沖縄慰霊の日 ふぃーわ(平和)ぬしけー(世界)どぅてーしち(大切)

2016-06-27 08:07:39 | 政治
遅くなったが23日の沖縄慰霊の日
平和の詩の朗読も行われた。

小学校6年生 仲間理咲さんの詩である。
表題のタイトルが付いていた。
新聞報道された全文を読んだ
手元に置いておきたいと思い切り抜いた。
多くの人の目に触れてほしい。

『平和(ふぃーわ)ぬ世界(しけー)どぅ大切(てーしち)』

「ミーンミーン」
今年も蝉の鳴く季節が来た
夏の蝉の鳴き声は
戦没者たちの魂のように
悲しみを訴えているということを
耳にしたような気がする
戦争で帰らぬ人となった人の魂が
蝉にやどりついているのだろうか
「ミーンミーン」
今年も鳴き続けることだろう

「おじぃどうしたの」
左腕をおさえる祖父に問う
祖父の視線を追う私
テレビでは、戦争の映像が流れている
しばらくの沈黙のあと
祖父が重たい口を開いた
「おじぃは海軍にいたんだよ」
おどろく私をよそに
「空からの弾が左うでに当たってしまったんだよ」
ひとりごとのようにつぶやく祖父の姿を
今でも覚えている
戦争のことを思い出すと痛むらしい
ズキンズキンと・・・
祖父の心の中では
戦争がまだ続いているのか

今は無き祖父
この蝉の鳴き声を
空のかなたで聞いているのか
死者の魂のように思っているのだろうか
しかし私は思う
戦没者の悲しみを鳴き叫ぶ蝉の声ではないと
平和を願い鳴き続けている蝉の声だと
大きな空に向かって飛び
平和の素晴らしさを尊さを
私達に知らせているのだと

人は空に手をのばし
希望を込めて平和の願いを蝉とともに叫ぼう
「ミーンミーン」
「平和ぬ世界どぅ大切」

軍人だけでなく
多くの民間人が犠牲になった沖縄の苦しみに
我々がどれだけ自分のことと受け止め
二度と同じことを繰り返さないため
平和の世界を作る努力をするのかが問われている。

沖縄慰霊の日 ①翁長知事の言いたかったこと理解すべき

2016-06-24 22:22:30 | 政治
沖縄問題
今、参議院選挙、都知事問題で
後景に追いやられている。

しかし、昨日6月23日は 沖縄県の条例で定めた休日
慰霊の日であった。
1945年6月23日 組織的戦闘が終わった日である。
国体護持(天皇制維持)のために、戦果を挙げてから
という天皇の言葉に
本土決戦のシールドとしての沖縄戦
が続けられたために
犠牲にならなくても良かった人々が大勢(といっても足りない)の人々が
犠牲となった日である。

この日は、国の機関以外はすべての公共機関が休日となり
沖縄全戦没者 沖縄の内戦で亡くなった住民も軍人も
とにかく全ての戦争で亡くなった人々の慰霊の日として
平和を願う日なのである。

新崎盛暉沖縄大名誉教授の
岩波新書 『沖縄現代史』や『日本にとって沖縄とは何か』を読めばわかる。

その日23日に 翁長知事が述べた平和宣言は
「基地があることで事件事故が繰り返されてきた」こと
「今回も非人間的で凶悪な事件が起こり、県民が衝撃、不安、憤りを感じている」こと
「日米安全保障体制と日米地位協定のはざまで生活せざるを得ない沖縄県民に
憲法の保障する基本的人権が等しく保障しているのか」
と、政府に問う。
そして
「日米地位協定の抜本的な見直し、基地の整理縮小を割きくりせず直ちに実現することを求め」
「辺野古移設は県民の理解を得られない。許容できない」
と宣言。
「世界では貧困、飢餓、差別、抑圧など人権を脅かす多くの深刻な課題が存在する」が
「解決のためには、平和の創造と維持に取り組むことが重要」と警鐘を鳴らす。

結びに
犠牲者を慰霊し、平和を希求する沖縄の心を礎とし、
子や孫のために
誇りある豊かさを作り上げ、恒久平和に取り組む
と決意を述べた。

翁長氏はもともとは保守の位置におられた人である。
しかし、県民の切実な願いに背を向ける政府や県政に対し
県民の願いを実現すべきであるという
まさにリベラルの立場で県知事として活動しているのだ。
議会や自治体首長として本来あるべき姿である。

この沖縄の心が理解できず
基地建設計画を粛々と進めるといってはばからない自公政権の姿勢は
打倒されるべき存在であろう。

比べることも翁長氏に失礼なことながら
舛添前知事は
その足元にも及ばない!

