Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

平川忠亮氏、J3琉球の監督就任

2025-01-20 21:58:03 | 浦和レッズ
昨年まで、浦和レッズのユース監督だった平川忠亮氏が、J3の琉球の監督に就任しました。J3とはいえ、プロのトップチームの監督ですから、平川氏にとっては大きな挑戦でしょう。引退セレモニーでは「指導者になりたい」と言っていた平川氏の夢は、意外と早く叶ったのではと思います。もちろん、今のJ3は成績が悪いとJFLに降格してしまうので、チームが緩まないようにするタスクは最低限必要とされます。

指導者としてはまだこれからなので、浦和系ブログとしては彼の現役時代の思い出を書きます。平川は2002年に筑波大を卒業して、前年にオランダリーグに移籍した小野伸二の移籍金4億円を使って、次の時代のヒーロー候補を発掘しようとした浦和に入団します。清水商の同級生の小野伸二とはすれ違いになりましたが、「高卒でプロに入っていたらとっくに駄目になっていただろう」と未練はないようでした。

同期入団の仲間には、プロ入り即スタメンになった坪井がいましたが、平川も大卒で入ったら即戦力になることが必要なプロの条件をクリアできました。当時3バックだった浦和で、やったことがなかった左アウトサイドでプレーし、右足のアウトサイドでクロスを上げるなど工夫を見せて、路木からポジションを奪って左アウトサイドに定着します。

平川の優れた点は、様々なポジションでプレーできることで、右ストッパー、右アウトサイド、左アウトサイド、4バックの両SBでのプレーが可能でした。そのため、4バックの監督が就任しても、大きく出番を減らすことはなく、大抵どちらかのSBのポジションを確保していました。それでもスピード型の右利きの選手なので、最も得意なのは3バックの右アウトサイドでした。

2012年、浦和にミシャ監督が就任すると、キャンプ二日目の練習試合で右アウトサイドに平川、左アウトサイドに梅崎を置いてきました。それがそのままシーズン全体の起用になりました。それだけ、様々な監督の下でプレーでき、35歳くらいまではスピードも持っていた、長持ちで良い選手だったと思い出します。

最後は関根に右アウトサイドのポジションを奪われたことで、出番を減らし38歳で引退します。J3の監督ですから、確率的には低いですが天皇杯やルヴァン杯で浦和と当たる可能性もあります。平川は監督としても良い指導をしたと、後々まで語り継がれるように、期待しています。
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小泉佳穂、柏完全移籍

2025-01-12 11:09:47 | 浦和レッズ
浦和関連の移籍情報では、写真のMF小泉佳穂選手のJ1柏への完全移籍もあります。小泉は2021年、当時J2だったFC琉球から完全移籍で浦和に加入しました。当時、J2徳島を率いていたロドリゲス監督が浦和の指揮を執ることになっており、J2でライバルだった若手選手の獲得を要望したことから実現した移籍でした。

大学時代はそれほど目立っていた選手ではなかったですが、琉球のプレースタイルに共感して練習参加を勝ち取り、そこからアピールして契約にこぎつけた苦労人のMFです。小泉はトップ下タイプで、確率は高くなくても通れば決定的というパスを狙うことが多い選手でした。そのため、ボランチに置くと「狙いすぎ」のプレーが出て相手プレスの餌食になることもありました。

当時のロドリゲス監督が、思い切って世代交代を進める方針だったこともあって、加入1年目の2021年シーズンは多くの試合で起用されました。久々のタイトルになった、2021年の天皇杯優勝のときもスタメンで出場していました。この優勝で、ACLに出場することになったので、公式戦の試合数が多くなったことも彼にとってはチャンスになりました。

彼のトップ下定着で、江坂が弾かれて韓国リーグに移籍するという動きもあった浦和ですが、どうしてもトップ下というポジションは攻撃の鍵になる位置なので、常に新戦力が補強される位置でもあります。彼の出番が大きく減少するきっかけになったのは、2023年のスコルジャ監督時代に安居がトップ下で起用されたことです。

パサーではない安居ですが、動けてシュートが放てることで、スコルジャ監督が小泉を外して安居をトップ下に置きました。この変化で、ボランチには向いていない小泉の出番は減少することになります。スコルジャ監督が戻ってきた以上、このタイミングで他チームで勝負したいという気持ちが出てもおかしくないでしょう。

柏にとってはマテウス・サヴィオが抜けた穴を埋める役割も期待されているでしょう。武藤雄樹(現J3相模原)が、柏移籍後に7ゴールを挙げて復活したこともあり、小泉も柏でもう一花咲かせて欲しいものです。
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大槻「組長」元監督の記憶

