碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

テイクアウト・ディナー

2009年08月15日 | 遥か南の島 2009~2012

夕食は、このエリアで一番人気のテイクアウトの店「OKAZUYA(おかずや)」。

毎回、必ず一度は利用する。

名前通り、“ご飯とおかず”のセットメニューが豊富なのだ。

肉、魚、野菜をバランスよく選べる。

店の前のテーブルで食べている一家もあるが、熱いうちに持ち帰り、くつろいで食べるのがベスト。

帰り道の途中で、夕陽が沈んだ。

プールサイドのバーで

2009年08月15日 | 遥か南の島 2009~2012

夕方、プールサイドにあるバーで、ひと休み。

ロケーションもいいし、こんな時、007ジェームズ・ボンドであれば、マティーニなんか注文するところだ。

「ウオッカマティーニを、ステアせず、シェイクで」とか何とか・・・

一番好きなボンドはショーン・コネリーだが、ヘアスタイル以外、そう簡単にマネはできない。

いつも通りのバドワイザーにする。

やはり、美味い。

プールの中の読書

2009年08月15日 | 遥か南の島 2009~2012

なるほど、と思った。

プールの中にデッキチェアを置くとは、確かにアイデアである。

足を水に浸しながら寝転がるのは、なかなかの快感だ。

その体勢のまま、日本より持参の『開高健エッセイ選集 白いページ』(光文社文庫の新刊)を、ひたすら読みふける。

その中に、「読む」と題する文章があった。

モーム、グリーン、そしてイヴリン・ウオーなどに触れながら、ふいに「いま私はサイゴンにいる」と開高さん。

これは73年に書かれたものであり、そこから8年前、つまり65年当時のヴェトナムの回想へと入っていく。

「ワシントンとモスコオとペキンはそれぞれこの国をどう取引しあったのか」という文章からは、開高さんの嘆息が聞こえるようだ。

そして、結びの一行は、どこか今日のような・・・

「空はうるんで、暑くて、青いのだが。」

非テニス少年の憂鬱

2009年08月15日 | 遥か南の島 2009~2012

高校生の頃、同じ中学校出身の同級生が通う女子高の文化祭に行った。

彼女はテニス部に入っており、当日は部としての「発表」を担当していた。

テーマは“テニスの歴史”であり、模造紙に書かれた年表やらを手に持った棒で指しながら、縷々説明をしてくれるのだった。

幾星霜を経て、その内容はまったく記憶にないが、ただ冒頭の言葉だけは覚えている。

「テニスは、そもそも紳士淑女のスポーツでありまして・・・」。

ニキビいっぱいの女子高生が、大真面目な顔で「紳士淑女」と言い放ったのが可笑しくて、つい吹き出してしまった。

それ以来、同じ通学電車に乗り合わせるたび、そっぽを向かれて困った。

何十年かが過ぎても、いまだにテニスは、どこか照れくさい。


パイナップル残影

2009年08月15日 | 遥か南の島 2009~2012

かつては見渡す限りのパイナップル畑だった。

特産物として大いに栄えた。

やがて、畑のあった場所に、広大なリゾートが誕生した。

近年は、残りのパイナップル畑も、ワインのためのブドウやコーヒー豆へと様変わりしつつある。

かくして、パイナップルは往時をしのぶ“象徴”となり、手すりにその姿を留めるのだ。



大仏様に合掌

2009年08月15日 | 遥か南の島 2009~2012

日本は8月15日。

終戦記念日を迎えた。

1945-2009。

遥か南の島で、浄土院の大仏様に合掌する。

旅する青年

2009年08月15日 | 遥か南の島 2009~2012

村上春樹さんの『1Q84』のおかげで、ジョージ・オーウエルの『1984年』まで注目されるようになった。

結構なことです。

こちらの本屋さんで、オーウエルのエッセイ集を発見。

この中に収録されている「私はなぜ書くか」という文章が面白い。

自分は、5歳か6歳の頃から「将来は“物書き”になるんだ」と思っていた、とオーウエルは書いている。

幼少期、父親が仕事の関係で不在となり、母親と過ごしたが、はやり寂しかったようだ。

4歳か5歳で、最初の「詩」を書いた。

そして、いつも自分が生み出した“想像上の人物”と会話をしていたという。

エッセイには、この後、16歳の頃に知った言葉の面白さのこと、スペイン市民戦争当時のことなどが述べられ、終わり近くに、こんな一文がある。

「一冊の本を書くというのは、恐ろしいことであり、心身ともにへとへとになるほどの苦労であり、辛い病気みたいなものだ」

これが書かれたのは1946年であり、3年後に世に出る『1984年』はまだ完成していない。

オーウエルが亡くなるのは、『1984年』が出版された翌年、1950年のことだ。まだ46歳だった。

ペーパーバックの表紙になっている写真は、1928年のマラケシュで撮られたものだ。

旅する青年、25歳のジョージ・オーウエルである。

机に向って何を書いているんだろう。

そんな彼に言ってあげたくなる。

20年後、君は傑作を書く。そして80年後も、その小説は、極東の島国で”平積み”になっているよ、と。

本日も晴天

2009年08月15日 | 遥か南の島 2009~2012

自然に目が覚めた。

昨夜は目覚まし時計をセットせずに寝た。

だから、その音で起きることもなかった。

しかも晴天。

これだけで、十分シアワセだったりする。