舛添氏 最後の登庁も都民に謝罪なし? それだけの人よ

2016-06-21 09:33:11 | 政治
舛添氏が最後の登庁をした日 20日
マスコミが詰めかけ
「何か言うことは無いのか」
と、問うも
無言で 警備陣に囲まれ退庁したとか

つまり、そういう人でしかなかったのである。

保育待機児問題などの山積した都政の課題をそっちのけで
世界中(大げさかも知れないが)の都市を巡り
オリンピック最優先と趣味の美術館巡り優先。

そして、国民の税金である政党助成金の私的流用
公用車で毎週末他県所在の別荘行を指摘されると
「奥多摩よりは便利」と言い
多摩格差是正を願う多摩都民に心を寄せることもなく

豪華宿泊費を指摘されると
知事ともあろうものが二流三流の宿泊所に泊まったら住民として恥ずかしいでしょ
と横柄に答えた。

二流三流の宿に泊まったことが分かったら
都民は恥ずかしい思いをするどころか
知事さんが都民の税金を節約してくれているんだ
と信頼がぐっと高まったのに…

そういう庶民の感覚とかけ離れた
所謂 俺はビップなんだ という自己慢心が
今回の無言の退庁にも現れている。

きっと彼は、
自分には何の落ち度もないのに辞めさせられたという思いが強いのではないか?
だから 都民への謝罪などもってのほかなのであろう。
つくづく知事足り得なかった人物だと思う。

舛添氏にとって
オリンピックは自己を世界にアピールする舞台となるべきイベントであり
都知事になった意義はそこにしかなかったんだろうね!

オリンピックが来て良かったとはみじんも思わない私だが
開催時の知事が舛添氏とならなかったこと
その前に今年のリオから次期都市に引継ぎを受ける知事が
舛添氏でなくてよかったと心から思うのである。

ポスト都知事へのマスコミ報道に怒りの日々

2016-06-19 12:51:51 | 政治
舛添都知事が 
都民の怒りの前に、都知事の椅子に座り続けることが困難となり
辞意を表明した。

途端に、マスコミは ❝ポスト舛添❞ なる報道を始めた。

与野党の国会議員、元宮崎知事、元大阪市長
タレントの名前を冠にその父 等々が取りざたされている云々…

しかし、
一体全体どこでそんな名前が挙がっているというのだ?
その根拠は全く示さない。
都民そっちのけの、連日のバカ騒ぎに、
誰目線?と腹を立てていた。

今日の赤旗に
「武田砂鉄の いかがなものか⁉」と言う記事が載っていた。
不勉強にして武田砂鉄氏のことは知らなかったが、
記事を読んでなるほどと思った。

武田氏は、
各局が街頭で「次期都知事は誰がいいか」と問い
街中の皆様が上記の名前を素直に挙げていることに
手早くニュースを作り上げる製作者の釣り糸にひっかかっていいのか
と批判している。

この間の報道を見ていたことから判断するに
街の声が上げる名前は
マスコミがポスト舛添で垂れ流した名前である。

さらに
マスコミは、候補と名を挙げた人たちの
「そのつもりはない」「打診されていない」などのコメントをわざわざとって、
でもその方向で進むかのようなニュースを作っている。
都民の一人として
既成事実を作り上げるかのような報道の仕方に腹が立つ。

