北海道新聞に連載している「碓井広義の放送時評」。
今回は、NHK「負けて、勝つ~戦後を創った男・吉田茂~」を
めぐって書いています。
なぜ今、吉田茂なのか
米国「追随」の姿に何を見る
米国「追随」の姿に何を見る
9月8日に始まり、現在も放送中のNHK土曜ドラマスペシャル「負けて、勝つ~戦後を創った男・吉田茂~」。主演は渡辺謙だ。ダグラス・マッカーサー役には映画「ザ・ロック」などで知られる俳優、デヴィッド・モースを起用。2人が向き合うシーンは一瞬ハリウッド映画を思わせる贅沢さだ。
さらに敗戦後の焼け跡など美術やビジュアルにも予算と手間をかけており、全体として堂々の大作である。そして何よりこのドラマの吉田には迫力がある。マッカーサーが相手でもひるまない信念と度胸。時にGHQ最高司令官を怒鳴りつける姿など英雄的でさえある。
それにしても、なぜ今、吉田茂なのだろう。確かに「復興」という点では、東日本大震災を経験した現在の日本に通じるものがある。戦後の復興期(それは占領期でもある)に、この国のリーダーを務めたのはワンマン宰相と呼ばれた吉田だった。その吉田の何を見せようと言うのか。
吉田に対する評価も変化してきている。その一例が外務省国際情報局長や駐イラン大使を歴任した孫崎享の近著「戦後史の正体 1945-2012」だ。戦後から現在に至るまで、日本が米国の圧力に対して、「自主」路線と「追随」路線の間で揺れ動いてきた経緯を明らかにしている。
特に占領期は「追随」の吉田と「自主」の重光葵が激しく対立。重光は追放され、芦田均も7カ月で首相の座を追われた。「日本の最大の悲劇は占領期の首相(吉田茂)が独立後も居座り、占領期と同じ姿勢で米国に接したことにある」と孫崎。米軍基地、TPP、原発と現在の日本を見た時、孫崎の言葉をオーバーだとは言えまい。
毎回、番組の冒頭に「このドラマは歴史に基づいたフィクションです」という文字が表示される。ここで言う「歴史」とは何を指すのか。「事実」とはどのように違うのか。このドラマのどこまでが歴史的事実で、どこからがフィクションなのか。それとも全体をフィクションとして見ろと言いたいのだろうか。
ドラマでは、吉田は敗戦国の首相として「よくやった」ものの、結局はアメリカの言いなりになっていく様子が映し出される。吉田も辛かったが「この時期を乗り切るには対米追随しかなかった」というイメージを視聴者に与えたいかのようだ。
今、次に行われる総選挙では自民党政権復活の可能性が高いと言われている。このドラマが、その早すぎるプロモーションでないことを切に祈りたい。
(北海道新聞 2012.10.01)