1月16-20日まで カンボジアを訪問した。
もちろんアンコール遺跡群の観光目的である。
カンボジアの歴史の始まりは 前史時代はともかく
クメール王朝に入ってからが顕著となる?
ジャヤーヴァルマン二世(802年-854年)がアンコール王朝をひらいた。
9世紀末、時の王がアンコールのヤショダラプラに都城を建設
そのころ日本では 源頼朝が義経追討を行い鎌倉幕府へと向かっているところらしい。
1113年 時の王が自身の墓・アンコールワットを建設
また、ヒンドゥー教寺院も建設した。
1181年 ジャヤ-ヴァルマン7世 8メートルの高さの堅固な城壁の「輝ける新都城」アンコール・トム(1190-1431)を都として造成した。
この辺りの遺跡群がアンコールワットとアンコールトムであり、
観光の中心もここである。
今日は アンコールワットを
アンコールワットなどは周囲に大きな堀が回らされている。
この堀に掛かった橋を渡らなければ都城内に入ることはできない。
全景は もちろん撮ることは不可能である。
それでも東西南北に長~い回廊を持つアンコールワットは
クメール王朝時の王ヤショヴァルマン1世がアンコールに都を作り、
その後 スールヤヴァルマン2世が自分の墓として建設したものらしい。
上記仏像は信仰する神をまつった寺院に安置されているが、手などが盗難にあっている。
何しろ アンコールワットを囲む城壁内はとても広い。
この中に、当時は様々な人々の住居もあったと説明が・・・。
カンボジアと言う国が確立したのはこのクメール王朝からだろうか。
現地ガイドのホーさんは
日本の鎌倉時代に、カンボジアでは すでにレンガ(日干し)を焼いて王朝や寺院を作る技術があった
と自慢していた。
誇りをもっていることが分かった。
次回は アンコール・トム
もちろんアンコール遺跡群の観光目的である。
カンボジアの歴史の始まりは 前史時代はともかく
クメール王朝に入ってからが顕著となる?
ジャヤーヴァルマン二世(802年-854年)がアンコール王朝をひらいた。
9世紀末、時の王がアンコールのヤショダラプラに都城を建設
そのころ日本では 源頼朝が義経追討を行い鎌倉幕府へと向かっているところらしい。
1113年 時の王が自身の墓・アンコールワットを建設
また、ヒンドゥー教寺院も建設した。
1181年 ジャヤ-ヴァルマン7世 8メートルの高さの堅固な城壁の「輝ける新都城」アンコール・トム(1190-1431)を都として造成した。
この辺りの遺跡群がアンコールワットとアンコールトムであり、
観光の中心もここである。
今日は アンコールワットを
アンコールワットなどは周囲に大きな堀が回らされている。
この堀に掛かった橋を渡らなければ都城内に入ることはできない。
全景は もちろん撮ることは不可能である。
それでも東西南北に長~い回廊を持つアンコールワットは
クメール王朝時の王ヤショヴァルマン1世がアンコールに都を作り、
その後 スールヤヴァルマン2世が自分の墓として建設したものらしい。
上記仏像は信仰する神をまつった寺院に安置されているが、手などが盗難にあっている。
何しろ アンコールワットを囲む城壁内はとても広い。
この中に、当時は様々な人々の住居もあったと説明が・・・。
カンボジアと言う国が確立したのはこのクメール王朝からだろうか。
現地ガイドのホーさんは
日本の鎌倉時代に、カンボジアでは すでにレンガ(日干し)を焼いて王朝や寺院を作る技術があった
と自慢していた。
誇りをもっていることが分かった。
次回は アンコール・トム