見識があると自他ともに認めているであろう
報道番組のキャスターからして
その局の報道姿勢からは逃げられないと見え
ポスト舛添論を展開している。

マスコミが作り上げる
有名人候補という虚像に期待するのはお終いにして
今度こそ
清潔で 都民のくらしをよくわかり
それを、日本一豊かな税収で解決を図る
オリンピックよりも
保育所の整備や、若者の就学や就業を応援し、特養の整備など
都民のくらし最優先で進める都知事を!
と思う。

武田氏は、
市川海老蔵氏の妻の病状を勝手な推測で報道する姿勢も批判している。
全くの縁も所縁もない私でさえ
市川海老蔵夫妻やご家族の皆さんの心痛いかばかりかと
これらの報道が流される度に気の毒に思う。
従ってチャンネルを替えることにしている。

武田氏はこうしたマスメディアのあり方に
インスタントな具材を作り続けることに煩悶は無いのか
と問いかけている。

私たち情報の受け手の側も、
マスコミが作り出す情報を鵜呑みにせず、取捨選択し
本当の情報を手に入れる努力が求められているのだと反省した。

舛添知事辞任を都議会議長に提出 ヤットだね!!

2016-06-16 22:10:36 | 政治
東京都の知事 舛添氏が やっと辞表を提出。

共産党都議団が 海外出張の超豪華ホテル滞在など
条例を越えての出費に異議を唱えていた時期から
遥かに
それを超える
都民、住民、国民の
常識では測れない 税金の私的流用に 都民の怒りが増大
しかも
一泊19万円などのホテルに宿泊したことを
2流、3流のホテルに止まったら
首長としてバカにされるでしょう (住民が)情けなく思うでしょう
と、海外のマスコミに語ったとの報道に
一層都民の怒りが募った。

私の感覚から言えば
2流3流(何を持ってそういうかは置いておく)でも
安く泊まれれば それだけ税金を節約でき、都民の評価は高くなる
ということだ。

この間、TVの昼に放映されるサスペンスも我慢して
昼間のTVの報道番組を注視してきた。
都議会総務委員会の中継を交えた報道番組はさすがだとも思った。

私の感覚から言えば
辞任はもっと前の段階ですべきであった。
舛添氏が知事の席に連綿としたのだという感覚である。

「そうではない」
と 本人は言った
しかし、都民の心は既に舛添氏には辞任してもらった方が東京の権威が守られるという感覚であったと思う。
だが
本人は 世界の、日本の、東京の権威を明らかにするために
自分の続投が必要だから 9月まで辞任要求はまってほしいと言った。
正に都知事の座に居座り
オリンピックの引継ぎの『栄誉』をわがものにしたいという一念としか思えない行動であった。

貧すれば鈍する と言う諺がある。
貧乏な生活、経済的に苦しい生活が続くと
常識的な感覚が鈍るのだ、考える力が劣るのだ
と言う意味だと解釈している。
私自身のくらしの中でこれを実感することがある。
私自身は そうでないようにと心がけてはいる。

しかし、金持ちの舛添氏が
他人のお金(税金)で 自らのくらしを調達しようとした結果が今回の出来ごとである。
心が貧しく 鈍した のでしょうね!
因みに
これが民事だと詐欺罪に問われるのでは?
でも税金なので
不適切だが 法律違反にはならないらしい。

貧すれば鈍する の
真逆のことわざが無いのであろうか。

清貧に甘んじる などは 
貧しくても 気高く 誇り高く 生きる姿を現していると思うがどうであろうか?

舛添氏が 辞任したとしても心は晴れない。
なぜなら
私は 当時 宇都宮さんに知事になってもらいたいと思ったのだが
多くの都民は 舛添氏を選んだ
これは都民の責任でもある。

今度の都知事選こそ
有名人でなく 真剣に都民福祉を考える人 を
選出しようではないか
そのための協同を広げようではないかと言いたい。

舛添氏の疑惑解明のための
100条委員会設置に 自民・公明はもとより
民進党も反対したとか
辞任で幕引きでは トカゲの尻尾きりと変わらない。
徹底究明をしない都議会の会派に
二元代表制を司る意義は無い
と思う。

