篠田正浩監督とさせていただいた、「夏目雅子」をめぐる対談。
発売中の『週刊現代』(7月21・28日号)に掲載されました。
「熱討スタジアム」という4ページの記事です。
篠田監督が語って下さった、「瀬戸内野球少年団」撮影現場でのエピソードを、こうして活字で読んでみて、あらためて夏目雅子という女優さんの魅力を再認識しました。
監督に感謝し、夏目さんに合掌です。
夏目雅子の『瀬戸内少年野球団』を語ろう
「伝説の女優」という表現は、なぜか似合わない。それは人々の記憶に残る彼女の姿が鮮烈すぎて、伝説と呼ぶにはあまりに生き生きしているからなんだろう。
篠田 僕が夏目君を撮ったのは、'84年公開の『瀬戸内少年野球団』だけです。残念ながら、それが彼女の遺作になりました。たった一本しか付き合えなかったけれど、夏目君との仕事は、何本も撮ったような気持ちにさせてくれました。
碓井 亡くなる約1年前、彼女が26歳の時ですね。
篠田 撮影は'83年4月から1年間。四季の移り変わりに合わせ、スタッフとキャストがロケ地である瀬戸内海の真鍋島に通いました。
ある日、我々一行が泊まっていた宿屋で一番風呂に入ると、隣の女風呂に野球団員役の男の子たちがガヤガヤと入っていく。すると「前を隠すんじゃないの」という女性の声がする。夏目君でした。親元を離れていた子供たちと一緒に風呂に入ってあげていたんです。役柄は主人公で小学校教師の駒子先生でしたが、役を離れても子供たちの面倒をよく見てくれました。
碓井 私は'93年にフジテレビで放送されたドキュメンタリードラマ『夏目雅子物語』を作るため、彼女の生涯を取材しました。女優がスクリーン上と現実で違うのは当たり前なんですが、彼女には落差が感じられず、仕事と実生活のどちらも応援したくなるような女性でした。
篠田 きれいな女優はいっぱいいますし、演技のうまい人もいますが、女優の命はもう一つ違うところにあるような気がします。知性でもなければ、教養でもない何か。それを夏目君は持っていた。
碓井 品位みたいなものでしょうか。確かに彼女は特別な何かを持っていました。
篠田 撮影中にはこんなこともありました。ある朝、助監督がやってきて、「監督、夏目さんにお礼をしてください」と言う。「なぜだ?」と尋ねると、島外から呼んだエキストラの泊まる部屋が足りず、スタッフが困っていると、夏目君が「女のエキストラさんは私が全部引き受けるわよ」と声を掛けてくれたというんです。結局、彼女は十数人のエキストラと一晩中酒盛り。最後は全員が夏目君の部屋で雑魚寝です。「この人は相当、公平な心を持っているなぁ」と感心したことをおぼえています。
碓井 彼女について、数多くの人から話を聞きましたが、感じたのは夏目雅子という女優は多分、素のままで愛される女優さんだったということです。
・・・・続きは「週刊現代」で、ぜひ!(笑)。




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