碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

札幌で、ジョーンズ博士と19年ぶりの再会

2008年06月15日 | 映画・ビデオ・映像
14日(土)朝、早起きして札幌の映画館に駆けつけ、『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』を見た。公開は21日からだが、14、15日は先行上映があったのだ。で、日本での上映第1回目を目指し(何でそこまでと笑われそうだが)、朝の札幌の街を映画館に向かって走った。

正直言って、約20年ぶりで、スクリーンで、映画「インディ・ジョーンズ」が見られる・・それだけで嬉しかった。そりゃ、ハリソン・フォードだって還暦を過ぎてだいぶたつんだから、普通は無理だよ。でも、設定を1957年にして、インディも57歳。「若いころみたいにはいかないけどさ」ってことは本人も分かっているし、観客も理解していて、それでもやっぱりあのテーマ曲が流れるとわくわくする。

以前の3部作では、ナチスが好敵手みたいだったが、「もはや戦後ではない」って時代の話でもあり、今回はソ連のKGBだ。かつての「007」みたい。でも、申し訳ないけど、「敵として、ちょっと小振りじゃないの?」って気がした。

例によって世界各地を”転戦”して歩く。アクションの見せ場もある。ハリソン・フォードもよくやっている。とはいえ、1本目の「失われたアーク」が81年で、実に27年前だ。当時の元気いっぱいのインディを求めるのはきつい。もちろん、求めないけど。

そうそう、1本目のヒロイン、マリオンを演じたカレン・アレンが、そのままの役で再登場。こういうのも、「わけあり」のストーリーも含め、懐かしく、楽しい。

まあ、それよりも、今回びっくりしたのは、肝心のクリスタル・スカルの謎、もしくは正体についてだ。「おお、ついに、そうきたか」という感慨(?)もあり、映画館の暗闇の中で、「うーん」と唸ったね。

『寅さん』『ロッキー』『ランボー』、そして『インディ・ジョーンズ』。『007』シリーズみたいに主人公を演じる役者そのものを代えながら続けるならともかく、一人の俳優が何十年にもわたって同じ人物を演じていくのは大変なことだし、幕引きだってすごく難しい。

「インディ」も、これでひとまず、おつかれさんってことだろう。そう思いながら見ていたので、上映終了時は、こころの中で「ジョーンズ博士、おつかれさま」の拍手。

帰りがけ、売店でパンフレットを購入。ふと見ると、ガラスケースの中に、大判の『メイキング・オブ・インディ・ジョーンズ ~全映画の知られざる舞台裏』を発見。結構いいお値段だったが、ついつい・・・

メイキング・オブ・インディ・ジョーンズ -全映画の知られざる舞台裏- (LUCAS BOOKS)
ジョナサン・W・リンズラー/ローレン・ボザロー
小学館プロダクション

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インディ・ジョーンズクリスタル・スカルの王国 (ハヤカワ文庫 NV イ 4-4) (ハヤカワ文庫 NV イ 4-4)
ジェイムズ・ローリンズ
早川書房

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大学のある町には、必ずいい古本屋さんがある。北海道大学のある札幌もまた然りだ。久しぶりで何軒かを回る。中でも、いきつけにしてお気に入りは、ススキノの石川書店だ。本日の大収穫は、小樽出身の伊藤整『変容』(新潮社)。昭和45年の初版が、何と「100円均一」のワゴンの中にあった。嬉しいねえ。この100円ワゴンでは、他に武田徹さんの『若者はなぜ「繋がり」たがるのか』(PHP研究所)、チャールズ・ヤン『広告の科学~その知識と戦略』(中公新書)などを発見。そして野島千恵子さんの『駒田信二の小説教室』を600円で入手した。満足、満足。

その後、FMノースウエーブの「ステーション・ドライブ・サタデー」で、ヒロ福地さん、ケイコさんと共に、「なんてったって大人塾」特別編を生放送。話題は近況から、見てきたばかりの映画のこと、本の紹介などなどで、あっという間だった。終了後は、プロデューサー氏の愛車シトロエンC5(マイルドな乗り心地が気持ちいい)で、札幌から新千歳空港まで送ってくださった。夜の便の機内ではぐっすり。

ケータイを持ったサルは、退化する人間について、札幌で考えた

2008年06月13日 | 本・新聞・雑誌・活字
札幌に来ている。今日13日(金)の午前中に北海道文化放送の「のりゆきのトークDE北海道」、午後は北海道テレビ「イチオシ!」に、ゲスト・コメンテーターとして、それぞれ生出演するためだ。明日の午後には、FMノースウエーブの「ステーション・ドライブ・サタデー」にも出させていただく予定。

どの番組も、この春、勤務する大学が変わるまで、ほぼ毎週、出演させていただいていたので、久しぶりで出演者やスタッフの皆さんに会えるのが楽しみだ。

北海道を離れてから3ヶ月。千歳の空港でも、札幌駅でも、何も考えずに(身体が覚えていて)構内を歩いていることに気づいて、ちょっと嬉しかった。

羽田行きのバス、千歳へ向かう機内、札幌への車内、ずっと読んでいたのが正高信男さんの新著 『ウェブ人間退化論~「社会のIT化」は「サル化」への道!?』(PHP研究所)だ。

