被災地の子どもに向き合う体育実践より~その1~

2014-09-16 12:47:46 | 災害について
宮城県東松山市立鳴瀬第二中学校は
地震と津波で壊滅的な被害を受け、
その後生徒たちは、母校に二度と足を踏み入れることなく廃校になった。
今生徒たちは、統廃合された新しい中学校で学んでいる。

今回学んだ実践は、
震災発生のその年から廃校に至るまでの
運動会を通じ、子どもたちの苦悩に心を寄せたある教師の実践である。

震災後5か月目に運動会が開かれる
先生や子どもたちが
“何のために運動会をするのか”
“どんな運動会にするのか”

真剣に話し合いとりくみを進め、子どもたちの創意を生かした取り組みで成功させた。

その後の子どもたちの感想文の根底に込められたものを
制野先生は、一人ひとり丹念に読み取っていく

聖火リレーについて
「聖火リレーは僕に期待を持たせてくれた。誰かがすぐ後ろにいるようなそんな感覚になりました」
聖火リレーのための採火
「火がついたときはなぜか自然に拍手していた」
「聖火リレーを繋いでいくシーンで、震災でつらかったこと、避難所での生活を思いだし感極まってしまった。でも震災で亡くなった3人と一緒にリレーできなかったことが残念」
「聖火の火は津波の犠牲者と私たちの希望の炎、希望の光なんだ、運動会に意味があるんだ」
「聖火から立ち上る煙を見て、死んでしまった人々、鳴瀬二中の子どもだった人達の供養になっているのかなあ」

地区対抗リレーとオールメンバーリレーでは
「走っているときに震災の火が頭に浮かんだ。野蒜の中でも被害が大きかった地域、その地区のみんなでつないだ競技。1位でゴールしてうれしかった。消えていた光がともったような運動会だった」

紙ひこうきを飛ばした場面では
「一人一人の希望の乗った紙ひこうき。一人一人どんな想いで飛ばしたのか。僕が紙ひこうきを飛ばす時に考えていたのは『今できる事を少しずつやっていこう』ということ」
「紙ひこうきは地面に落ちたけれど、それぞれの想いは上へ上へ遠くまで飛んで行ったと思います。そのひこうきはきれいに自分色になっていたと思います」

制野先生は、こうした子どもたちの感想文から
一人一人に想いを馳せ
一人一人の子どもたちの心の中にある苦しみを理解し
その苦しみに寄り添う教育実践をしているのです。

震災から1年後 市教委は、鳴瀬第二中学校の廃校を決めます。
そのことについて、地域の住民や子どもたちからの意見の聴衆も不十分なまま
統廃合ありきの決定が下されていきました。
最後まで、地域住民や子供たちの想いを代弁し反対の論陣を張ったのは中学校の教職員でした。

報告を聞きながら
震災と津波で家族を失った子どもたちから
間をおかず母校まで奪う仕打ちがなぜできるのかと
憤りを禁じえませんでした。

遅ればせながら
この夏仙台市で行われた自治体学校で知ったことを報告しています

被災地の子どもの本当の姿を知る分科会

2014-07-27 18:14:35 | 災害について
今日27日 自治体学校分科会
私は 被災地の子どもたちと共に歩む の分科会に参加

助言者は 制野俊弘東松島市鳴瀬未来中学校教諭
旧鳴瀬第二中学校体育教諭です。
制野先生の語った旧鳴瀬第二中学校の取り組みの報告で
子どもたちがどんな思いで今を生きているかをわからされた分科会でした。

私たちが知っている被災地の子どもたちの姿は、TVや新聞で報道される負けずに頑張っている姿です。
しかし、今日聞いた子どもたちの本当の姿は
がんばっているのだが その心の奥に大きな悲しみと苦しみを抱えている姿でした。

子どもたちは、それを必死で隠し、生きているのだ ということを知り、
それを吐露させる大人の役割の重要性を認識し、
それをだれが果たすか、
教育の現場でもできること、やらなければならないことであると同時に
家庭や地域、行政とどの段階でも最優先で取り組まねばならないことだと痛感しました。

それなのに、東松山市と教育委員会は
効率化だけを目的に、小中学校の統廃合を決め
鳴瀬第二中学校の子どもたちは 
被災後自分たちの母校に一歩も足を踏み入れることなく新しい学校に移らなければならなかった
その悔しさもまた抱えて生きているという

