数学者の藤原正彦さんが『週刊新潮』で連載しているコラム「管見妄語」。
今週号のお題は「国民の目線」だ。
かつての自民党政権も、現在の民主党政権も、「国民の目線に立つ政治」を標榜しているが、それは危険だ、と藤原さんはいう。
ヒットラーも、ブッシュも、小泉政権も、いずれも当時の国民の大きな支持を得ていた。そして、国民の目線に立った政治を行い、国家に災禍をもたらしたではないか、と。
藤原さんによれば、国民の目線とは「国民の平均値」であり、平均値による国家運営は危うい。
さらに、こんな記述が続く・・・
本を読まない国民の目線とはテレビのワイドショーの意見と言ってよい。彼等は視聴率を上げるため国民の安直な正義感に迎合し、また「平和と民主主義」を居丈高にふりかざし、その方向に国民を誘導している。国民の軽躁を叱り飛ばすような発言はテレビに存在しない。
政治家の役割は国民の目線に立ったり、その意見を拝聴することではない。国民の深い悩みやそこはかとない不安などを洞察し、それらに機敏に手を打ち、また大局観に立って人類の平和を希求し、国家と国民を安寧に導くことである。
・・・「国民の軽躁(落ち着かず、騒ぎ立てる)を叱り飛ばすような発言はテレビに存在しない」とは手厳しい意見だし、これに対する異論、反論は多々あるかもしれない。
しかし、国民の目線を「視聴者目線」と言い換えると、現在のテレビのある側面をついている。
テレビは、あれもこれも「(送り手側が考えるところの)視聴者目線」でいいのか、と問われているように思うのだ。