日露戦争開戦の年、ラフカディオ・ハーンの遺著 JAPAN: an Attempt at Interpretation [『日本―一つの試論』]が出版される。他のすべてのハーンの著作と同様に英語で書かれた本書は、日本人にその邦訳が広く読まれるようになるのは戦後まで待たなければならないが、1920年代から30年代初頭にかけては、欧米において日本に関心を持つ知識人・政治家・外交官たちによって広く読まれ、日本文化論として高く評価されていた。ところが、1931年の満州事変以降、日本が国際社会で孤立していくにしたがって読まれなくなっていく。
ハーンの著作を通じて1920年代の欧米で形成された日本像は、1930年代以降の日本の現実そのものによってしだいに否定されていくが、その著作には日本人自身が自国の伝統的精神性を今日再考する上で参照すべき考察が少なからず含まれている。
ハーンの日本文化についての著作群は、1920年代の欧米における理想化された日本像とその後の日本の現実との乖離を計測するために第一級の重要性をもっている文献であるばかりなく、「日本」という異文化を内在的に深く理解しようとした一外国人の省察としても貴重な文化的遺産である。