カンボジアを訪ねてーアンコール・ワット(アンコールの寺院)

2019-01-25 18:48:11 | 
1月16-20日まで カンボジアを訪問した。
もちろんアンコール遺跡群の観光目的である。

カンボジアの歴史の始まりは 前史時代はともかく
クメール王朝に入ってからが顕著となる?

ジャヤーヴァルマン二世(802年-854年)がアンコール王朝をひらいた。
9世紀末、時の王がアンコールのヤショダラプラに都城を建設
そのころ日本では 源頼朝が義経追討を行い鎌倉幕府へと向かっているところらしい。

1113年 時の王が自身の墓・アンコールワットを建設
また、ヒンドゥー教寺院も建設した。

1181年 ジャヤ-ヴァルマン7世 8メートルの高さの堅固な城壁の「輝ける新都城」アンコール・トム(1190-1431)を都として造成した。

この辺りの遺跡群がアンコールワットとアンコールトムであり、
観光の中心もここである。

今日は アンコールワットを


アンコールワットなどは周囲に大きな堀が回らされている。
この堀に掛かった橋を渡らなければ都城内に入ることはできない。





全景は もちろん撮ることは不可能である。
それでも東西南北に長~い回廊を持つアンコールワットは
クメール王朝時の王ヤショヴァルマン1世がアンコールに都を作り、
その後 スールヤヴァルマン2世が自分の墓として建設したものらしい。



上記仏像は信仰する神をまつった寺院に安置されているが、手などが盗難にあっている。



何しろ アンコールワットを囲む城壁内はとても広い。
この中に、当時は様々な人々の住居もあったと説明が・・・。


カンボジアと言う国が確立したのはこのクメール王朝からだろうか。

現地ガイドのホーさんは
日本の鎌倉時代に、カンボジアでは すでにレンガ(日干し)を焼いて王朝や寺院を作る技術があった 
と自慢していた。
誇りをもっていることが分かった。

次回は アンコール・トム