都民はこの辞任劇をつぶさに覚えておき
次回都知事選に生かすべきだと思う。

この感覚は 主義主張の違いではなく
常識の感覚の違いである。

一坪たりとも渡すまい-米軍による土地取り上げに抗して戦った沖縄-

2016-06-05 21:37:54 | 政治
♪東シナ海前にして
 わしらが生きた土地がある
 この土地こそはわしらが命
 祖先ゆずりの宝物

 ♪わしらはもはや騙されぬ
  老いた固き手のひらは
  野良の仕事の傷の後
  一坪たりとも渡すまい

♪黒い殺人機が今日も
 ベトナムの友を撃ちに行く
 世界を結ぶこの空を
 再び戦(いくさ)で汚すまい

瀬長亀次郎氏の
『民族の怒りーもえあがる沖縄ー』の一節に
ベトナム戦争待っただ中
輸送物資を送る基地の強化のために
1965年12月
具志川村昆布農民の土地接収が米軍より発表され
それに抗して戦う人々の姿が描かれている。

もちろん 伊江島を始め数多くの土地が
地主の拒否の表明に関わらず
強権よって接収されたのは前回記したとおりである。

読み進むうちに
子どものころ、
成人となって、
東京で沖縄闘争に参加していた頃
口ずさんでいた歌の歌詞が突然ついて出た。
上記の歌である。

タイトルは
『一坪たりとも渡すまい』
という。
闘いの中で生まれた歌である。

これらの基地建設への土地収用は有無を言わさず
数多く行われた
土地の地主の拒否にも拘らず
無理やり取り上げられた。
こうした人権はおろか財産権すら保障されない占領下の沖縄で
それでも現地では
血のにじむような反撃の運動が行われ、
占領軍、占領国米国を追い詰めていた。
しかし、
その沖縄県人の努力に砂をかけ
ましてや 米軍の立場に立って沖縄県人を弾圧したのが
自民党の沖縄版 民主党(現民主党ではない)であった。

この昆布の土地収用は
米軍とそれに追随する琉球民政府の反共攻撃のデマ宣伝にも関わらず
1971年7月 破綻したのである。
沖縄県民の血のにじむような戦いと本土の人々の支援とが合いまった結果であると瀬長氏は書いている。
これを
批判することは何人たりともできないはずである。

「新基地に反対する人は 基地外(きちがい)の人である」
と言う神奈川県議会の議員の発言は
当時の
沖縄県民の願いに反し
基地の永久化を米軍の圧力に屈して実現しようとしていた
米軍の僕として
日本国民としての沖縄県人の望みを打ち砕くことに躍起になっていた
為政者たちの姿と重なる。

女性殺害事件後、オバマ大統領の遺憾の意の表明後も
米軍関係者の事件が起こった。

正に 神奈川県議会の議員の発言は
自分の人権と 沖縄の人々の人権を同等と見做さない
文字通り基地外の人の無責任な発言だと
私は思う。

沖縄の米軍基地が
ベトナム戦争の最前線基地であったことは
世界中の常識である。
沖縄の米軍基地は
今もなお 
アジアにおける米軍の最前線基地としての位置づけを無くしたくないのであろう。

戦後 71年間
基地によって 本土の私たちの想像を絶する苦しみを押し付けられた
沖縄の人々の願い
基地は廃止
を実現するべく日本中で要求すべき時であろう。

沖縄返還闘争 -1970年代ー

2016-05-26 23:12:44 | 政治
眠い目をこすりこすり書いたら、だいぶ文章が荒れており、誤字もあり、以下少し修正整理しました。(5/28)


1970年代、私は沖縄闘争の真っただ中にいた。

1971年3月、地元の高校を卒業した後半年後に上京。
足立区に居を定め、認可外保育所(保護者と保育者の共同で運営する)に勤務。
当時、沖縄の返還闘争が主流であった。

私は、奄美で育った。
10歳のとき、奄美大島復帰10周年の提灯デモが故郷で行われ、参加したのが「祖国復帰」と言う言葉に接した始めであった。
当時は、伯父が町議であったが
右も左も 一緒になって祖国復帰を成し遂げたと聞かされた。