昨年末、国内のインターネット利用者が8800万人を越えた。もはや社会に不可欠といえそうだが、その裏で見失った大切なものがあるのではないか、というのがこの本の趣旨だ。著者の正高さんは、『ケータイを持ったサル』で知られる京大教授。ネット万能みたいな現代社会に対する警世のカウンターパンチだ。

正高さんによれば、日本でのケータイメールの異常な普及は世間話をしたいことに起因している。地域、家庭、職場、学校といった現実世界のコミュニティが成立しづらくなったためだ。そこには周囲(世間)から取り残されることへの恐れがある。しかし、メールでの「つながり」や「ヴァーチャルな世間」には、生身の人間同士の触れ合いから生まれる葛藤も成長もない。

また、インターネット掲示板は、ここでしか「心の内」を明かせない人間を増殖させている。公の場で表明することのない本音は、本当の気持ちといえるのか。むしろ「チクリ・いじめ・誹謗中傷」の場としてのうさのほうが勝っていると正高さんはいう。

「携帯をいじる他にやることないのかって、無いよ」とネットに書き込んでいたのは<アキバ通り魔>の加藤容疑者だ。「携帯依存」を自任し、犯行直前までの動きも“実況中継”していた。この事件を解読するヒントも本書の中に散見する。

ウェブ人間退化論―「社会のIT化」は「サル化」への道!?
正高 信男
PHP研究所

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ケータイを持ったサル―「人間らしさ」の崩壊 (中公新書)
正高 信男
中央公論新社

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本物の女優は、男でも女でもない、まったく別の生き物なのだ

2008年06月12日 | 本・新聞・雑誌・活字
浅丘ルリ子のことを、まったく知らなかった。というか、どんな人生を歩んできたのかを知らなかったのだ。

昭和30年代半ば。私が保育園児だった頃、浅丘ルリ子はすでにスターだった。近所の映画館「東座」の拡声器からは、毎日、石原裕次郎が主演する日活映画の主題歌が流れていた。聞こえてくる主題歌が変われば、また新作の上映が始まったという合図だった。東座の建物には巨大な看板がかかり、記憶の中では、裕次郎と共に、いつもヒロイン・浅丘ルリ子の顔があった。

林真理子さんの新作『RURIKO』は、「評伝」ではない。浅丘ルリ子を主人公としたノンフィクション小説だ。本の末尾にも「著者の取材に基づいて、実在の人物をモデルに書かれたフィクションです」とある。しかし、これは紛れもなく女優・浅丘ルリ子の人生の物語だ。

戦争末期の満州。国務院の役人だった浅井源二郎は、娘の信子について、満映理事長・甘粕正彦からこう言われる。「信子ちゃんは近い将来、とてつもない美女になるはずです。そうしたらぜひ女優にしてください」と。甘粕の目は正しかった。

この本では、女優・浅丘ルリ子の歩みはもちろん、一人の女としての軌跡も語られる。最初の恋、不倫の愛、結婚、別れ、そして常に胸の奥にある一人の男への想い・・。

こう書けば、まるでどろどろした恋愛模様をイメージするが、浅丘ルリ子の場合は違っている。それは、彼女の中に強い執着心がないからだ。いや、ないのではない。お金も、着るものも、宝石も、男に対してさえも、執着を持つことは、みっともないことだと信じているのだ。もはやそれは美学といえる。ただし、例外があり、それがたった一人の男だった。

浅丘ルリ子は今も美しい。年齢など超越している美しさだ。私見だが、人類には3種類ある。男と、女と、そして女優だ。本物の女優は、単なる女ではなく(もちろん男でもなく)、まったく別の生き物である。ドラマの制作現場で接してきた女優さんたちから学んだことだ。秋山庄太郎さんが撮った本のカバー写真を見ながら、そんなことを思い出した。

RURIKO
林 真理子
角川グループパブリッシング

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確かに、ラクをしないと成果は出ない(かもしれない)

2008年06月11日 | 本・新聞・雑誌・活字
突然だけど、ボーリングというのは、今、どんな位置にいるんだろう。大流行中とは聞かないけど、それなりにお客さんはいるんだろうか。というのは、本当に久しぶりでボーリングをしたのだ。

東京工科大の八王子キャンパスには、何とボーリング場がある。郊外型キャンパスだから、近くに遊び場はない。それで、創立時に学生さんのためにと造ったらしい。

で、せっかくある施設なんだから使ってみようってんで、担当するフレッシャーズ・ゼミの1年生13人と一緒にボーリング、というわけだ。2ゲームやって、1人500円。最初のスコアは出来すぎの140。2ゲーム目はぼろぼろの70台でありました。たまには、教室だけじゃなく、こうしてみんなでワイワイと身体を動かすのも悪くないと、あらためて実感した。


さてさて、『偽善系』『売文生活』の日垣隆さんが<ビジネス書>を書いた。『ラクをしないと成果は出ない』(大和書房)である。とはいえ、曲者である日垣さんのこと、本屋さんで目次だけ立ち読みすればOK、みたいな代物ではない。

