十九世紀後半、明治国家の官命による留学生や日本人政治家・企業家・篤志家の潤沢な金銭的援助に支えられた遊学生を除いて、どれくらいの日本人が単身ヨーロッパに渡り、様々な困難を経ながら、そこでの生活を成り立たせるに至ったのであろうか。
これは、人間ドラマとして興味深いテーマであるだけでなく、近代日本精神史の観点からもとても刺激的なテーマだ。彼らの群像を描けば、大河ドラマとまではいかないにしても、かなり面白い歴史絵巻になること間違いなしだと私は思っているが、皆さんはいかがですか。
一八九三年、「東洋の星座」という論文の『ネイチャー』への掲載が決定した南方熊楠は、当時の大英博物館館長のフランクス(Sir Augustus Wallaston Franks, 1826-1897)に面会する。しかし、二十代半ばのまったく無名な東洋人である熊楠がなぜこの当代一流の名士に面会することができたのであろうか。
熊楠をフランクスに紹介したのは、片岡政行(1863?~?)という人物である。この片岡なる人物、英国で「プリンス片岡」と名乗っていた。さぞかし由緒ある出自かと思いきや、実のところ、正真正銘の詐欺師であった。英国で数々の詐欺を働き、かなりの財産を築いたようであるが、それだけ英語および英国文化・事情に精通していたということである(ごく個人的な感想ですが、つい最近終わったばかりの好評ドラマ『コンフィデンスマンJP』の続編は、是非この歴史的事実を生かしてほしい)。
熊楠が片岡に出会ったのは、どこでかというと、熊楠がすでに知り合いになっていた軽業曲芸師、美津田滝次郎(1849?~?)の家でのことである。
学歴は中卒止まりの天才学者、英語の達人の稀代の詐欺師、ヨーロッパで名声を博していた軽業曲芸師。なんとワクワクさせるトリオではないですか。
ああ、才能さえあれば、この三人を主役とした小説あるいはドラマのシナリオを書いてみたいなぁ。