沖縄の占領政策はその後も続き
基地の建設のための土地の強制収用や人権無視の信託統治が行われ、
沖縄の人々の祖国復帰への願いが日々大きくなり
全国的にも沖縄を返せという運動が高まっていった。

当時、北緯27度線
つまり 鹿児島県与論島沖と沖縄本島との間の27度線上で
沖縄の人々と本土の人々のチャーター船が海上に集まり返還運動を共に進める決意を表す会場集会が行われていた。(サンフランシスコ条約が結ばれた日の4/28日実施)
私も、高校時代参加していた。

上京後、毎日のように行われる沖縄全面返還を求める集会や国会へのデモに行っていた。
当時、核兵器が持ち込まれているとの情報に
核もない基地の全面撤去での返還を求める運動であった。

国会では、日本共産党や人民党など沖縄選出の議員たちが
核もない基地もない沖縄の返還を米国政府に求めるよう要求していたが、
当時の自民党政府は
何の条件も付けずに返還協定に調印したのである。

つい先日起こった女性殺害事件や繰り返される米軍関係者の犯罪の根源は、
あの基地付返還にあると改めて当時のことが想起された。

私は、我が故郷奄美大島の返還運動を改めて学ぶと共に
沖縄の 基地を作るにあたっての土地収用の強権的発動
民主主義を標榜していたはずのアメリカの占領政策の非情さを
故瀬長亀次郎氏の『回顧録』に学んでいる。

読み進むにつけ
終戦から27年に及ぶ占領下で
一切の人権を蹂躙された占領政策の非情さを目の当たりにする。

そしてそれが、72年の返還以後も変わっていないのである。

米軍関係者による凶悪犯罪が起こるたびに
米軍の偉い人が 遺憾の意を表明し
日本政府が 再発防止を求め
でも 何の効果もなく犯罪が繰り返される。

伊勢サミットで オバマ大統領が 遺憾の意を表した?
しかし、
基地を米国本国に引き上げます
と言わない限り
遺憾の意を実現する方策は無い。
そこまで求めてこその日本の政府の沖縄の人々への責任の取り方だと思うのだが
その度胸は安倍首相にはない。
沖縄の人々の命の保障に日本政府は責任を負わないのだと
考えるしかない。

1945年の終戦直前における沖縄戦
その後の
サンフランシスコ平和条約
日米安全保障条約
1972年の返還協定
いずれも
沖縄の人々のことより
自民党政府とアメリカ政府の関係が優先された結果が
今日の事態を招いているということ
瀬長亀次郎さんの手記は克明に記している。

神奈川県議会の議員が
基地に反対している人は「基地外(きちがい)の」であるという発言が
何を意味しているかは明らかであるが、
自国の国民の利益の上に他国の利益、国益を置くことが
戦後の日本国憲法下における民主主義国家にそぐわないことは明らかである。

どの地域に住もうとも 国民の人権は平等である。

為政者たるものその思想無くして
政治にかかわる資格なしと私は思う。

そして、今こそ、
基地は移転ではなく撤去を
と、オール沖縄で闘う人々の願いを実現させる時だと思う。

沖縄の事件 もしや と思っていたら やっぱり

2016-05-20 23:58:35 | 政治
沖縄の 20歳の女性の殺人事件
行方不明の報道があった時点で
もしや基地の関係者ではと直感した。
しかし
思い付きで公言するわけにはいかないので
誰にも言わなかったが結局その通りに・・・

安倍首相は
「憤りを感じる」
「再発防止を申し入れる」
と言うが
でも基地をなくすために努力するとは言わない。

再発防止は
これまで幾多の事件が起きるたびにその都度申入れしてきた
が、功を奏していない
その結果が今回の事件である。

1972年の沖縄返還の時
沖縄県の住民を代表した瀬長亀次郎衆議院議員は
基地をなくし 核兵器の持ち込みをなくしての返還が
沖縄の人々の願いだと
当時の沖縄関連の特別委員会で質疑をした。

