熊楠の行動様式もまた極端である。
アメリカとキューバでは、それこそ命がけでフィールドワークを行っていたのに対して、ロンドンでは、行動半径は大英博物館を中心としたきわめて狭い範囲に限られ、その中で古今東西の書籍の渉猟と筆写に明け暮れている。特に、誰でも無料で自由に入館できた大英博物館の円形閲覧室が熊楠の「居場所」であった。
熊楠にとって、野外のフィールドワークも室内の資料探索も、根本的には同じ精神活動であった。いずれの場合も、対象に入り込み、それと一体となり、そこから世界を「内側」から見ることであった。
熊楠がロンドン時代に書き写したノート「ロンドン抜書」は、五十二冊、各冊二百五十~二百七十頁、計一万数千頁に及ぶ。その全貌は今日もまだ明らかになっていない。
ロンドンから帰国して十四年後、熊楠は、柳田國男宛の書簡の中で、この「ロンドン抜書」を和訳して、国の機関などに保存することはできないかと尋ねている。しかし、それは今日まで実現することなく、「抜書」は今も直筆のまま残されている。