奄美は桜が終わりです

2012-02-10 21:36:24 | 故郷 奄美大島




車で国道58号線を走っていて
あ 桜だ と気が付きました。

でも、葉っぱも出ていて 終わりに近づいています。

緋寒桜です。

濃い ピンクです。

山の中の松に混じって咲いていると
とてもきれいなのです。

ところが 今我が奄美大島の山は
松くい虫で茶色に
世界自然遺産に登録するための
国立公園構想が浮かび上がっていると
ニュースで報道されていましたが
この松くい虫対策を
なんとかしなければと思います。

奄美の深い緑は 松と雑木林の常緑樹に支えられているのですから…
このままでは 山が茶色一色になりかねません。

島の料理(じゅり)食べました

2012-02-09 21:19:31 | 故郷 奄美大島


今日は 旧名瀬市泊まり
奄美への航空券は 単純に往復を買うと7万円を超えます。
個人ツアーにして ホテルを一泊組み合わせると
5万円
レンタカーを5日間で2万円

そこで 名瀬に宿泊ってわけ

でも 外に食べに行くのも面倒なので
ホテルのダイニングで
島の魚 といっても 本土と同じ種類
島のてんぷら

いゆー味噌(魚を味噌と和えてある)
ウヮー味噌(豚肉を味噌と和えてある)

を食べた

あす 母の待つ 瀬戸内町古仁屋に向かいます

奄美パーク(一村記念館)で見つけた

2012-02-09 21:05:53 | 故郷 奄美大島


空港から降りて レンタカーを受け取り
空港近くの奄美パークへ

本当は あやまる岬に向かうつもりだったのだが
朝から何も食べてなかったので
お昼を食べに 油ソーメンを食べました。

せっかくだから一村の絵画の展示を鑑賞
その後 庭を散策中
ルリカケス を見つけました。

木の枝の間に頭だけ見えています。

もっと姿をしっかり写したいと思ったのですが
追いかけまわしてもダメでした。

でも ルリカケスの写真 初めてです。
チョーラッキー

真中に 白いくちばしと 瑠璃色の頭が見えませんか?

奄美への旅です

2012-02-09 11:14:58 | 故郷 奄美大島
11時40分発の飛行機で、奄美に帰省します。

小学校の同窓会があるからです。12年ぶりに会える友人もいます。
誰に会えるか楽しみです。
奄美も例年に無く寒いと
母が言うので、
何度かと聞くと
14度だと

娘達が
ぜいたく言うなって伝えてと言っていました。

奄美の人にとっては寒いのです。
奄美人の私は理解できます。
でも きっと寒く無いじゃないと思うことでしょう。

久しぶりに妹たちと奄美に帰ってきました=亡くなった妹も含め6人兄弟が集まりました

2011-07-22 00:16:07 | 故郷 奄美大島
7月の14日~17日まで 帰省しました。

昨年 妹の帰省に合わせて奄美を訪れた我が娘が
お母さんたち おばあちゃんの家 掃除をしに帰ってあげたらいいのに
と言ったのがきっかけでした。

浜畑(はまばた と読みます)家の恒例の 年一回の旅行を
奄美にすることに決め
すでに 実家にいる弟、早くに亡くなった妹も含め姉妹6人が集合しました。

14日は 旧名瀬市に母も一緒に泊る予定で
夕陽の美しい 浜に 妹と3人で写真撮影に
母や 妹の亭主や 別の妹は宿に引き上げ

でも 美しい夕陽を満喫しました。






落日の様子です。
最後の輝きは 一瞬です。
見逃さないよう 細心の注意が必要です。

奄美の誇りある風景の一つです。

青い海青い空

2011-07-16 22:05:02 | 故郷 奄美大島

大島海峡の出口です。
出口と言うのは 鹿児島からの船が徳之島に向かって行く方向だからです。

台風が近づいています。
海の波の波動が大きくなっていました。

でも いつもに増した 青い海面でした。

直接 見せてあげたいです。

写真の貼り付けに失敗しましたので
今日 7月19日貼り付けました。

ヤコウガイ食べました。

2011-07-16 21:47:05 | 故郷 奄美大島
奄美に帰っています。
イーモバイルが圏外でブログの更新ができず、せっかく撮った写真はアップすることができませんでした。
今日は私のふるさと瀬戸内町の海辺の宿に泊まっています。
今夜は
母や東京から行った妹や、その夫と美味しい食事をしました。
写真は,夜光貝のお刺身です。
こりこりした食感で,美味しいのです。
大きな貝殻でした。

奄美の美しくしい景色は,帰京してから!