しかし、時の自民党政府は
核兵器は撤去すると米軍が言っているので信用します
と、答弁

その結果が
返還後も続く米軍関係者による人権蹂躙、女性への暴行、殺人はとどまるところを知らない。
核兵器の持ち込みも密約で明らかになった。

日本政府はいつまで沖縄県の人々を憲法の及ばない状態に置くのか
今日の事態は
基地付返還に反対した沖縄県民や
私も参加した 沖縄返還闘争の集会参加者
基地もない、核兵器もない沖縄の返還を求めた当時の日本国民の主張が
正しかったことを
辺野古の基地問題も含め如実に表している。

今こそ
自民党とその傘下で与党となっている公明党は
長年 基地被害に苦しみ 我が子や家族を殺され 暴力被害に苦しんだ
沖縄県民の人権を守るために、
沖縄の全ての基地の撤去をこそ
アメリカオバマ大統領に通告すべきである。
それが 再発防止への責任ある政治姿勢であろう!!

都知事よ『清貧に甘んじる』姿勢は無いのか

2016-05-19 09:29:54 | 政治
以下は 5/12に書いたものである。
削除しようかとも思ったが、このまま発信することにした。

舛添都知事の不祥事報道が止まらない。

オリンピックを口実に
海外出張を重ね
使ったお金が半端じゃない。
週刊誌で叩かれ 開いた記者会見で
外国の記者に
あなたの国の要人が二流三流の宿に泊まったとしたらどう思うか
(それを言うあなたが既に三流だから)
とか
国内向けに
それほど高くはない
とか
会議室を兼ねているから高くない
とか
挙句の果てには
事務方が準備したから自分の責任ではないとか
こんなような発言で
それが何か?

と言った姿勢だった。

1泊19万円という報道もあったが
年金暮らしの多くは 2カ月につきこれ以下の年金で暮らしている。
そしてその中から決して安くない都民税を納めなければならない人もいる。
その都民の血税からたった1泊で19万円ものお金を費消する神経
(銭湯で、税金払いたくないよね! と話題に)

都のお金が自分の物である感覚に陥っているとしか思えない。

そして
公用車で別荘に行っていたことを非難されると
東京の多摩地域にいるより(都庁に)近いと宣う
多摩地域の住民にしてみれば
あんたんとこは不便で 神奈川県の湯河原の方が便利
と言われていることになるが
そこには
多摩格差に苦しむ多摩地域の人々への思いは無い

今度は政治資金について
年末年始の家族旅行を会議と偽って支出していたとか

こうなると
あの兵庫県の県議とどこが違うのかと言いたくなる。

マスコミは一応批判しながらも
いまやめさせたらオリンピック成功がおぼつかない云々と…
オリンピックは だれが知事になっても やれるでしょう
(しかもそのオリンピック誘致に賄賂のうわさも取りざた?)

為政者とはこう有ってはいけないということを
地で行く都知事はやめてほしいと
TVなどの報道に接する度に腹立たしい思いだ。

為政者たるもの『清貧に甘んじる』くらいの姿勢でいてもらいたいものである。

またまた子どものこと part 2 -児相体制強化?ー

2016-04-26 13:34:56 | 政治
厚生労働省が
25日
児童相談所(児相)の職員の体制強化プランを打ち出した。
今後4年間で
児童福祉司、児童心理司、保健師を
26%増やすという。

現在の児童福祉司の配置基準は
政令で
人口4万人~7万人で一人と決められている。
これを4万人に一人にするという。

児童虐待対応を中心に行う児童福祉司の配置が
4万人に一人と言うのさえ
昨今の状況で少ないと思うが
一歩前進なのは確か

東京の多摩地域には4つの児相がある。
が、いずれも広大な面積と人口を管轄している。

わが東村山市を管轄する児相は
小平市にあるが
対象地域は9市、
人口合計は約112万人である。

この人口を7万人で割ると
児童福祉司の配置は16人となる。
実際に何人配置されているかはわからないが
とてもカバーしきれないことは以前から指摘されていた。

これが
新基準で行けば28人になり12人増える。
しかし、それでも足りないと思う。
もっと国や都の責任で児相そのものの設置を増やしてほしい。
児相が見逃した虐待死を
今度こそゼロにするためにも