制野先生は
子どもの命が本当に大切にされているのだろうか
あんたたちの命を我々大人が守るからというメッセージを子どもたちに届けることができているだろうか
と、問いかけました。

宮城県は震災の復興も未だ進まない段階で
志教育を進めよと学校現場に指示
学力を向上させよと指示

一方で 夢を持って針路を定めた生徒が
家庭の事情で入学金などのめどが立たず進学をあきらめていることに何の手も打てない
もちろん お金を貸してくれる人はいたが
その後の生活が保障されない以上
進学をあきらめざるを得ない子どもがいるのだとも告発

被災地で頑張っている子どもたちの明るい姿をマスコミで目にするが
本当の苦しみを 我々は当事者意識を持つための努力をして
理解しなければならない

私たちに、私に何ができるのか
支援のあり方を考えなければならないと痛感した。

制野先生の教育関係の月刊誌に掲載された
被災後直の運動会、統合が決まって最後の運動会のとりくみと
その中で見せる生徒たちの表情、苦しみを綴った作文を読みつつ
昼休みの間中泣き続けた一日でした。

書き始めたものの終わらず更新日時があっていませんが
書き始めた日付で更新します。

木造住宅耐震診断及び耐震改修の助成事業の利用を

2012-06-03 13:20:15 | 災害について
文部科学省の専門家チームの作った東京の震災の被害想定が発表されました。
東京は 震度7が予想され、被害想定もこれまでより大きくなりました。
多摩地域でも 直下型地震の予想が震度7
東村山市では震度5強と言う予想がされています。

地震は間違いなく来ると考え行動することが重要であることは言うまでもありません。より安全な街を目指すには
より安全性の高い建築物の確保も重要な課題です。
そこで今注目されるのが耐震診断と耐震改修です。

東村山市でもようやく
木造住宅の耐震改修助成事業が始まります。

改修費用の3分の1に相当する額で 30万円が上限です。
予算総額は 150万円 5件分です。
早速募集が行われています。

対象家屋は 昭和56年5月31日以前に建築確認を受けている家屋です。
現に住居として使用していること
耐震診断の結果 構造耐震指標の値が1.0未満のもの

ただし、診断も改修も
補助金申請が終わり、助成金が決定してから 業者と契約をすることとなっています。
つまり、既に工事が終わったものは対象となりませんので
ご注意ください。

詳しくは 市の窓口でお聞きいただきたいと思います。
東村山市の担当窓口は、
都市環境部・都市計画課 393-5111(代) です


耐震診断助成制度もあります。
これも事前の相談が必要です

事前のご相談は、
詐欺商法に引っかからないためにも必要だと思います。

年金暮らしの方々の住居が対象となることは明らかです。
地震から、ご自身の命を守り、
倒壊による怪我や 火災から 近隣住民の命を守るためにも
もっと予算総額を増やし、
市内全域での計画的な耐震化の推進が重要だと思います。

あの大震災から1年―ハワイアンズダンサーのTV見ました

2012-03-11 22:26:15 | 災害について
今日は 大震災から1年
東村山市では防災フェアが開かれ
私も参加

帰ったら TVで 福島県いわき市のハワイアンセンターのダンサーの震災後の取り組み
というか
苦悩の1年が放映されていました。

常磐ハワイアンセンターに
一昨年、濱畑家の家族旅行で行きました。




それまで目にしていた
フラダンスと
全く違う 質の高いダンスに
妹たちの家族も含め
全員感動し 素晴らしいダンスを見せて貰った喜びを持って帰りました。

その後の大震災での被災を知り
どうするんだろ~
どうなるのだろ~
と心配していました。

しかし、TVなどで 全国ツア~等に取り組み
ハワイアンセンターも復活したとのニュースも見て、喜んでいました。

今日の放送を見て
ダンサーの一人ひとりの胸に潜む不安や戸惑い
このまま踊り続けていいのかとの思い
福島原発の事故が ダンサーの踊り続けたいという思いに障害になるかのような風評
でも、笑顔を絶やさずに
全国巡業でみんなの心をつなぐリーダーの笑顔と
その陰で 自らも傷ついているリーダーの笑えなくなった笑顔
その本当に苦しみを
知りました。

