3. 2 世界の現われ ― 生命の外化(4)
世界の現われの第三の特質は、次のように規定される。自己外在化として展開される世界の現われにおいては、何ものによってもそれ自身から引き離されることの決してない超越的生命のようなものが原理的に不可能になる(voir Incarnation, op. cit., p. 120)。この世界の現われがその自己差異化の内で中立的な明るみの中に現われさせるものへの無関心は、それに本質的に内含されたより根本的な「貧しさ」をよく隠し果せない。世界の現われは、それが現われさせるものに対して無関心であるばかりでなく、それに対して実在性を与えることもできない。この世界の現われにおいて見られる、己の内に現われるものに対しての為すすべのない無力さが、その無関心の理由であろう。世界の現われの無関心や中立性とは、ここで、その無力さの表現である。世界を純粋な現われというその現象学的に本源的な意味において最初に考えた哲学者であるハイデガーは、この世界の無関心や無力さ(すべてが無関係になる不安)を見逃しはしなかった。世界の〈現われ〉つまり〈開き示しめすこと〉は、覆いを取り除き、顕にし、開けをもたらす。しかし、何も創りはしない(voir ibid.)。かくして、己自身で現実性を措定できない世界の現われの存在論的な貧しさが顕となる。