内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

ラフカディオ・ハーンの東京帝国大学文科大学での「最終講義」

2018-06-10 17:05:27 | 読游摘録

 ラフカディオ・ハーンが1896年から1903年まで東京帝国大学で行った英文学講義の講義録 Interprerations of literature I, IIは、1915年にニューヨークの Dodd, Mead and Campany 社から出版されました。現在そのファクシミリ版がこちらのサイトから無料でダウンロードできます。
 この講義録は、当時の学生たちの克明な講義筆記ノートに基づいています。ハーンは学生たちが十分書き取れるほどゆっくりと、澄んだ美しい英語で講義したといわれています。読んでいると、ハーンの息遣いが感じられます。厳密に言えば、この講義録はハーンの作品とは言えないにしても、他の作品とともに、これからも読みつがれるべき見事な文章です。
 ハーンは、1903年3月、当時の文科大学長井上哲次郎の名で突然解雇されてしまいます。学生たちから留任運動が起こりましたが、結局ハーンは大学を去ります。
 現在のハーン研究では、以下の三点が解雇理由として挙げられています。① 高額な俸給、② 長期有給休暇の申請、③ 日本の文教政策の転換。当時のハーンはすでに日本国籍を得ており、雇用条件は日本人と同じでなければなりませんでした。ハーンは講師でしたから、長期休暇取得の資格はありません。ところが、給料はお雇い外国人待遇で、講師の身分でありながら、なんと当時の東大総長と同額でした。高給取りの外国人教師から日本人教師へと雇い替えを目論んでいた大学当局からすれば、ハーンは格好のターゲットだったのです。
 ハーン解雇後、大学はハーン一人分の給与で三人の日本人教師を雇用しています。よく知られているように、その一人が英国留学から帰国まもない夏目漱石でした。ハーンと漱石との「因縁」についてはすでに多数の先行研究があります。
 ハーンの「最終講義」はとりわけ感動的です。特に、その結語には、卒業後どんなに忙しい職についても文学への愛を忘れないでほしいというハーンの切なる願いが脈打っています。そこを読みながら、私はピエール・アドの exercice spirituel のことを思い出しました。文学も哲学も毎日僅かな時間でも続けることが大切だと改めて自分に言い聞かせました。
 平易な英語で書かれているので、最後の段落の後半を原文のまま引いておきます。

But the principale of literary work is really not to do much at one time, but to do a little at regular intervals. I doubt whether any of you can ever be so busy that you will not be able to spare twenty minutes or half an hour in the course of one day to literature. Even if you should give only ten minutes a day, that will mean a great deal at the end of the year. Put it in another way. Can you not write five lines of literary work daily ? If you can, the question of being busy is settled at once. Multiply three hundred and sixty-five by five. That means a very respectable amount of work in twelve months. How much better if you could determine to write twenty or thirty lines every day. I hope that if any of you really love literature, you will remember these few words, and never think yourselves too busy to study a little, even though it be only for ten or fifteen minutes every day. And now good-bye.