ここには「仕事の鉄則」が100項目も載っている。例によって、歯切れのいい文章で、まず各項目のポイントが簡潔に述べられる。「気になったら、まず買う」「出欠を迷うイベントには行かない」「アウトプットしないものはインプットしない」等々。続いて、その理由、根拠、実例が語られる。これがまた読めば納得の論理で実に気持いい。「そうか」「やってみるか」と素直に思えるのだ。

日垣さんのいう「ラク」は、手を抜くとかではなくて、「成果を上げるための方法」や「仕事のルール」を学んで、仕事を合理的に進めようというものだ。もちろん、この本の中の「鉄則」で、人によってマッチするもの、ヒットするところが違うかもしれないが、少なくとも私は定価1500円(税込み)に見合うヒントをいくつも手に入れた。

中でも「鉄則」NO.93が好きだなあ。いわく「昨日と違う今日、今月と違う来月、来年と違う再来年にする」。

ラクをしないと成果は出ない
日垣 隆
大和書房

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偽善系―正義の味方に御用心! (文春文庫)
日垣 隆
文藝春秋

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売文生活 (ちくま新書)
日垣 隆
筑摩書房

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秋葉原無差別殺傷事件と<沈黙の殺人者>

2008年06月10日 | 本・新聞・雑誌・活字
秋葉原の無差別殺人。驚くべき事件であるのに、とんでもない事件であるのに、一方で、あまり驚いていないことに、驚く。なんて言えばいいのか。今や、この国では「あり得ないこと」など無くなってしまったし、「あってはならないこと」も当たり前のように有る、という社会に突入してしまったのだと思う。たぶんオウムの地下鉄サリン事件あたりからだが、「人間が人間に対して行えるはずのないこと」が行われるようになってしまった。宮台真治さんのいう「社会の底が抜けた」状態が、ずっと続いているのだ。

また、今回の事件が「アキバ」という、日本の「いま」を象徴する場所で起きたことも、犯人が所属していた派遣会社に近いといった理由以外に、大きな意味を持つように思う。事件現場を報道する写真や映像に写りこんでいる「通行人」たちの様子。被害者たちを、単に眺めているだけでなく、ケータイのカメラを向けている姿や、現場を見ながら普通に歩いていく姿には、なんともいえない違和感、もしくは事件そのものとは別の恐怖のようなものを感じたのが正直なところだ。

昨日から読んでいたのは、偶然「キラー(殺人者)」の文字がタイトルに入った結城五郎さんの新作『サイレント・キラー』(角川春樹事務所)。

サントリーミステリー大賞受賞作『心室細動』をはじめ医療ミステリーに定評のある結城さん。これもまた、医師としての体験と知識をベースにして書き下ろされた迫真の長編小説だ。

事件はいきなり始まる。私立病院の勤務医・楠木真史が失踪して一週間が過ぎたある夜、心配する妻・志乃のもとに電話が入る。相手は女性で、真史は何者かに拉致された、さらに事の次第を直接伝えるので会いたいと言う。翌日、指定の場所へと向かった志乃だが、そのまま行方不明となる。夫婦ともに消えてしまったわけだ。

しかし、警察は事件として扱ってくれない。志乃の弟で医師の耕平が自ら調べ始めるが、困難を極める。やがて真史の勤務先に手がかりがあると考えた耕平は、その病院に転職することで真相を探ろうと決意する。

赴任してみた病院では、複数の患者の不審死が起きていた。さらに、看護師の失踪までも。謎が深まる中、耕平は義兄が残した「サイレント・キラー(沈黙の殺人者)」の走り書きを見つける。それが意味するものは一体何なのか。真史と志乃はどこにいて、どうしているのか。自らの身の危険も感じながら、耕平は命を救うはずの医療の暗部へ、そして事件の核心へと確実に迫っていく・・。

サイレント・キラー
結城 五郎
角川春樹事務所

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本日はJAZZ本

2008年06月09日 | 本・新聞・雑誌・活字
このブログのデザインを変えてみた。ほんの気まぐれ、気分転換だ。デザインというのは恐い。雰囲気が、これだけ変化してしまう。

基本的にモダンジャズが好きなので、ジャズの新譜をあまり買わない。でも、ジャズの本は買ってしまう。最近入手したのは、小川隆夫さんの新著『ジャズ楽屋噺―愛しきジャズマンたち』。

小川さんの本は結構本棚にある。まず経歴が面白い。東京医科大を出ていて、ニューヨークに行って、向こうのジャズマンたちと交流して、評論を書き、インタビューをして、プロデュースもしてしまう。この本もそうだが、何より、本物・実物と接してきたことが羨ましいし、書かれたものにも説得力がある。というか、とにかくジャズが好きなんだなあ、ということが伝わってくるのだ。

ジャズ楽屋噺―愛しきジャズマンたち
小川 隆夫
東京キララ社

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それから、昨年の暮れに購入して、ときどきパラパラとページをめくるのが、後藤雅洋さんの『ジャズ喫茶 四谷「いーぐる」の100枚』だ。