2025-01-07 21:47:50 | 浦和レッズ
今日はネタがないので、記憶で書けるネタで、写真の元浦和監督大槻毅さんの記憶です。あだ名の「組長」は最初に監督代行になったときからで、「「大槻って誰だ?」というのが他チームのイメージだろうから、見た目だけでも怖くした。」と、メガネにオールバックの髪型で指揮を執った姿が印象的でした。

監督としては、最初の監督代行のときの采配が印象的です。この当時、開幕から5戦で未勝利だった堀監督が解任され、準備期間が1日しかない状況で監督を引き受けた大槻氏は、この1日でチームの方向性を整理できており初戦のルヴァン杯広島戦を引き分けに持ち込むと、リーグ戦でオリベイラ監督にバトンを渡すまでの4試合で3勝1分けとこれ以上ないと思うほどの結果を出しました。

大槻氏はJ1の監督になるほどの人物としては異例なことに、プロ選手の経験がありません。選手としてはJFLのソニー仙台が最高というキャリアで、この当時は高校の教員との掛け持ちでのプレーでした。筑波大学を卒業した後は、最初から指導者としてキャリアを進めたいという意図だったようで、高校退職後は水戸でコーチになり、2007年の浦和のACL優勝の際は分析担当コーチとして、ACLを戦った浦和を陰で支えました。

その後、仙台のコーチとなり、浦和に育成ダイレクターとして戻っていました。監督という地位が回ってきたのは若干運もあった人物で、2度の浦和での監督は2度とも途中就任です。選手をやる気にさせるのが上手い監督で、今の浦和DF荻原拓也も大槻氏の言葉で救われたと話すなど、選手との対話を大事にしてきた監督でした。

もっとも、浦和での最後の年となった2020年が、コロナ禍での変則開催で、キャンプで合わせ込んだ戦術が一旦リセットになってしまったのは不運でした。この年はJ2新潟から移籍のレオナルドをFWに据えましたが、チーム状態はなかなか上向かず、契約満了で退団という残念な去り方をすることになってしまいました。

大槻氏の采配は、確かに理には適っていますが、相手に合わせて戦略を組み立てる監督で、浦和らしさを出すよりは受け身な監督という印象もありました。その後はJ2群馬を率いましたが、最下位を抜け出せずに双方合意の下で契約解除し、今は監督はやっていません。トップチームの監督を解任するともうそのチームでというわけにはいかないと思いますが、また他チームでその姿を見たいものです。
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柏MFマテウス・サヴィオ、浦和完全移籍

2025-01-03 19:52:39 | 浦和レッズ
今日、柏MFマテウス・サヴィオの浦和移籍が、クラブから公式発表されていました。前から噂にはなっていましたが、中国1部上海海港との争奪戦になったようで、浦和は移籍金を満額支払って獲得したという情報があります。柏にはJ2時代の2019年から在籍しており、ウイングタイプではあるものの得点数も7-9点ほどを安定してマークしています。

どちらかと言えば左サイドが得意と聞きますが、右でもプレー可能です。スコルジャ監督の4-2-3-1ではサイドのMFとしての期待になります。長期離脱が少なく、毎年30試合前後に出場できる体力も期待できます。年齢的にも27歳とまだ若く、柏時代のプレーを見る限りではサイドの守備をさぼるようなMFではなかった印象です。

浦和の外国人枠の選手では、CBホイブラーテン、MFグスタフソン、FWチアゴ・サンタナがいますが、外国人枠の5人にはまだ2人空きがあり、マテウス・サヴィオの出場は可能です。また、ポジションは左MFは今季松尾がブレイクしたものの、右MFは関根、前田などが起用されているもののこれといった活躍ではないので、ここにマテウス・サヴィオを置きたいイメージはあります。

残る一人の外国人枠についても、リヨン(フランス)に在籍する元ブラジル代表CBという情報もあります。クラブW杯の出場料として、80億円が浦和に入ってくるという噂もあり、今オフはかなり積極的に動いています。さて、来季はもちろん、リーグ戦の優勝争いにも加わって欲しいという期待は、毎年ですがサポとして持っています。
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柴戸海、浦和復帰

2024-12-31 11:28:38 | 浦和レッズ
浦和絡みの移籍情報では、写真のMF柴戸海選手がJ1町田へのレンタル移籍を終えて浦和に復帰することが発表になっていました。浦和戦はレンタル移籍という理由で出場しない契約になっていたので、町田での彼のプレーは見ていないですが、本人のコメントで「負傷を治して」とあるので出場機会が少なかった理由は負傷だったのでしょう。

