フランスにおける自伝文学研究の第一人者 Philippe Lejeune と、彼が創立した自伝協会の共同創立者でもある Catherine Bogaert との共著 Le journal intime. Histoire et anthologie, Textuel, 2006 のアンソロジーの最後を飾っているのは、十三歳の少女の手紙である。その早熟な自己省察に驚かされる。以下は、小生によるその自由翻案である。
十三才の少女フロリアンヌは、二〇〇二年の夏のある日、日記をやめることを決意する。とはいえ、その日記を火に焚べてしまうのは躊躇らわれる。でも、もう手元には置いておきたくない。もう見たくもない。どうしよう。
そのとき、どんな日記でもそれを永久保存してくれる協会がオルレアンにあることを以前どこかで読んだことを思い出す。その協会宛に彼女は手紙を書く。
その手紙の中で、フロリアンヌは自分が初めて日記を手にしたときのことを想起する。
最初の一文は一つの疑問文だった。でも、それに対する答えは自分ではわからない。自分はまだ子どもなんだ。この日記に自分の思っていることを書けば、自分のことが自分でもっとよく分かるようになるかも知れない。うまく書ければ、日記小説みたいなものになるかもしれないと思うと、ちょっとドキドキする。
でも、今読み返してみて、がっかりする。そんなうまく書けるはずがない。
読み返してみて、自分が今幸せであることに気づく。それにイラつく。だって、世界中にはこれほど苦しんでいる子どもたちがいるんだもの、自分が幸せだって思うとムカつく。不幸な自分を想像してみる。一種の心理的自損行為だ。少しスッとする。
でも、また日記を読み返すと、現実へと連れ戻される。マゾな幻想から引きずり出されてしまう。日記が私に向かって「私は幸せだ!」って叫んでいるのが聞こえてくる。
暖炉が見える。燃えさかてっている。私を呼び寄せている。この呪われた手帳を捨てろと私に叫んでいる。でも、どうしていいかわからない。火に焚べてしまいたいという気持ちと取っておきたいという気持ちとに引き裂かれている。
そうだ、Vivre et l’Écrire っていう協会が日記を永久保存してくれるってどこかで読んだことがある。図書館行って調べよう!
それで、今、この手紙をあなたたちの協会宛てに書いています。
自分の日記を燃やしてしまうのはやっぱりイヤ。でも、もう見たくはないの。この日記をどうか保管してください。でも、今すぐは送りません。まだちょっと書き足しておきたいことがあるから。そのあと、よければ、送ります。この日記、南京錠付きなんですけど、それもその鍵も一緒に送らないといけまんせんか。バカみたいな質問でゴメンナサイ。
今の気持ちを言うと、日記を送るんじゃなくて、なにか遺体を送ろうとしているような。その埋葬のためにちゃんと綺麗に装ってあげなきゃいけないかな。
あっ、でも、読んでくれても全然かまいませんよ。秘密にしておきたいようなことはなにもないから。
受け入れOKの返事がもらえると嬉しいです。それと、協会のどなたかと友だち同士にみたいに隠しごとなしの手紙のやりとりができたらいいななんても思っています。
フロリアンヌ
(私、十三才です。言ってなかったと思うので)
この後に追伸があるのですが、そこだけはフランス語の原文のまま引用しておきます。
PS : En tenant cette feuille dans ma main, j’ai eu le même sentiment que quand j’ai pris mon journal neuf. Alors j’ai fait la même chose qu’avec lui. J’ai laissé mon cœur écrire. J’ai dévoilé une partie de moi que personne ne connaît, ni ne soupçonne d’exister. Je crois que je n’aurais pas pu le faire si j’avais écrit sous forme de lettre. Cette feuille est le journal dont j’ai toujours rêvé. Elle est moi (op. cit., p. 457).