昨日の歴史探訪の旅は、梅雨のさ中に京都大原をスタートして、竹生島から長浜へ渡って無事にゴールした。
最初に訪れた大原は、寂光院へ続く古径が小雨に煙り、早苗が育ち路傍のアジサイや野の花が山里の風情を引き立てていた。
雨に濡れた石段や両側の苔むした古木からは、古刹の雰囲気が漂う。
尼寺らしい小ぶりな山門をくぐると、その先に本堂が見える。
残念なことに平成12年に火災によって、本堂や聖徳太子の作といわれる地蔵尊などが、ことごとく消失してしまった。
本堂は再建されたが、放火とされる犯人も動機も謎のまま今日に至っている。
平清盛の息女建礼門院が、壇ノ浦で滅亡した平家一族とわが子安徳帝を弔うため、この地で隠棲したと伝えられている。
平家物語当時のままの庭園には、心字池の脇の千年姫小松が火災で枯死した姿を晒して哀れを誘う。
再建された本堂を後に石段を下って、もと来た小道を引き返して琵琶湖へ向かった。
琵琶湖西岸の「びわ湖バレイ」は、スキー場を中心にアウトドアが楽しめる施設で、標高1.100mの山頂まで高速ロープウエイで一気に運んでくれる。
山頂の展望台からは、琵琶湖や大津市街地の大パノラマが楽しめる筈だが、あいにくの天気で琵琶湖大橋辺りまでがやっとであった。
湖岸を北上し、今津港から30分ほどのクルージングを楽しんで竹生島に着いた。
鏡のような湖面を割って走る船足は速く、見る見るうちに島影が大きくなってくる。
島に近づいてくると、「琵琶湖周航の歌」の一節にある瑠璃を目の当たりに見て、白鷺や青鷺の群れも目にすることが出来た。
船着場からは、いきなりの急な石段が宝厳寺や竹生島(都久夫須麻)神社へと続いている。
宝厳寺は西国三十三箇所観音霊場の30番目の札所で、昔から多くの参拝者が訪れる古刹である。
国宝の唐門と観音堂の苔むした檜皮葺きの屋根は、桃山時代を髣髴とさせる曲線が美しい。
観音堂と竹生島神社を繋ぐ船廊下は、秀吉の御座船の船櫓利用して作られたと伝えられている。
竹生島神社は平安時代の延喜式に載る古社で、伏見城の遺構が使われている。
拝所から湖に向かう鳥居へ願いを書いた「かわらけ」を投げ、鳥居の間を通ると願いが叶うと言われている。
鳥居の手前には願いの叶わなかったかわらけがうず高く積もっていて、神頼みの難しさを垣間見た。
風が出て少し波立つ竹生島を後に、東岸の長浜港を目指して歴史探訪の旅を締めくくった。