柴戸はアンカータイプのボランチです。このポジションは今季は安居がプレーしていましたが、そのバックアップがいないことから課題となるポジションでした。浦和で新卒からプレーしてきた柴戸なら、チームに馴染むのは問題ないので、あとはどこまでコンディションを戻せるか次第になってくると思います。

柴戸のプレーで思い出すのは、2021年の天皇杯の決勝戦でのプレーです。当時、負傷を抱えて出場が微妙だった柴戸ですが、この試合で引退する阿部勇樹が「大事な試合だから出ろ」と背中を押し、フル出場してチームの天皇杯優勝を陰で支えました。この活躍もあって、翌年から阿部勇樹から背番号22を引き継ぐことになります。「この番号には覚悟が要る」と本人も身が引き締まる思いでした。

「埼玉県には海がないが「海(かい)」はいる」と自らの名前も宣伝に使ったコメントもありました。安居以外にも、広島から移籍してくる松本などライバルは多いですが、明大を出てプロとしての基礎を作った浦和で、あと一花咲かせて欲しいものです。
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リカルド・ロドリゲスの記憶

2024-12-29 22:53:45 | 浦和レッズ
来季からJ1柏の監督になる、元浦和監督リカルド・ロドリゲス氏の記憶です。ロドリゲスはスペイン人で、年齢的には50歳と中堅くらいですが、24歳から指導者の道に入っており「ベテラン監督」の部類になります。サッカーの指導者は世界中を渡り歩くものと割り切っており、2011年にサウジアラビア代表のアシスタントになり、その後U-17サウジアラビア代表監督にもなります。

日本との縁は2017年にJ2徳島の監督になってからです。徳島ではベテランのボランチ、岩尾憲をチームの軸に据えており、4バックを基本にしながら岩尾をボランチのラインから1列下げてCBのように使って、その分両SBを思い切って上げるというスタイルを確立していました。徳島ではJ1昇格と結果を出しましたが、2021年に浦和からオファーをもらって「移籍」します。

浦和では2021年に天皇杯のタイトルをものにしています。徳島時代にJ2を熟知していたロドリゲスは、当時J2でプレーしていた小泉佳穂(琉球)、明本考浩(栃木)らの獲得を要望し、浦和を思い切って世代交代させる方針で強化しました。この方針で、長年浦和でプレーした槙野智章が弾かれて神戸に移籍するような世代交代が起きています。

それでも2021年の前半戦は若手主体で、とてもタイトル争いができる戦力ではなかったですが、夏の移籍市場でCBショルツ、右SB酒井宏樹を獲得したことでようやくタイトルを狙える陣容になりました。そんな中で天皇杯を優勝してACLに挑戦できたことは、ロドリゲス監督の一つの成果だったと評価したいです。

もっとも、ロドリゲス監督の時代はリーグ戦では上位争いができたシーズンはなかったです。戦術的には整理することができた監督でしたが、試合の流れが悪くなったときに選手交代などで打開するのは比較的苦手でした。ズルズルと敗れてしまったような、サポーター的には残念な負け方もよく見られた監督でした。

2022年、ACL決勝進出を置き土産にした格好で、契約満了で退団となりました。ロドリゲス自身はACL決勝で指揮が執れないことを大変残念がっていたようです。後任のスコルジャ監督がロドリゲス監督の良いところは残しながら戦ったので、ACL優勝につなげることができましたが、名監督として語り継ぐほどの監督ではなかった印象です。
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長谷部誠の記憶

2024-12-26 21:51:20 | 浦和レッズ
まだ現役だった2017年にトークショーで埼スタに来た、元日本代表キャプテンの長谷部誠さんの記憶です。長谷部はサッカーの名門校の藤枝東高校の出身ですが、高校時代はそれほど評価の高い選手ではなく、(無名だった自分のところに)なぜスカウトが来る?と本人が驚いたほどです。当時の浦和が、オランダに移籍した小野伸二の移籍金を使って、次世代のスターを発掘しようとした中の一人でした。

もっとも、当時の注目は大卒で入った坪井や平川に集まっており、長谷部は1年目のシーズンはU-19日本代表と浦和のサテライトを行き来する日々でした。川越陸上競技場で長谷部がトップ下に入っていたサテライトの試合を見たことがありますが、確かにCKやFKはすべて任されておりこのレベルでは認められることはわかりましたが、すぐにトップで通用するほどのインパクトはなかった印象です。

