アマミホシゾラフグ

2017-09-18 11:14:15 | 故郷 奄美大島


しわくちゃにしてしまったが
今日の赤旗の記事である。
新種のフグが海底で作る不思議なミステリーサークルのなぞを解き明かすというもの。

数年前から話題ではあった。

お盆の帰省中に 町の図書館に伺った際
新種の魚などの展示があって
奄美大島 大島海峡 瀬戸内町の近辺で見つかったものなど
多くの展示があった。

その後でのこの記事である。



地図は 奄美大島と 南端の瀬戸内町の位置を示している。
このミステリーサークルが見つかったのが
大島海峡である。
奄美本島と加計呂麻島の間の海だ。

この中で20年も前に水中写真家の大方洋二さんが
海底に不思議なサークルを見つけたそうだ。
そしてさらに6年前
 小さな魚がサークルを作っているところを目撃

その後その体長10センチほどの魚が新種であったことも判明。
 アマミホシゾラフグ と命名された



写真が見にくいが
サークルづくりの初めの一歩も観察され



このサークルが産卵のための物であったことも判明。

まだまだ究明すべき課題もあるという。

遠い奄美の海の生物の生態解明に
千葉県の県立中央博物館の研究者たちが関わっているというのも
研究者であるから当然と言われればそれまでだが
不思議である。

奄美の住人達は 何もないからね~ とよく言う。
いやいや
不思議なことや まだまだ見たこともないとが多くある島である。

まだまだ 知らない所があった 奄美

2017-09-16 10:39:19 | 故郷 奄美大島


上の地図は奄美大島のほぼ全景である。
右上 北の方に奄美空港があり
左下 南の方にわが故郷の瀬戸内町がある。

そして 今日の話題は 北側の竜郷町の美しい風景である。

数カ月前 NHKの❝ブラタモリ❞で奄美大島が紹介された。
その時 タモリさん一行が訪問した先に
奄美自然観察の森
があった。

今回の里帰りで 妹たちとそこを訪ねて出会ったのが以下の風景である。

上の写真は 竜郷湾に突き出た半島である。
観察の森の ドラゴン展望台から見た景色だ。

因みにドラゴンとは 竜郷町 という地名によるらしい。
私の撮り方が下手なので そのようには見えないが
肉眼で見ると まさに 二つの角を持った竜が 海に横たわっているように見える。


奄美は 写真のような深い森におおわれている。
ほぼ原生林である。
春先や初夏には美しい花が咲いているのも見えるだろうと思う。
向こう側に見えるのは多分笠利崎であろうと考える。




そして 旅をする蝶 アサギマダラである。
中々 止まってくれず 数回の出会いでやっと写真に納まってくれた。
アサギマダラは タラノ木の花に群がる と母が教えてくれた。


暗い森の中で 白い花を見つけた ノシランである。
暗いのでよく目立っていた。
日本の各地で普通に見られる。
物の本によると 東海地方より西に生え 原産地は日本と韓国らしい。
式根島にもあった。


最後は 奄美自然観察の森の入り口である。
なぜ最後かというと、
我々は 駐車場から即森の中に入ったので。
道路に出て初めて 入口 というか門があることに気付いたのだ。

この自然観察の森は 開演されてから幾年経つか不明にして知らない。
ブラタモリで その存在を始めて知った。
そこに行くことを決めて 冒頭の美しい風景に出会えた。

いつもなら空港に降り立ち、バスやレンタカーで竜郷町役場を右に見て左に進路を取る。
今日の風景は 右に進路を取らないと出会えないのである。

空港に降り立つ度に あちこち寄り道をしていくことにしているが、
まだまだ知らない 土地や風景があることを思い知らされる。

わが故郷 奄美大島は 小さな島だが 奥行きは広いのである。

奄美のお盆

2017-09-09 21:18:45 | 故郷 奄美大島
9月1日より一週間 母の初盆で帰省した。

実はその一週間前に ご先祖様たちをお迎えする七夕の準備で妹の一人が先乗りした。
島の七夕は 大変重要な行事である。
ご先祖は七夕を目印に返ってくるとされ、旧の7月7日早朝に先を争って立てるのである。