マイルス、コルトレーン、ビル・エヴァンスなど、自分の好きなアーティストのアルバムについて、「ふーん、こういう聴き方するんだ」「こんな意味があったのかあ」などと再発見できて嬉しくなる。聴いても、読んでも、JAZZは楽しいのだ。


ジャズ喫茶 四谷「いーぐる」の100枚 (集英社新書 421F) (集英社新書 421F)
後藤 雅洋
集英社

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名古屋の焼きそばと、ミステリートレイン型エッセイ

2008年06月08日 | 本・新聞・雑誌・活字
名古屋の中京大学でマスコミ学会春季研究発表大会。新横浜から名古屋までって、「のぞみ」ならわずか1時間20分だ。すごいねえ、って今ごろ感動してるのもヘンだが、とにかく速い。名古屋駅から地下鉄東山線で伏見まで行き、鶴舞線に乗り換えて八事駅下車。地下鉄の駅から地上に出ると、まんま中京大の校舎だった。

車中では、ひたすら丸谷才一さんの新刊エッセイ集『月とメロン』を読み続ける。

前から思っていたんだけど、丸谷さんのエッセイの楽しさって、ミステリートレインに似てるんじゃないかな。行き先を伏せたまま出発する、あのお楽しみ列車だ。乗客は、見知らぬ風景の中をわくわくしながら走り、気がつけば思いもせぬ場所にまで到達している。この本の中のエッセイでも、バンドネオンと「新宿鮫」と巌流島がいつの間にかつながってしまう。あちらと思えば、またこちら。知的遊戯にノセられて味わう知的快楽。ちょっとした”精神のゼイタク”でもある。やはり名人芸なんだよなあ。

月とメロン
丸谷 才一
文藝春秋

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中京大に着いて、まずは腹ごしらえと思い、近くの喫茶店に入る。この店を36年やってる(と後で分かった)オカミサンは、テーブル席についた私に、いきなり聞いたね。

「お客さん、日本人?」
「え? はい、そうです」(どういう意味?)
「そ、ならいい」
「・・・・」(何がよかったんだ?)
「で、何? コーヒー?」
「いえ、昼飯を」
「焼きソバでいい?」
「はい」(そうえば、隣のテーブルの客も焼きソバだ)
「ソース? それとも醤油?」
「じゃあ、ソースで。後でコーヒーもください」
「はいよ。コーヒーはホット? アイス?」
「ホットでお願いします」
「うん、コーヒーはホットじゃなきゃね」
「・・・・」(そうなのか?)
「アイスはコーヒーじゃないでしょ」
「そうなんですか」
「そ、コーヒーはホットよ」
「はい」(ホット注文してよかった)

てな会話があり、まるで昔から知ってる親戚のウチで食べるような昼飯になった。オカミサンによれば、中京大は、週末になると、学会やらシンポジウムやらの催し物が多いんだそうな。「ほら、ここ交通の便がいいしね」だそうだ。36年やってると、覚えている大学の先生の名前も膨大なんだって。確かに、私も中京大にいたら毎日来ちゃうかもしれない、と思った。

さて、お目当てのシンポジウムだ。タイトルは「『あるある大事典Ⅱ』をめぐる諸問題とテレビの質的向上」。司会は同志社大・渡辺武達さん、パネラーには、上智大の音好宏さん、TBSの金平茂紀さん、関西テレビの大場英幸さん、そして立教大の服部孝章さんだ。

このシンポジウムを聞きに来たのは、あれから1年以上が過ぎて、「あるある」で露呈した問題が、今どうなっているのか、が知りたかったからだ。

全体で3時間半の長丁場。分かったこと、腑に落ちないこと、それぞれあった。「現場」という言葉は出たが、制作会社についての話はほとんど出なかった。今やバラエティや情報番組だけじゃなく、報道番組にも派遣の形で制作会社のスタッフが入っている。放送について語る際に、放送局のことだけを問題にしていてもダメなんだけどな、と思ったりしながら聞いていた。

パネラーの中では、特にTBSの金平さんの発言が面白く、刺激的だった。「質問」の形で問題提起をしていたのだ。金平さん、いわく・・

1 「あるある」は関西テレビだけの問題か?
2 学者・研究者にテレビを批判する資格はあるのか?
3 送り手だけの問題なのか?
4 テレビ側の自主規制でいいのか?

シンポジウムが、これらの課題を展開するようならば、きっと、より深い議論になったと思うのだが、実際には、そういうふうにはならなかった。惜しい。でも、自分なりに、いくつか収穫はあったので、行ってよかった。焼きソバも食べたし。

帰りの車中でも、ひたすら『月とメロン』を楽しむ。

本日の新書は、スリリングなインタビューだ

2008年06月07日 | 本・新聞・雑誌・活字
本日の新書は、辻井喬さんと上野千鶴子さんの共著『ポスト消費社会のゆくえ』(文春新書)。

まず、この組み合わせが絶妙だ。かつて消費社会の一端を担った元セゾングループ代表と、セゾンの社史編纂にも携わった社会学者。焦点となるのは百貨店及びグループの盛衰と堤清二との関係だ。簡単にいえば、いかにして成功し、どのように失敗していったのか。そこに堤清二という特異な経営者はどんなふうに作用しているのか。もちろん責任問題も含めて。