完全復活を果たしたハワイアンセンターの舞台で
本物の笑顔を浮かべて踊るリーダーとダンサーのみなさんの姿に
一人涙を流しました。

炭鉱の閉山から
フラダンスで町おこしをし
今度は
未曾有の大震災の被害から
再び
フラダンスで立ち上がる
ダンサーのみなさんに
心から 声援を送りたい

政治の貧困痛感しましたー石巻ボランティア報告2

2012-02-08 14:37:25 | 災害について
2月1日
石巻市 渡波(わたのは)地域へ救援物資をお届けしました。

石巻市はたくさんの仮設住宅があります。
仮設には 回数も多く 救援物資のお届けがされるようですが
こうした支援から漏れるのが 被災した自宅で避難生活を送っておられる方々です。

日本共産党のボランティアセンターには、
こうした地域の皆さんからも、要請の電話があるそうです。

渡波地域は、水産加工会社や冷凍倉庫などがある
海岸線に近いところにあります。
津波の被害が大きかったところです。

ご自宅の1階は天井まで津波でやられたけど
2階は なんとか住める 仮設には行けないので
2階で避難生活を送っているが
自宅の建て替えもままならず
布団や物資が不足し、
公の救援もなかなか届かない

という訴えです。

私たちは、この日、
ジャガイモ・ニンジン・玉ねぎ・お米・トイレットペーパーのセット
冬物の衣類
食器やタオルなどの日用雑貨
湯たんぽ
などを持って 一皇子神社の社務所で無料バザーを行い
また、住民の皆さんの要望をお聞きし、
行政に届けるためのアンケートにも取り組みました。

本当に助かります と喜んでいただきました。

石巻は 31日から降った雪で大変な状況でした。
通年は暖かいのが土地の特徴だそうですが
寒いので、布団がほしいのよね~ という
要望もあり、
後日 お届けすることができたと思います。

被災地の人々はまだまだ安定的な生活を送ることができていません。
被災した住宅の再建には多額のお金がかかるのに
補助金もスズメの涙では 一体いつのなったら生活再建ができるのでしょうか。

夏のボランティア時の状況と何も違わない現地の様子に
政治の貧困を痛切に感じました。
政府は いったい何をやっているのでしょうか!?

昨日と今日、石巻市は雪でマヒです

2012-02-01 20:12:32 | 災害について
1月31日 石巻の日本共産党ボランティアセンターに2時に到着
2月1日からの 無料バザーの下打ち合わせをし
女川のその後を 見てきたいと出かけました。



2月1日も雪
バザーは ご自宅で 生活をしている地域の人々のところでした。
衣料、食糧、食器等々の物資をお渡し
いろいろお話も伺いました。

蒲団が欲しい、食器が足りなくて困っている等々
たくさんのご要望をお聞きしました。

仮設で暮らす人々
自宅でも 一階は被災し、二階は何とかなった人々
商売 漁業 農業に力を頑張っている人
でも、被災者は 懸命に頑張っている人々を
放置している政治の貧困が
被災地を見れば 一目瞭然です。
なさけなくおもいます。



上の写真のお雛様は
箱根町の 旅館の女将さんたちが作ったものです。
日本共産党箱根町の町会議員山田議員が預かってくれました。
生活が大変ななか 心の潤いにと
もらっていただきました。



実は 今は 夜9時
日本共産党のボランティア宿舎で
箱根町のみなさんと 一緒に 交流会しています。

原発ゼロ!

2011-08-07 23:21:44 | 災害について
今日
村山市でも 原発ゼロ の集会パレードが・・
180人が参加


原発反対のある集会で、子どもたちが
なぜ危険だって言いながら
こんなに原発作ったの
東京都抗議した話を紹介し、原発無くそうと話す
東京土建東村山支部の委員長



散歩に連れ出して放射能に我が子をさらしたのではないかと悩むママたち
福島の地で子育てするママたちに思いをはせ
こんな苦しみを無くしてほしい
安心して子育てしたいと発言するママ



地震・津波で我が家を壊されつつ
放射能汚染まで被る
福島の被災者


集会 終わった後 久米川駅さくら通りまでパレード

原発はいらない
自然エネルギーへの転換を
核兵器もいらない
政治変えよう

と道々訴えました。

7/19日 被災地救援ボランティア報告会を開きます

2011-07-12 22:30:31 | 災害について
この間 救援ボランティアの報告をしました。

皆さんの支援で成し遂げた仕事です。

募金の使い方、現地の状態など
直接報告をしたいと思い
報告集会を計画しました。

どなたでも参加可能です。
ぜひ参加して下さい。

日時は

7月19日 火曜日 午後7時30分より

場所は
 市民センターです。

現地のマスコミが編集したDVDの上映も計画しています。
また、河北新報社の写真集も当日お分けします。

現地の被災状況と
ガレキが撤去され 更地になりつつある町の
人々が住んでいない町の
悲惨さを知っていただき
国民の力で 被災地を支援するための一助にしたいです。

ぜひぜひ 参加して下さい。

津波の威力と復興ということ=ゼネコンが手ぐすね引く?