長谷部の才能に最初に注目したのは、2年目のシーズンからスタメンで起用したオフト監督です。もっとも、長谷部には若干の運もあり、当時トップ下で起用する予定だった元ブラジル代表のエジムンドが突然開幕直前で退団して、トップ下が空いている状態だったことです。カシマスタジアムで行われたアウェイの鹿島戦でトップ下でスタメン出場した長谷部は、永井雄一郎や田中達也に正確にパスを出して技術の高さを見せます。

ボランチで起用したのもオフト監督です。ボールが持てて確実にさばける長谷部のボランチ適性に気づいたオフト監督ですが、当時は戦術的な縛りがあってあまり攻撃には行かないボランチでした。長谷部が本格的に開花したのは後任のギド時代で、「後ろは啓太君が何とかしてくれるから思い切って上がっていい」と長谷部が持つ攻撃センスを前で生かす方針に変わってからでした。

確実に通るパスを100%の確率で出すタイプの長谷部のことを、当時のチームメイトの田中達也は「長谷部は中村俊輔のような派手なパスは出せない」と証言しています。それでも、トップ下からコンバートしたボランチではあったものの、次第に守備力も向上し、ドイツ1部ボルフスブルクからオファーを受けて海外挑戦を選びます。

このドイツ時代の成長が、彼の代表定着の礎になりました。次第にアンカータイプの仕事が多くなり、ドイツではCBもやりました。代表でも史上最も長くキャプテンを務めた記録を作り、奥寺が持っていたブンデスリーガの日本人最多出場記録も塗り替えます。川越のサテライトから、こんなにすごいところまで行けるんだと、サッカーの持つ可能性を感じさせてくれた存在でした。
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ヘグモ前監督の記憶

2024-12-23 20:15:39 | 浦和レッズ
これから、2月のシーズン開幕までは記憶で書けるオフネタが中心になってきます。1回目は浦和レッズを今季途中まで率いていた、ペア・マティアス・ヘグモ氏の記憶です。ヘグモ氏はノルウェーではカリスマ指導者で知られており、2000年シドニー五輪でノルウェー女子代表を金メダルに導き、ノルウェーの男子代表監督の経験もあります。同じノルウェー人のホイブラーテンもヘグモ氏のことは知っていました。

また、年齢的には64歳とベテラン監督ですが、直前のシーズンでスウェーデンリーグのBKヘッケンを優勝させており、上り坂の監督のように思えました。ヘッケンで一緒だった、スウェーデン代表MFグスタフソンが一緒に浦和レッズに加入するなど、フロントのバックアップも得ました。今季開幕時点では優勝候補筆頭に推したマスコミもありました。

ヘグモ氏の戦術はアンカーを置く4-3-3でした。そのアンカーにチームのキーマンのグスタフソンを置いて、そこからのパスで両ウイングを走らせるサッカーは、浦和に新たな攻撃サッカーが導入されるのではという希望がありました。しかし、シーズンが始まると、相手チームが立てた浦和対策をなかなか打ち破ることができない悪循環に陥ります。

まず、グスタフソンにゲームを作らせまいと、相手FWはグスタフソンへのパスコースを消す守備をしてきました。また、左SBに抜擢された新加入の渡邉凌磨は、もともと攻撃的MFの選手ということもあって、相手に狙われるようになります。浦和は自陣でうまくボールを回すことができず、ショルツとホイブラーテンでパス交換する姿を見ると「これのどこが攻撃サッカーなんだ」と思いたくなります。

また、浦和のバランスの悪さを最後のところで何とかしていた、ショルツのカタールリーグへの移籍が、ヘグモ氏にとって致命傷になります。もちろん、ショルツ退団を想定して、控えの井上や佐藤を時折起用していましたが、正直言えばショルツとはレベルが違い、相棒のホイブラーテンもパス出しが苦手という弱点が表に出てくるようになります。

最後は4-3-3を諦めて、4-2-3-1へ布陣を変更し、安居をアンカー気味で起用するようにしましたが、なかなかチーム状態は上がらず、前監督のスコルジャを呼び戻してヘグモ監督は解任されることになりました。2年契約のヘグモ監督に、1年半分の年俸をただで取られてしまう損失ではありますが、そうでもしないと残留争いに巻き込まれるという危機感がフロントにあったのでしょう。相手に対策を立てられるとそれを打ち破れなかったという印象が、ヘグモ監督といえば残っています。
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武田英寿、J2仙台完全移籍

2024-12-18 21:27:07 | 浦和レッズ
今日の浦和レッズ関連では、一つ残念なニュースが入ってきました。写真の浦和MF武田英寿選手の、J2ベガルタ仙台への完全移籍が発表になっていました。今季、期限付き移籍していたJ2水戸から復帰し、リーグ戦の鹿島戦では敗色濃厚な試合を見事な2得点で引き分けに持ち込むなど、これからの選手という印象があったので残念ですが、スコルジャ監督があまり起用しなかったので他チームで勝負したい気持ちもあったでしょう。

