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阿部勇樹引退試合プレビュー

2022-10-21 22:11:10 | 浦和レッズ
元浦和ボランチ(現浦和ユースコーチ)、阿部勇樹さんの引退試合が、11月12日に行われます。阿部勇樹とともにACLを制したメンバーが主体の「URAWA ASIAN KINGS」と、阿部勇樹が浦和に来る前に在籍していた千葉の元選手が主体の「JEF JAPAN FRIENDS」が対戦します。まだ、誰が出場するかは一部しか発表になっていませんが、誰を撮っても記念になりそうな、シャッターチャンス満載の試合になりそうです。

阿部勇樹は当時育成で結果を出していた、市原(現千葉)のユース組織の出身で、17歳からトップチームでレギュラーになった早熟の天才です。当時から、守備的なポジションならどこでもこなせた便利な選手で、千葉を率いた名将のイビチャ・オシムが最も信頼を寄せた選手という印象が強いです。当時の千葉の選手たちは「オシムチルドレン」と呼ばれ、のちに代表監督になったオシムの元でプレーした選手もいました。

阿部勇樹が、代表でCBだったのは、このオシム時代です。当時、特にノルマは設けないと異例の判断で臨んだアジアカップで、中澤と阿部勇樹が4バックの
CBでコンビを組んでいました。準決勝でサウジアラビアに敗れ、3位決定戦でも韓国に敗れ4位に終わった日本代表でしたが、まだチーム作りの半ばだったオシムジャパンが、どこまでチームを熟成させるのだろうと当時は期待していました。

残念ながら、オシムは志半ばで脳梗塞で倒れ、代表監督は岡田監督に替わりますが、岡田監督も阿部勇樹が持っているフィジカルの強さは評価していました。岡田監督がアジア予選通過の切り札として用いた、遠藤保仁と長谷部誠のダブルボランチでしたが、守備の強さが今一つで大会前の親善試合でまさかの3連敗という苦境に立たされます。

そのときに、岡田監督が打った奇策が、本田圭佑の1トップでした。また、中村俊輔を外して阿部勇樹を遠藤保仁と長谷部誠の後ろにアンカーとして置いて、守備の安定を図りました。これが当たりました。初戦のカメルーン戦で守備が安定して1-0で勝利を収めると、第3戦のデンマーク戦にも勝利して2勝1敗でグループリーグを2位で通過し、阿部勇樹は「アンカー」という言葉を有名にした存在でした。

このときの日本代表のチームメイトが参加するようなら、もっと楽しみになってきます。これから、参加選手たちは発表になるでしょう。当時、自分が埼玉スタジアムで見てきた、かつての代表戦を、ちょっと思い出せるのではと思っています。

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