島のお盆はお供え物というか 仏様への食事作りが大変だ。
特に、私は 昨年まで20年以上、
お盆の時期に帰省することが出来なかったのでその仕来りの知識は皆無。
母方の祖母のお盆の支度を手伝ったものだが、すっかり忘れてしまった。

お盆の少し前に、わが故郷では『型菓子』という落雁を自宅で作った。
しかし今はお店で買ってくるのが主流になった。
この季節の子どものおやつになった。
型菓子は
米の粉などに黒砂糖の粉や水飴などを混ぜ、お湯で練り合わせ
松竹梅の型を掘った 木型に詰め、大きなテーブルに ポンと打ち出し
ざるの駕籠などに詰めて保存し
仏様のおやつやお茶請けとして供する。

さて、9月3日(8/13)初日は 午前中の早い時間に墓にご先祖様をお迎えに行く。
そして、仏壇からお位牌を出し、テーブルに並べ、供物を並べ、提灯を灯す。


2日目からは、
手前にご飯と呉汁(落花生、青物)、
真ん中に漬物(梅干し)、
奥に煮物(結び昆布、生揚げ、手綱こんにゃく、干しシイタケ)とさしみ(冬瓜のワタの部分を薄切り)
の5種類を足つきの膳に乗せて供える。

これがとても大変だ。
というのは、先祖用の食事は小さなままごとのような塗りのお椀に入るよう
小さく小さく作らなければならないからだ。


お供えの食物は 基本的に精進料理である。

これを繰返し、3日目の送りの膳を作り、夕方送りの墓参りに行く。
この送りの時は、子どもたちは新しい浴衣を着て出かけるのが常であった。
わが兄弟姉妹も、祖母の縫ってくれた浴衣を着せてもらったものである。

三日間本当に忙しい。でもその中心になったのは
毎年夏と冬 母の支度を手伝うために寄生していた妹であった。
母亡き初めての盆の支度は、彼女が撮ってあった写真を参考にした。

伝統は 毎年実行してこそ受け継がれていくものだと痛感した。

嘉鉄のサンゴの石垣 海岸沿いの集落にて

2017-04-29 11:05:31 | 故郷 奄美大島










奄美大島の元風景の一つである。

私の生まれ育った町は、瀬戸内町(せとうちちょう)という自治体の
古仁屋(こにや)という町である。
町役場や県の出張所、警察署、銀行、郵便局、高校などがあり、
一定の規模のいわゆる町なので上記のような風景はない。

私の実家から集落で3つほど先、車で15分程度の”嘉鉄(かてつ)”という集落の風景である。
サンゴの石を積んで垣としている。
石は黒ずみ、年月を感じさせる。

中にはイタビカズラでおおわれているものもあり
実もついていてなかなか風情がある。

車道は主に集落の外側にあり、中の道は大変狭い。

集落には小学校があるが、中学校は以前に古仁屋中学校に統合された。
集落の方々の意向だったという。

奄美の集落はほとんどが海に向かって作られているので
どの集落もきれいな海岸を持っており、
海の中ではサンゴや熱帯のきれいな魚が泳いでいる。
そして、風を防ぐために、サンゴの石垣が作られている。
他の集落でも残っている。

これらの集落を訪ねるのも島に帰る楽しみの一つである。

ふるさと奄美の実家 母の作っている庭

2016-03-03 14:15:33 | 故郷 奄美大島



母の具合が悪いと呼び出され
緊急に奄美へ

前日に手術をした母は
意外に元気で
心配して空路行った私も一安心

持っていくか否か迷いつつ
持参したカメラ

安心したら
母が野菜や 島のユリや 紫蘭などの花を
アトランダムに作っている庭の花に目が行った。

近所の街路に桜が咲き
メジロが居るのを見て
みかんを輪切りにして
我が家のみかんの樹と柿の木の下枝においてみた
早速
メジロがやってきてついばんだ

パフィオペディラムというランも咲いており
春の気配が濃くなっていた

わが母校が甲子園に

2014-03-20 10:53:09 | 故郷 奄美大島
言いそびれていたが

わが母校

鹿児島県立大島高等学校



21世紀枠で

甲子園出場が決まり

みんなで応援に行こう



同窓生から連絡

わが妹たちも力が入っているらしい

しかし、残念ながら

議会や家庭のことで

いけそうもない

僻地の歴史の古い学校である

ぜひ 2回戦に駒を進めてほしいものである。

自分のプロフィールを見て思い出した。

頼りにならない先輩だが応援している。

がんばれ! 