武田英寿の名前の「英寿」はもちろん元日本代表MF中田英寿さんが由来です。武田の生まれた2001年はちょうど、中田英寿さんがセリエAのローマやパルマで活躍していた頃で、父親が中田英寿さんのファンだったと聞きます。青森山田高校で10番を背負い、全国高校選手権で2年連続決勝進出とチームとしても結果を出して浦和入りします。

もっとも、浦和のトップチームの壁は厚く、2020年の終盤で大槻監督がトップ下に抜擢した試合もあったものの、まだ体力的にトップチームのサッカーを90分戦い切れない印象はありました。そのため、武田は琉球、大宮、水戸と育成型期限付き移籍で転々とします。育成型期限付き移籍は一見育ててもらうようなイメージに見えますが、期限付き移籍したチームで試合に出られないと契約を切られる厳しい道でもあります。

武田は、この武者修行先で、多くの試合に出場して中心選手になりました。J2ならば十分中心選手という力を付けたところでの浦和への復帰は、ちょうど良いタイミングのように見えました。しかし、今季の浦和を率いたヘグモ監督はトップ下を置かない4-3-3が基本戦術でした。武田の最も得意なポジションはトップ下なので、彼にとっては逆風でした。

しかし、途中出場でサイドハーフに入った鹿島戦が、彼にとって千載一遇の好機になりました。彼の強みに、シュートレンジが長いという武器があり、エリア外から放ったシュートで1点を返すと、直接FKを直接決める2点目のゴールで、この2点ビハインドを追いついて引き分けに持ち込みました。結果は引き分けだったものの、サポーターはほとんど帰らず、このヒーローを「武田」コールで出迎えました。

成功できるかに思えましたが、浦和の監督がスコルジャ監督に替わってから出場機会が激減します。来季もスコルジャ監督が続投する以上、他チームで勝負したいという判断もやむを得ないでしょう。完全移籍なので浦和に戻ってくることはほぼないですが、この鹿島戦での活躍は、彼の名を目にする度に思い出すことでしょう。
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今季最も成長した選手(松尾佑介)

2024-12-16 21:22:44 | 浦和レッズ
今季の浦和は、ノルウェーでカリスマ指導者で知られているヘグモ監督を呼んで3トップの攻撃サッカーに挑戦するシーズンのはずでした。しかし、左SBで起用した渡邉凌磨や、アンカーのグスタフソンのところを相手に狙われるとなかなか対策を立てきれず、ヘグモ監督は途中で解任されるという迷走のシーズンになってしまいました。しかし、左ウイングというポジションに定着した、写真の松尾佑介選手の活躍は数少ない希望でした。

松尾は一昨年浦和からベルギーリーグに移籍しており、今季は2年ぶりの復帰になりました。横浜FC時代はウイングでしたが、浦和ではロドリゲス監督が負傷がちのユンカーに替わる1トップで起用したところ機能し、ベルギーリーグからのオファーとなりました。しかし、1年で復帰したことで、精神的に落ちていなければいいがと多少懸念していました。

また、左ウイングのポジションには、現役ノルウェー代表のソルバッケンも補強されていました。松尾にとっては簡単なシーズンではなかったですが、3トップの左という位置が彼に合っていたのは幸運でした。松尾は瞬間的なスピードがあるので、相手右SBとの1対1に勝てるという強みを、今季はよく発揮できた年になりました。

ソルバッケンのコンディションが上がらなかったことで、左ウイングのファーストチョイスは松尾という状況は、今シーズンほぼ続きました。数字だけ見ると22試合出場4得点と、それほど目立つ数字ではないですが、彼がスピードを見せると埼玉スタジアムが沸くという意味では、最も楽しませてくれた選手でした。

長い距離を走ってもある程度速いので、カウンター狙いでも機能できるウイングでもあります。途中から就任したスコルジャ監督が4-2-3-1を導入し、彼のポジションは左MFに移されますが、ジュニアユース、ユースと浦和で育った才能が、大きく開花したシーズンになりました。彼のスピードは、来季浦和が飛躍するためには必要な武器でしょう。

スコルジャ監督が来季続投する浦和で、もちろん左MF候補のトップでしょう。松尾はユースからはトップチームに一旦は上がれず、仙台大、横浜FCを経由した回り道をしましたが、こういう復活劇があるから、サッカーは面白いものですね。
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