見ものは上野さんの追求。何しろ社史を書いた一人だから、データはある。周辺への聞き取りもしてある。それに、団塊世代だから西武がターゲットとしてきた顧客であり、その盛衰には消費者側としても関わっている。

だから対談なのに、まるで尋問みたいに見える。でも、そこがこの本の面白さだ。辻井(堤)さんも、聞かれたことに真摯に答えていく。パルコへの「追随」とか、自身の決断の「失敗」とか、はっきり言うところが見事だ。

先鋭的な宣伝戦略、美術館などの文化事業で一時代を築いた企業が、大衆消費社会から個人消費の時代への転換という背景もあり、徐々に凋落していく過程は無残で、かつスリリングでもある。自分たちが生きてきた時代を、別の視点から見直すことにもなった。

新聞に、糸井重里さんのサイト「ほぼ日」が10周年を迎えたという記事が出た。糸井さんといえば、西武百貨店が80年代に次々と打ち出したヒット広告の立役者だ。その糸井さんの有名なコピー「おいしい生活。」が82年。この本によれば、そのあたりが、西武のピークだったというから驚く。後は下り坂だったのだ。

ポスト消費社会のゆくえ (文春新書 633)
辻井 喬,上野 千鶴子
文藝春秋

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ドキュメンタリーについてのドキュメント

2008年06月06日 | 本・新聞・雑誌・活字
ドキュメンタリー映画『蟻の兵隊』の監督である池谷薫さんの新著『人間を撮る~ドキュメンタリーがうまれる瞬間』(平凡社)を読んだ。これまでに監督してきた作品についての文章が収められている。

しかし、その中で一番鮮烈なのは、やはり『蟻の兵隊』の製作過程を綴った一編だ。敗戦となった昭和20年8月15日以降も、上官の命令によって中国山西省に残り、国民党軍に組み込まれて共産党軍と戦った日本人兵士たち。池谷さんは、その生き残りである奥村和一さんを撮った。

この文章でも、奥村さんが山西省を訪ね、かつて自分が現地の人たちを「処刑」した現場に立つ場面、そして日本軍によって暴行を加えられた中国人女性に会う場面には胸がつまる。「戦争の被害者であり、加害者でもあること」の厳しさ、重さが、映像とはまた違った形で迫ってくるからだ。

それと、この本には、なぜ撮るのか、相手とどう向き合うのか、どこを目指しているのか、撮っている自分とは何者か、といったドキュメンタリーを撮ることの原点のようなものが詰まっている。

国は、奥村さんたちが「自らの意思で残留した」として、責任をとろうとはしない。奥村さんたちの「戦い」は、まだ終わらない。しかし、奥村さんも元気とはいえ80歳を超えている。戦争体験者自体が、皆、超高齢者なのだ。次の世代、そのまた次の世代へと伝えていくためにも、映画で、活字で、その体験を残すことがますます重要になってくる。

人間を撮る―ドキュメンタリーがうまれる瞬間
池谷 薫
平凡社

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池谷さんは、この本の「あとがき」に、「次はチベットの人々を撮ろうと思っている」と書いている。しかもドキュメンタリーではなく、フィクションだという。中国でオリンピックが開かれようとしている年に池谷監督が撮るチベット人の映画。ぜひ、観てみたいものだ。


今週発売の雑誌『GALAC(ぎゃらく)』7月号、「ギャラクシー賞報道活動部門」のページに、こんな文章を書いた。

全国各地で地方自治体が制作する「広報番組」が流されている。その多くは市町 村の役所からの地域住民への「お知らせ」が中心であり、行政としてはこんな施 策がありますとか、こんな催しを行いましたとか似たようなパターンの内容が多 い。長年決まった枠を持っているため、半分惰性で続いているのではないかと思 えるようなものもある。そういう番組は視聴者側の認知度も低く、貴重な税金が 惜しいような気持ちになる。

しかし、中には広報番組という既成概念を超えて、積極的に何かを「伝えよう」 としている番組も存在する。たとえば、福岡県北九州市の「あしたも笑顔 北九 州」(九州朝日放送)。十五分の番組だが、市からのお知らせではなく、地域に 暮らす様々な人たちの姿を映し出している。「認知症~この青空を忘れない」と いう一本では、認知症の八十九歳の母と暮らす六十八歳の娘との淡々とした日常 生活を追っていた。北九州市では五人に一人が高齢者であり、その中の十人に一人が認知症を発症していると推定されている。そんな現状を踏まえての「人間ドキュメント」である。母と娘の静かに通い合う情愛が感動的で、見る者に「認知症の家族と、こんな風に一緒に生きられたら」と思わせた。カメラの存在を感じさせない自然な映像も、取材者と被取材者との信頼関係の成果だと感じられた。

