フランス語の « prérogative » という語は、今日、「職務、地位、階級に付与された特権、特典」という意味で用いられるのが一般的ある。Le Grand Robert には、第二の意味として、「特定の種に属する生物が独占的に享受している特権、才、能力」とある。その用例として、モンテーニュの『エセー』第二巻第十二章「レーモン・スボンの弁護」の中の次の一節が挙げられている。
Et cette prérogative que les poètes font valoir de notre stature droite, recherchant son origine dans le ciel, […] elle est vraiment poétique.car il y a plusieurs bestioles qui ont la vue renversée tout à fait vers le ciel, et l’encolure des chameaux et des autruches, je la trouve encore plus relevée et droite que la nôtre.
詩人たちは、人間が直立して、自分の起源である天空を仰いでいることを、特権的なことだとして賛美した。[…]しかしながら、この特権なるもの、まったくの詩的な空想にすぎない。逆に目がくるっとひっくり返って、大空をしっかりと見ている小動物がたくさんいるではないか。それにラクダとかダチョウの首なんかは、われわれよりもよっぽど高く、まっすぐに立っているではないか。(宮下志朗訳)
Le Grand Robert の用例引用で省略されているのは、オウィディウス『変身物語』(I, 84-86)からの次の引用である。
Pronáque cum spectent animalia cætera terram,
Os homini sublime dedit, cœlúmque videre
Jussit, et erectos ad sydera tollere vultus
神々は、他の動物たちが顔を下に向けて地面を見ているのに、人間については、天に向かって顔を高く上げて星々を眺めることを命じた。(宮下志朗訳)
これに対して、モンテーニュは、「詩的(空想)」だと異を唱えているわけだが、私はどちらかというと帝政ローマ最初期の詩人の肩を持ちたい。
もちろん、人間は、いつも天に向かって顔を高く上げてはいられるわけではない。天に目を据えながら、物想いに沈むことは難しい、意気消沈すれば、うつむいてしまう。恥ずかしくて、下を向いてしまうこともある。
しかし、そうであるからこそ、顔を上げ、目を天に向け、星々を眺めることができることが人間の「特権」なのではないだろうか。