今議会の一般質問で
再び体罰問題を取り上げた。
前回は、2012年度に市内中学校において発生したものを
2013年度の議会で取り上げた。
今回都教委によって公表されたのは2013年に起こったものだ
議会で体罰をなくすとりくみを求めているときに
体罰が起こっていたことになる。
体罰は 学校教育現場における子どもの虐待である。
いずれも部活を舞台に行われているが
2013年度に発生した体罰は
部外指導者が引き起こしたもので
生徒が自分が求めた技術をクリアできなかったから
というものらしい。
殴れば 技術が追いつくというものではない
児童生徒は
何度も間違い、失敗して技術を習得するものであり、
そうして強くなっていく
我々子育てや教育に携わっている者でも
はじめから高度の技術を獲得している者はいない
繰り返し失敗し、自分で失敗から学んで
繰り返し練習をして獲得したはずである。
大人世代が、殴られて強くなったと勘違いし、
それを子ども世界を指導する自分のやり方に活用する。
指導者にあるまじき姿勢である。
体罰は、愛情だ、勝つために必要
と考える人は
指導者には向いていない。
例えボランティアであっても
子どもたちの指導にあたってはいけない。
自ら身を引くべきである。
子ども達を殴ったり、暴言を吐く前にである。
わが娘は
先生方が「お前」と呼びかけることを
極端に嫌がった。
そう呼びかける先生について
「あの先生は、私のことを馬鹿にしている」と常に言っていた。
なんでお前呼ばわりされなければならないのか
というのである。
確かに!!
教職員側はそんなつもりはないのだろう
でも
これら一つ一つのことが
子どもの人権を本当に尊重しているか否かのバロメーターとして
子どもたちの心に映る。
子どもたちに不信感が広がる。
「人権教育」が実を結ぶはずがないと思うのである。
子どもたちは、のびのびと 健やかに育てたい。
導くこと、叱ること
と
怒鳴ること、体罰は別物である。
虐待は 家庭でも、学校でも許されるべきではない
当たり前のことを 大人が肝に銘じよう
とりとめが無くなった。
質問の中身はまた後日
再び体罰問題を取り上げた。
前回は、2012年度に市内中学校において発生したものを
2013年度の議会で取り上げた。
今回都教委によって公表されたのは2013年に起こったものだ
議会で体罰をなくすとりくみを求めているときに
体罰が起こっていたことになる。
体罰は 学校教育現場における子どもの虐待である。
いずれも部活を舞台に行われているが
2013年度に発生した体罰は
部外指導者が引き起こしたもので
生徒が自分が求めた技術をクリアできなかったから
というものらしい。
殴れば 技術が追いつくというものではない
児童生徒は
何度も間違い、失敗して技術を習得するものであり、
そうして強くなっていく
我々子育てや教育に携わっている者でも
はじめから高度の技術を獲得している者はいない
繰り返し失敗し、自分で失敗から学んで
繰り返し練習をして獲得したはずである。
大人世代が、殴られて強くなったと勘違いし、
それを子ども世界を指導する自分のやり方に活用する。
指導者にあるまじき姿勢である。
体罰は、愛情だ、勝つために必要
と考える人は
指導者には向いていない。
例えボランティアであっても
子どもたちの指導にあたってはいけない。
自ら身を引くべきである。
子ども達を殴ったり、暴言を吐く前にである。
わが娘は
先生方が「お前」と呼びかけることを
極端に嫌がった。
そう呼びかける先生について
「あの先生は、私のことを馬鹿にしている」と常に言っていた。
なんでお前呼ばわりされなければならないのか
というのである。
確かに!!
教職員側はそんなつもりはないのだろう
でも
これら一つ一つのことが
子どもの人権を本当に尊重しているか否かのバロメーターとして
子どもたちの心に映る。
子どもたちに不信感が広がる。
「人権教育」が実を結ぶはずがないと思うのである。
子どもたちは、のびのびと 健やかに育てたい。
導くこと、叱ること
と
怒鳴ること、体罰は別物である。
虐待は 家庭でも、学校でも許されるべきではない
当たり前のことを 大人が肝に銘じよう
とりとめが無くなった。
質問の中身はまた後日