東京新聞に連載している「言いたい放談」。
今回は、直前に迫ったロンドン五輪開会式をめぐる内容です。
アトランタからロンドンへ
一九九六年七月十九日、私は米国アトランタのスタジアムにいた。二年後に迫った長野五輪開会式の制作に携わっており、浅利慶太さん率いるプロデューサーチームとアトランタ五輪の開会式を視察に来ていたのだ。
真夏のアトランタは蒸し暑い。夜になり、開会式が始まっても気温は下がらない。汗だくのまま観客席にいる私たちの目の前では、まるでラスベガスのショーのような、やかなアトラクションが延々と繰り広げられていた。その間、場外で待たされたのは各国の選手たちだ。
数時間が過ぎて、照明が変わった。スタジアムの上段とトラックをつなげた巨大なスロープを選手たちが降りてくる。ようやく“本編”の始まりだった。
帰国後、最初の会議で萩元晴彦シニア・プロデューサーが言った。「開会式の主役は選手たちです。観客を楽しませることが目的ではありません」。
本来、オリンピックの開会式で行うべきことは二つだ。一つは世界から集まってくれた選手を迎えること。次が国家元首による開会宣言。派手で豪華な「アトラクション」は何ら本質的なものではない。
ただし、巨大なテレビイベントとしての開会式、世界に配信されるメディアコンテンツとしての開会式には不可欠なものとなっている。果たしてロンドン五輪の開会式は何を見せてくれるのだろう。
(東京新聞 2012.07.26)