2011-07-12 21:26:40 | 災害について
女川病院から町と海岸を見渡しました。
下の写真は、高台にある女川病院駐車場のフェンスです。

奥の茶色のフェンスがもともとあった物。津波で壊され、手前の白いガードレールを後で設置しています。

下の写真は、津波によって横倒しになったビル。緑色の部分が屋上です。
もともと建っていた場所からも流されていました。
 

下のビルも横倒になったビルです。




こうしたビルが次々に破壊され、瓦礫が片付けられて更地の状態になっていきます。
その中を大きなトラックが瓦礫をつんで走り回っていました。

高台から見渡す限り何も無くなっていく大地、
更地になっていくであろう女川の町や石巻の町を見ていたら
宮城県知事が打ち出した「漁業特区」がゼネコンの希望にそったものであるということ痛感(?)しました。

新たに物を壊す必要もなく、札束で頬を叩いて土地を買い漁れば
ビルの建築から始めることが出来る。
大手の企業が 漁業と水産加工業に触手を伸ばすチャンスを狙いやすい状況を地震と津波が作りだしたのだと言うことが実感として分かりました。

宮城県の漁業協同組合や水産加工会社を営んでおられた関係者が、地元の経済が破壊されると反対をしています。
国は地元の意向に沿って、復旧復興を行うべく、取り組むべきです。

前にも報告したと思いますが、
ガレキが片付けられつつあるとはいえ
結局、被災者の多くは家を失ったまま、地元の企業も自社の営業を再開できないままです。
この中から、自らの自宅と企業を再建するのには
私たちに計り知れないエネルギーが必要です。

そのエネルギーを掻き立てるのは
私たち名もない国民のボランティアではありません。
失った財産、自宅、事業、仕事を再建するための政治的な保障、政治の後押しによる再建のための財政支援の制度をいち早く作ることです。
それ無くして 復旧も復興も、住民自らが立ち上がるのは厳しいと
被災地の現場に立ってみて痛感しました。

国会が 国民の命と財産を守ると言う役割をしっかり果たしてもらいたいです。

ふっこうは何から?改題=復旧、復興は被災者の希望を入れてこそ 

2011-07-09 23:40:51 | 災害について
10日 読み返してビックリ
寝ぼけ眼で書いたので、最後のほうはつじつま合わず
書き足しました。ごめんなさい!!


上の写真は、何だと思いますか?
実は女川の駅のホームなんです。
あの震災、津波でホームの屋根も線路も、電車も流され、
ホームの名残は、台の上に残された黄色い点字ブロックです。

初め、「あれは駅なんだよ」と言われた時は、土手の向こうに駅があると思ったのです。でも土手そのものが駅のホームの名残だとは思わなかったのです。

下の写真は、女川町役場です。結構な高台にあります。
でも、三階まで津南で破壊され、町役場は使い物になっていません。


下の写真は 町役場に到達したボートです。


また、障害学習センターも最上階まで津波の痕跡が残っています。
外側は何の問題もなかったように見えます、が、窓は割れ、その一つには車が刺さっていました。




女川町の高台、町役場のあるところよりも更に高い所にある町立病院の一階も波にやられた跡が残っていました。
その病院から見下ろす町は 一面ガレキ、解体の済んでいない建物の中には、2階建てや4階建てのビルそのものがひっくり返っている姿も見えました。

被災地のひどさは聞きしに勝るものがありました。
復興に、市民の町民の意見を活かし
被災者の生業を復活させるための、
人々のくらしの拠点を再建するための取り組みが何よりも急がなければ、
被災地の人々にただ頑張れといっても立ち上がることはできないと強く思いました。

国会で 管首相にいつやめるのかと聞いている暇があるなら
被災地に出かけて行って、
被災者と相談し、復旧、復興の具体的な方法を探って来い
避難所に泊まり込んで、被災者の苦労を体験してみなさいと言いたい。