内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

愚図愚図言ハズニ良キ研究計画書ガサット書ケル、サフイフモノニ私ハナリタイ

2018-06-08 16:42:26 | 雑感

 昨日の記事のはじめにも書きましたように、日本のある基金に提出する研究助成金申請のための研究計画書作成に昨日今日と没頭していました。昨日日本語版を仕上げ、今朝は午前四時からその仏訳に取りかかり、昼前に一応訳し終えました。ヤレヤレ、これで一応この仕事から解放されます。
 でも、ちっとも嬉しくないんです。だって、すぐに取り掛からなければいけない他の仕事が行列をなして待っていますから(そんなに来てくれなくてもいいんですけど…)。
 さて、今回に限りませんが、日仏どちらの版を先に作成するにしても、いずれも自分の文章ですから、訳しているうちにより適切と思われる表現を思いついて、元原稿に手を入れることがよくあります。二言語間で往復運動をしながら両語の文章を推敲することには、一言語内だけで推敲を重ねるより自分の文章をより突き放して見やすいという利点がありますね。
 でも、今回の文章については、正直なところ、出来はよくないと思っています。
 なぜでしょうか。まず、忙しすぎて落ち着いて考える時間がなかったということがあります。しかし、同じような立場に置かれている方々はいずれも似たような条件下で仕事されているのですから、この点について特に私に愚痴る資格はありません(てか、愚痴るのに資格必要なんですか?)。
 今回の助成金申請は、シンポジウム開催とその後の出版を目的としているのですが、できるだけいろいろなところからお金を取りやすくするために考慮しなければならない諸般の事情があり、それを踏まえて研究計画を立てなくてはなりません。でも、これも特別なことではありませんね。
 つまり、ごくごく普通の条件下で一研究計画書を作成したに過ぎないのです。
 でもですね、そうしたあれこれを勘案しながら文章を推敲している、というか、弄り回していると、だんだん嫌気がさしてくるんですよね。特に、今回は、「内発的」な企画ではなく、人から頼まれての「外発的」な立案でしたから、なおのこと気持ちが入りにくかったんです。そういうことって、読む人が読めばすぐにわかっちゃいますよね。
 ハァ~、人カラ頼マレレバ愚図愚図言ハズニ良キ研究計画書ガサット書ケル、サフイフモノニ私ハナリタイ(って、無理か)。