鹿児島県立大島高校同級会

2010-11-21 09:24:37 | 故郷 奄美大島

昨日 鹿児島県立大島高等学校第22回卒業の同窓会が川崎で行われ、
武蔵野線、南武線を乗り継いで出かけました。

2年ぶりの参加で、久しぶりの友人たちと近況を述べ合ったり、旧交を温めました。

関東の近県にいる友人たちは約80人
昨日の参加は16人と ちょっとさびいしい感じでしたが、
参加できるようになったら参加してくれればいいよねという気持ちで
毎年幹事の皆さんが案内状を送り続けています。

私も議員になる前となった後の数年幹事をしていましたが、
幹事会に参加する事が出来にくく、
「お前は来れるときに来てくれればいいから」と名前だけの幹事にしてもらっています。

会うなりやっぱり先の豪雨被害の話になり、
「おれんとこは大丈夫だった」など報告しあいました。

高校は旧名瀬市にあって、多くの生徒が学生寮や下宿で、奄美各地から集まってくる学校の体育祭は、地域ごとの競争で、公野菜には後夜祭には各地の盆踊りで盛上がっていました。応援合戦も名物で、昨日の締めはやっぱり校歌と応援歌の合唱でした。

我が大島高校の校歌(新制高校後)です。

立神を繞(めぐ)りて 清き新潮(にいしお)の
香にたつあした 相和して
われらうたわん 夢高き自立の調べ
研学の理想に燃えて 見よ挙る
大島高校

安勝の緑に映えて 自主の窓
輝くところ 真理追う
個性豊かに 培うは不屈の気魄
友愛の誠も篤く 見よ励む
大島高校

新川のせせらぐほとり 春秋の
幸みつ学園(そのお) 誇りある
その名かざして 天翔る抱負の翼
みんなみの光と勢(きお)い 見よ進む
大島高校

戦後の新しい高校として出発した
自主、自立の、自由の校風を示している校歌だと、今改めて思います。
最近は、進学高校として名を馳せる学校になりたいとの校風が強くなっているようです。

共に同じ学校で学んだ仲間たちは
クラスが同じでなく、高校時代には全く友だち関係どころか
見たことが無いという友人たちも今は親友みたいに
「おいお前」とか「ひでき」だの「清美ちゃん」だのと呼び合っています。

数年ぶりに楽しい回合でした。


奄美の大雨=わが故郷古仁屋はどうなったの

2010-10-21 11:52:57 | 故郷 奄美大島
昨日の午後、インターネットを開くと
奄美に大雨の記事が

ものすごい勢いで降っていて水害も・・・とあったが
出ていた地域は、私が高校を出た旧名瀬市と旧大和村が中心
古仁屋(奄美本島の南端)の被害は報道されなかったので特に実家に電話をかけることもせず

しかし、昨夜妹からのメールによって
家は大丈夫だけど、でも道路などは通行止めで
弟は、徒歩でずぶ濡れになって帰ってきたみたいよと知らされた。

それからすぐ電話をかけてみたが不通
テレビの報道を見ても、写っているのは奄美市のことばかり

我が家に行くには、本島北の奄美空港から、奄美市名瀬を通り抜けて、水害のひどい旧住用村を通り、瀬戸内町へ、東西をつなぎ道路を行くしかない。
住用村が通れないから、報道の人々も行けないのかもしれない。
島をめぐる海沿いの道もあるが、それこそこの大雨ではいつ土砂崩れにあうかもしれないし・・・
等々、考えても仕方のないことを考えている。

娘たちが世話になった保育園の園長先生が
「奄美は大丈夫?」と電話をくださった。
ありがたいことだと、受話器を持ちながら、見えない先生に何度も頭を下げた。

台風銀座と言われる奄美大島でも、腰までつかる水害には見舞われたことがない。
グループホームのお年寄りが亡くなられたとか、80歳を超えるお年寄りが土砂崩れの犠牲になられたなどの報道もある。
一刻も早く雨がやむことを願いたい。

奄美の皆さん、御無事で・・・・

文部省唱歌『ふるさと』に思う

2010-10-12 22:56:14 | 故郷 奄美大島
今日 TVで BS朝日をたまたまつけたら
ふるさと を作詞した 高野辰之博士と故郷のことを描いた
うたの旅? を放送していました。

ふるさと は わが国の国歌にしたらいいじゃないのと思う
大好きな歌です。

歌詞をそらんじて歌えますか?

うさぎ追いし(美味しいと思っていませんでしたか?)
かの山
こぶな釣りし かの川
夢は今もめぐりて
思いいずる ふるさと

如何にいます 父母
つつがなしや ともがき(友垣)
雨に 風に つけても
思いいずる ふるさと

志を 果たして
いつの日にか 帰らん
山は青き ふるさと
水は清き ふるさと

作詞者の長野県中野市を故郷にしている
高野辰之の書いたこの詩は
日本全国どこの地にも当てはまる名作で

ウサギなんか追いかけたこともない
というか アマミノクロウサギは 耳の長いウサギではないので・・・
奄美出身の私でも

ウナギや 手長エビを獲った川
川をせき止めて泳いだこと
集落を取り囲む山々は
夏になれば ユリの花が一面に覆い
常夏の奄美で 濃い緑の松や常緑時に覆われた山々の風景

帰省するたびに
これらの風景に接し
あぁ 帰ってきたんだと思うホッとする感じ・・・
唱歌 ふるさと の歌う世界はそういう世界です

失われたように見える 日本の原風景
失いたくないと思う日本の原風景を 唄い
だらこそ 生まれも育ちも東村山のわが娘たちにも支持されるんだということを
痛感しました。

戦時高揚の唱歌も数多くあり
安心して歌えない物もありつつ
でも こうした唱歌は
唄うことで 自分が優しい気持ちになれるので
大好きです。