自分たちらしくがんばって!!

今日は七草です

2014-01-07 12:30:00 | 故郷 奄美大島
遅ればせながら
あけましておめでとうございます。

今年初めての更新です!
今日はこれから 厚生委員会があります。

議会事務局の受付カウンターに
七草が植えられた籠が置いてあり思い出しました。

我が故郷では、
七日の七草には、
七五三の子どもが
晴れ着で
お椀を持ち
親戚中の七草粥をもらって回る風習がありました。

私は、自分自身、妹たちの付き添いとして
まわった記憶がよみがえりました。

七草粥を
私の町の方言で
なんかんどうす(七草雑炊の意)
といいます。

今も行われているかどうかはわかりません。
多分、子どもが健康に育つようにとの意味が込められていたのでしょうか!!

七五三のお宮参りの風習は 当時はありませんでした。

ふるさとを思い出しました。

奄美の祖国復帰運動の歴史を勉強中です

2013-04-11 12:38:50 | 故郷 奄美大島
今 ある事情があって
奄美大島の祖国復帰の運動の歴史
を勉強しています。

今年は 日米講和条約が締結されて
60年になります。

政府は、
日本の主権が回復した日
として 祝賀式典を行う計画です。

しかし、
ちょっと待った!!!
と言いたい。

日本の主権は本当に回復されたのか
平和と民主主義は回復されているのか
日本の国のことを
本当に
日本の政府が独自に決めることができているのか

そして何よりも
奄美や沖縄や小笠原を
アメリカの対日要求に従って切り離したうえでの
サンフランシスコ条約と
日米安保条約を発酵させたのです。
この日を本当に
主権回復の日として祝うのか
と言いたい。

おりしも沖縄では
米軍基地の撤去を求めて島民が
必死の運動を続けているのに
その願いを踏みにじり
今度も
アメリカの要求を最優先に
辺野古への基地建設を押し付けようとしている

そんな自民党政府は
国の主権を実現するということが
本当に分かっているのかと
言いたい。

未だに外交も
日本国内の米軍基地の廃棄も
アメリカ政府の顔色を見ているのに…

奄美紀行

2012-03-10 22:09:18 | 故郷 奄美大島


鹿児島県大島郡瀬戸内町(せとうちちょう)
というのが私の故郷です。

瀬戸内町は
加計路間島(かけろまじま)や与路島、請島など
有人無人のたくさんの島々と
たくさんの集落からなっています。

その集落には、
写真のように、珊瑚の石垣や
ガジュマルの生け垣など
奄美らしい風景がたくさんあります。

またほとんど全ての集落は
海に向いて開いています。

私が子どもの頃は
遠い集落との行き来は
船が主要交通手段でした。

バスや車より距離的に早かったのです。

初めての大アサリ 採ったど~

2012-02-11 20:21:32 | 故郷 奄美大島
このところ 潮の引きがよいようで
潮干狩り というか 自分の集落の前の浜で
貝を 採るために 出ている人を見かけます。
実は 潮干狩りには特別の思い出があります。

旧の3月3日は 浜下れといって
潮干狩りの日です。
学校は短縮の2時間授業で
家族そろって 弁当を持って
貝拾いに行くのです。

潮が引いている浜辺を見ると 貝を捜したいという思いが募ります。
この2~3日がそうでした。
今日 西古見という集落
瀬戸内町の最も西の端にある集落に
三連立神を見に車を走らせた帰り

久慈と言う集落で 女性二人が 浜に出ているのを見つけ
何を採っていますか? と聞いてみました。
答えは 私が好きなテラダ(マガキガイ)でした。
私も 露出した 海底(?)を歩いてみました。
そして 初心者ラッキー
写真の大アサリを見つけたのです



これは何?
と聞いたら 浅利よとの答え びっくり
その近くにもっといるかもよと言われ探したけどダメ
残念 これは 一人の人に差し上げて帰りました。



浜辺で貝を捜す姿
奄美では ポピュラーに見ることのできる姿です。

東京からの飛行機から 奄美空港に降りるとき
引き潮のときには
潮干狩りをしたい という思いを強くします。

今日は 自分の口には入りませんでしたが
ちょっと満足でした。