジャズ』『シカゴ』など、どれも映画館で見た。最近のミュージカル映画の中では『オペラ座の怪人』がよかった。DVDはもちろんサントラまで買って、そのCDは今もクルマに置いて聴いている。

しかし、それ以前のミュージカル映画はリアルタイムでは無理。後に名画座やビデオなどで何本か見たが、『踊る大紐育』(49年)『ウエスト・サイド物語』(61年)もそんな作品だ。

津野海太郎さんの新著『ジェローム・ロビンスが死んだ~ミュージカルと赤狩り』(平凡社)は、舞台版『踊る大紐育』や映画『ウエスト・サイド物語』の振付家であるジェローム・ロビンスの人生を追った異色の伝記だ。なぜ異色かといえば、中心テーマが「なぜロビンスは赤狩りのときに仲間を<密告>したのか?」という、津野さんにとっての「謎」を解明することにあるからだ。

同じロビンスの作品でも、『ウエスト・サイド物語』より『踊る大紐育』のほうに思い入れがある津野さん。このミュージカル(原型はバレエ)の舞台、そして映画が生み出されるプロセスを、資料などを元に丹念に追っている。同時に、赤狩り当時の聴聞会で友人知人の名前を挙げる「naming manes」という行為と、ロビンスがユダヤ系移民であること、共産党への入党、同性愛者だったことなどとの関係を探っていく。

読んでいて思うのは、アメリカにおける「赤狩り」が残した”負の遺産”のようなものの深さだ。犠牲となった中に有名な文化人が多かったし、密告された者も、また密告した者も、共に深い傷を負った。これが、その後のアメリカに大きな影を落としたことは否めない。

それにしても、津野さんの、探索のエネルギーというか、執念には頭が下がる。偶然の個人的な<引っかかり>から始まったものが、アメリカ・ミュージカルというピカピカした世界の裏側、影の部分を明らかにしていくのだから。いや、ミュージカルだけではない。アメリカ社会そのものが持つ影を浮き彫りにしている。

2001年9月11日の事件で、アメリカが急激に変化したことを、「あとがき」で津野さんも指摘している。そう、社会の「空気」は一日で変わることがあるのだ。その意味で、「赤狩り」は遠い過去の出来事ではない。見えない右傾化の空気が充満している現在の日本もまた例外ではないのだ。

ジェロームロビンスが死んだ ミュージカルと赤狩り
津野 海太郎
平凡社

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<喫煙コーナー>
8本のタバコで1日過ごせるか、ということになった昨日(26日)。結論からいえば、クリアしてしまった。それも、ごく平常心で、だ。ちょっと出来すぎだと、自分も思う。もっと苦しいとか、禁断症状とかがあるのかな、と予測していのだが、少ない本数を、それなりに配分して吸うことで、イライラもなく1日を終えた。

すごいな、『優しい悪魔』。この小説のディティールが、自然と私を「抑止」しているのを感じる。特に、「肺がん」ばかりを思っていたところに、「喉頭がん」の辛さを教えられたことが大きい。

今日(27日)は、また1本減って、7本が規定本数。勝手に決めて、勝手に実行しているだけで、誰かが見張っているわけでも、規制するわけでもない。けれど、今は「一度、本数ゼロまで行ってみたい」という気持ちだけがある。どんなだろう。憧れみたいなものかな。というわけで、減煙4日目となる6月27日は、タバコ7本の日だ。