内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「今日はじめて学問の尊きを知る」

2018-06-17 16:57:23 | 読游摘録

 南方熊楠が後年人の求めに応じて書いた「履歴書」によると、大英博物館館長フランクスをはじめて訪ねたとき、「乞食もあきるるような垢じみたるフロックコート」を着ていた。ところが、フランクスは、熊楠の身なりを気にかける様子もなく、熊楠が手渡した英語論文「東洋の星座」の校正刷りを丁寧に直してくれ、一見似た言葉の間のニュアンスの違いについて説明してくれたという。それだけではない。「銀器に鵝を全煮にしたるを出して前に据え、みずから包丁してその肝をとり出し、小生を饗せられし」というのだから、これはまったく異例の歓待だと言えよう。
 熊楠のそのときの感激が伝わってくる「履歴書」の続きを読んでみよう。

英国学士会員の耆宿にして諸大学の大博士号をいやが上に持ちたるこの七十近き老人が、生処も知れず、たとい知れたところが、和歌山の小さき鍋屋の倅と生まれたものが、何たる資金も学校席位も持たぬ、まるで孤児院の小僧ごとき当時二十六歳の小生を、かくまで好遇されたるは全く異数のことで、今日はじめて学問の尊きを知ると小生思い申し候。

 熊楠の論文を読み、話を聴き、フランクスは、熊楠の東洋に関する膨大な知識の貴重さをその場で見抜いたのであろう。すぐに大英博物館の古美術・古遺物部内の資料整理の仕事を熊楠に手伝わせている。館内の図書館への出入りも許可された。利用目的は「scientific researche」、利用資格身分は「student」であった。
 学問的探究の真正さは、出自・国籍・学校歴などによって決まるものではなく、ましてや身なりなどとはなんの関係もない。研究内容そのものがすべてなのだ。熊楠が大英博物館で学んだ最も大切なことは、この学問の世界の本来的な平等性である。それこそが学問を人間の尊い営為にしていることを熊楠はここで決定的に学んだのである。