また、長野県駒ヶ根市では年間五十二本の「こまがね・市役所だより」(駒ヶ根 ケーブルテレビ)を自主制作しているが、昨年八月、「平和への願い」と題する番組が放送された。地元に暮らす八十五歳の男性と八十三歳の女性が「戦争体験」を語るインタビュー・ドキュメントである。戦争体験者が高齢化する中、映像を通じて次世代に伝える作業は非常に大切だ。その役割を広報番組が担っている点が目を引いた。また、ややもすれば制作側が「仕掛け過ぎる」ことになりがちなテーマだが、ここでは節度ある取材に終始している。広報課の職員が司会もリポートも行っていて、それが番組全体の温かみを生んでいた。

こうした広報番組での取り組みもまた、ジャンルを越えた立派な“報道活動”だ と思う。ぜひ今後も広報番組らしからぬトライを続けていただきたい。

GALAC (ギャラク) 2008年 07月号 [雑誌]

角川グループパブリッシング

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本日の文庫は、強力な本の読み手で文章の書き手

2008年06月05日 | 本・新聞・雑誌・活字
なぜか単行本のときに買いもらし、そのまま読まずにいた本が、うまい具合に文庫本となって、本屋さんの平台で”ご対面”という事態にぶち当たることがある。これは本当に有難い。本日の文庫は、本の読み手として、また文章の書き手としても敬愛している永江朗さんと坪内祐三さんである。

永江さんの『聞き上手は一日にしてならず』(新潮文庫)は、3年前の『話を聞く技術!』の文庫化だ。<プロの聞き手>である10人に、ご自身もまた<プロの聞き手>である永江さんがインタビューをしているところが面白い。その10人の中で、私がお会いしたことがあるのが3人。田原総一朗さん、糸井重里さん、黒柳徹子さんだ。ジョン・カビラさんは、昨夜のギャラクシー賞授賞式の司会をしていらしたので目撃はしたが、話をしたことはない。この4人以外には、『ビートルズが愛した女』などで知られるノンフィクション・ライターの小松成美さんや、プロ・インタビュアー&プロ書評家の吉田豪さんなどが並ぶ。

たとえば、黒柳さんがインタビュー(番組収録)の前に、いかに十全の「準備」をしているか。相手だけでなく、その家族や視聴者に対して細かな「配慮」をしているか。また、小松さんが取材対象者との「距離」をいかに保とうとしているか。そのあたりを、ソフトに、でもきっちりと聞き出している永江さんが見事だ。

聞き上手は一日にしてならず (新潮文庫 な 62-1)
永江 朗
新潮社

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坪内さんの『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』も同じく新潮文庫だが、あちらは先月の、こちらは今月の新刊。これまた同じく単行本は3年前に出ている。

小学校時代から大学時代までの約20年間に読んできた雑誌の話だ。ちょうど60年代半ばから80年代半ばにあたり、数年先に生まれただけの私の雑誌遍歴とそんなに変わらないから、まあ、懐かしいこと。

小学校のころの『少年画報』、中学生で『スクリーン』、このあたりは同じだが、坪内さんが高校生で手にした『宝島』のころ、私は大学生だった。そして創刊時の『本の雑誌』や、『噂の真相』の前の『マスコミひょうろん』。今でも、表紙のイラストの感じや、中身の紙質などを覚えている。

雑誌は、自分のそのときどきの日常と同時進行というか、同時代的というか、人生の<伴走者>みたいなものだ。ナマモノだから、放っておくと消えてしまったりするから、よけい愛しかったりするのだ。

この本は、もちろん坪内さんの「極私的青春クロニクル」だが、極私的であるからこそ普遍に通じる、そして共感をもって読めるのだと思う。

私の体を通り過ぎていった雑誌たち (新潮文庫 つ 18-2)
坪内 祐三
新潮社

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永井するみ『義弟』と「ギャラクシー賞」の夜

2008年06月04日 | 本・新聞・雑誌・活字
恵比寿のウエスティンホテルで、放送批評懇談会が主催する「ギャラクシー賞」の授賞式があった。今年は創立45周年に当たるためか、参加者も多く、にぎやかな授賞式だった。

まず、選奨委員を務めさせていただいている「報道活動部門」の結果は次の通り。

「報道活動部門」
<ギャラクシー大賞>
●STVニュース「北海道・ニセコ町の果実酒問題」をめぐる一連の報道(札幌テレビ)

<ギャラクシー優秀賞>
●地域回復をめざす報道活動 人情物語 向こう三軒両どなり(テレビ金沢)
●国の実態調査を実施させた「ネットカフェ難民」キャンペーン報道(日本テレビ)

<ギャラクシー選奨>
●製紙会社の”エコ疑惑”における一連の報道(TBS)
●「どですか!」生き生きまいらいふ(名古屋テレビ)
●イチオシ!「徹底検証 政務調査費」(北海道テレビ)

そのほかに、

「CM部門」
<ギャラクシー大賞>
●ピースヒロシマ実行委員会「ノーモア」

<ギャラクシー優秀賞>
●湖池屋マヨポテト「コイケ先生、励ます」ほか
●冨士フィルム企業シリーズ「胃編」ほか

「ラジオ部門」
<ギャラクシー大賞>
●文化系トークラジオ Life(TBS)

<ギャラクシー優秀賞>
●がん難民の戦い~まだ救える命のために(中国放送)
●ラジオ生ドラマ「火焔太鼓」(文化放送)
●ラジオドキュメンタリー「おれは闘う老人(じじい)となる~93歳元兵士の証言」(毎日放送)

