内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

個としての主体を圧殺しておきながら「主体性」を大学入試評価項目に入れる国の精神病理の深刻さについて

2018-06-05 21:27:08 | 哲学

 聞くところによると、東洋の東の果にあるそれはそれは美しい国で、二年後に「主体性」を大学入試の評価項目として導入することになったそうな。西洋では、綺羅星のごとく高名なる哲学者たちによってとうの昔にその死を宣告された主体が、その東洋の麗しき国ではまだご健在ということのようじゃな。めでたいことじゃ(シャンパーニュ!)。
 さて、「主体性」という言葉が日本で人の口の端にしばしば上るようになったのは、百歳を超えてボケも半端なく進み始めた拙者の頼りない記憶によれば、1930年代も半ばに入ってからのことであったかのう。それからというもの、戦中、「シュタイ」は知識人たちの間で大流行語であったな。
 特に、太平洋戦争が勃発してから、「近代の超克」とかいうやたらに威勢のいいタイトルの座談会が雑誌に載ったりして、その錦の御旗の下、「シュタイセイ」も「コンゲンテキシュタイセイ」とかいうさらにわけのわからないガイネンに出世魚のごとく変身しておったのを、当時はまだ洟垂れ小僧であった拙者(だれじゃ、「今もぜんぜん変わってないじゃん」と小声でホザイておるのは!)も微かに覚えておる。
 拙者の竹馬の友で、後に世界的に高名な政治思想史家になったM君は、当時まだ二十代後半だったというのに、こんなませたことを書いておった。それを読んで、愚鈍なること現今の大和の閣僚のごとき拙者は、やはり天下の大秀才は違うものだと感じ入ったものであった。

中世の人間が未だ一切の社会的結合を家族のごとき自然必然的団体(所謂 societates necessariae)を原型として理解してゐたとすれば、近世の人間は逆に社会関係を可能な限り人間の自由意思による創設から(所謂 societates voluntariae として)把握しようとした。近世に於ける「人間の発見」の真の意味はここにある。中世に於ても「人間」「個人」が説かれなかつたわけでは決してなく、却つてそこでは個人の職分について論じられる事最も多かつた。人間の発見とはかうした対象的意味に於てではなく、人間が主体性を自覚したといふ意味に於て理解されねばならぬ。これまで彼が入り込む種々の社会的秩序を運命的に受取つて来た人間はいまやそれらの秩序の成立と改廃が彼の思惟と意思に依存してゐる事を意識した。秩序から行為した人間が秩序へと行為するに至つたのである。

 M君が誰で、この文章が彼のどの著作からの引用からか、慧眼かつ教養ある読者諸氏には申し上げるまでもなからろう。
 ほとんど弱視に近い視力で慣れぬパソコンでここまで打っただけでもう疲労困憊してしもうた。もう寝る。
 Bonne nuit !