<ギャラクシーDJパーソナリティ賞>
●青山高治 中国放送アナウンサー

「テレビ部門」
<ギャラクシー大賞>
●裁判長のお弁当(東海テレビ)

<ギャラクシー優秀賞>
●NHKスペシャル「鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争」(NHK)
●映像07「夫はなぜ死んだのか~過労死認定の厚い壁」(毎日放送)
●揺さぶられる歴史~教科書検定をめぐって(琉球放送)

<ギャラクシー特別賞>
●くらしき百景 最終章(倉敷ケーブルテレビ)

<ギャラクシー個人賞>
●宮崎あおい 「篤姫」の演技

<ギャラクシー賞マイベストTV賞グランプリ>
●金曜ドラマ「歌姫」(TBS)

それから、
<ギャラクシー賞45周年記念賞>
●永 六輔  長年にわたる放送界での功績・貢献

会場では宮崎あおいサン、「歌姫」の相武紗季サン、そして永さんのお祝いにいらした黒柳徹子サンなどのご挨拶もあった。授賞式終了後はパーティで、受賞者の方々や、久しぶりでお会いする放送関係の皆さんと歓談。以前、ドラマ『青年は荒野をめざす』で一緒に海外ロケに行った名古屋テレビのディレクターさんにもバッタリ会ったりして、話がはずんだ。


授賞式の帰り道は、ずっと永井するみさんの新作『義弟(おとうと)』(双葉社)を読み続けて、電車を乗り過ごすところだった。それくらい没入、ということか。

弁護士の姉と、スポーツインストラクターの弟。子どもの頃から仲がよく、互いを大事にしてきた二人に、血のつながりはない。そして、二人とも、こころに傷を持っている。すでに大人になったある日、単なる姉と弟ではいられなくなる出来事が起きるのだ。やばいぞ、義弟。電車の中では、ちょっとどきどきしながら読んでいた。

義弟
永井 するみ
双葉社

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本日の新書は、禅と笑いだ

2008年06月03日 | 本・新聞・雑誌・活字
総務省関係の会議があり、大井町線を旗の台で乗り換えて、会場のある五反田へと向かう。以前、五反田にあるスタジオで、レギュラー番組の収録をやっていた。この町の印象は、そのころとあまり変わらない。ガード下なんか、今でもどこか戦後っぽいし。

本日の新書、1冊目は横山紘一さんの『十牛図入門~「新しい自分」への道』(幻冬舎新書)だ。

中国・北宋時代の廓庵禅師の創案といわれる「十牛図」は、禅を学ぶための入門図だ。一人の「牧人」が、逃げ出した「牛」を探す旅に出る。ようやく見つけて飼い馴らすが、やがて姿を消していく・・。そんな様子が十枚の図で描かれている。この牧人とは「真の自己を探す者」であり、牛は「真の自己」を表す。いわば“自分探し”の物語なんだよね。

この図に導かれて10のプロセスを学ぶうちに、仏教学者である横山さんが人生の三大目的だとする「自己究明」「生死解決」「他者救済」の意味も、ほのかに見えてくる(はず)。今の自分から踏み出したい人には、格好の指南書かもしれない。

十牛図入門―「新しい自分」への道 (幻冬舎新書 (よ-2-1))
横山 紘一
幻冬舎

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「十牛図」で結構アタマを使ったので、少し揉みほぐすために、今度はお笑いの方向へ。山中伊知郎さんの『「お笑いタレント化」社会』(祥伝社新書)である。

「ボケ」と「ツッコミ」。「つかみ」に「サムい」。気がつけばそんな演芸用語が世の中にすっかり定着している。本書はお笑いプロデューサーである山中さんによる“お笑い文化論”だ。

山中さんは、80年代のフジテレビが「お笑い」の地位や価値を変え、吉本興業NSCなど養成所が「お笑い芸人」の質と量に影響を与えたと指摘する。そして今、「場の空気を読めること」がお笑い芸人の必須条件であり、それは一般社会でも求められる能力となった。コミュニケーション・ツールとしてのお笑いの歴史と現実が、豊富な実例と共に理解できる点が、この本のキモだ。

「お笑いタレント化」社会 (祥伝社新書110)
山中 伊知郎
祥伝社

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さて、本日の新書のラストは、演芸評論家である矢野誠一さんの『人生読本 落語版』(岩波新書)。

矢野さんは、落語から「けっして世のため、ひとのためにはならないが、貧しいながら楽しく人生を送るすべを学んできた」という。たとえば『三方一両損』では、金に対して「淡白であること」の美学、規範を。そして『二十四孝』からは「子供が親を思うよりも、親が子供を思う心のほうがはるかに深いこと」を教えられるというわけだ。

また、この本で嬉しいのが、矢野さんが接してきた落語家たちのエピソードだ。裁判を楽しんだ桂春団治や、”売り物”である幽霊の扱いに悩んだ三遊亭円朝などが登場する。これまた、まさに生きた教科書だと思う。

人生読本 落語版 (岩波新書 新赤版 1130)
矢野 誠一
岩波書店

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長~い会議が終わって、外に出たら、雨が降り出していた。五反田駅近くのパチンコ屋さんから流れてくるのはヒップホップだ。ヒップホップでNHKの朝ドラ「瞳」を連想し、そのまま「ちりとてちん」を懐かしく思った。きっと矢野さんの本のせいだろう。

早慶戦とダービー、そして佐野眞一『甘粕正彦 乱心の曠野』

2008年06月02日 | 本・新聞・雑誌・活字
土曜に早稲田が勝ち、日曜は2-0で慶應の勝利。明治との試合でのケガが響いたのか、早稲田の斉藤投手は生彩を欠いていたようだが、テレビの音声だけを聴いていたので、詳細はわからない。ともかく、春の早慶戦の勝敗は、1対1のまま月曜へと持ち越された。早稲田のほうは知らないが、月曜の慶應は全学休講だ。

日本ダービーは、NHKマイルカップに続いて、四位洋文騎乗のディープスカイが勝利。NHKのテレビ中継での実況担当は、高校時代の同級生である福澤浩行アナウンサーだった。しかし、こちらもテレビは音声だけのまま。彼の明瞭にして正確、しかも温かみのある実況アナウンスを耳にしながらも、目はひたすら本のページを追っていた。ごめんね、福澤君。

というわけで、ほぼ一日がかりで読み終えたのが、佐野眞一さんの新著『甘粕正彦 乱心の曠野』(新潮社)だ。甘粕といえば、関東大震災直後の混乱の中で、憲兵隊長として大杉栄という”主義者”の大物を惨殺。その後は昭和の蜃気楼のような満映で理事長として辣腕をふるい、満州の「夜の帝王」と呼ばれたことなどで知られている。敗戦に際し、覚悟の青酸カリ自殺を遂げた。享年54。今なお多くの謎に包まれた人物だ。

うーん、この本は凄い。何しろ、これまでの甘粕正彦に関する「定説」が崩れていくんだから。そして、佐野さんの粘り強い取材と、その筆の腕力も凄い。85年前という遥か遠い過去の出来事の真相さえ、佐野さんが呼び起こしたかのように立ち現れてくるのだ。

佐野さんは書く。最大の狙いは「(甘粕に)接した人たちの証言を丹念に掘り起こし、そこから甘粕の謎をひとつひとつ検証し、知られざる甘粕の素顔を解明する」ことだと。おかげで、読む者はこの本を通じて「昭和の裏面史」「負の近現代史」を目撃することになるのだ。

活字のチカラ、ノンフィクションのチカラを、ストレートに感じた1冊だった。

甘粕正彦乱心の曠野
佐野 眞一
新潮社

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数学とブラックジャックと映画『ラスベガスをぶっつぶせ』

2008年06月01日 | 映画・ビデオ・映像
ラスベガスに行ったことがある。毎年秋になると、コムデックスというコンピュータの世界的展示会がこの町で開催されるのだ。

昼間は広大な展示会場を走り回り、夜はキラキラ、ピカピカしたこの町を歩き回った。まんまピラミッドの形のホテルや、MGM映画の世界を持ち込んだホテルなど、町全体が巨大なテーマパークか映画のオープンセットみたいな感じだった。

ギャンブルはからきしダメなので、やってみたのは、せいぜいスロットマシンくらい。ホテルのロビーにはマシンがずらり。空港の待合室にまで並んでいた。最後の最後まで、お客からむしり取ろう、いや楽しませようというわけだ。スロットマシンは機械相手のゲームだが、バカラだのブラックジャックだのが得意だったら、ラスベガスはもっと面白かった(怖かった?)だろうと思う。

そんなラスベガスで、MIT(マサチューセッツ工科大学)の学生チームがブラックジャックで大儲けしたことがある。もちろんイカサマなどではなく、数学の理論を応用しての勝利。彼らはMITの中でも優秀なメンバーで、特に数学では天才的な連中だったのだ。このときの顛末を本にしたのが『ラス・ヴェガスをブッつぶせ!』である。

ラス・ヴェガスをブッつぶせ!
ベン・メズリック
アスペクト

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この本を原作に製作された映画『ラスベガスをぶっつぶせ』を見た。彼らのボスであり、MITの数学教授にケヴィン・スペイシー(プロデューサーでもある)。カジノの監視人というか、ルール違反を摘発する男が『マトリックス』のローレンス・フィッシュバーンだ。学生たちの超頭脳プレイ。危険と背中合わせの大勝負。大金を得た後の無茶な遊びと浪費。いやあ、かなりのスリルと興奮の1本だった。そうそう、音楽もよかったなあ。

「ラスベガスをぶっつぶせ」オリジナル・サウンドトラック
サントラ,リアーナ,ナイヴズ・アウト,ドミノ,アンクル,マーク・ロンソン・フィーチャリング・カサビアン,ブロードキャスト,ザ・ローリング・ストーンズ,MGMT,LCD サウンドシステム,D.サーディー・フィーチャリング・リエラ・モス
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル

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それにしても、アメリカの大学生の、よく勉強すること。MITだから? 異色のキャンパス映画としても、とても興味深く見させてもらった。