Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

目指せ第二の鈴木慎吾(小林陽介)

2007-01-31 20:58:33 | 他チーム
昨日のサッカー関連ニュースに、JFL横河武蔵野FC所属のFW小林陽介が、JFLのロッソ熊本に移籍したというものがありました。小林陽介と言えばレッズユースから浦和のトップチームに上がり、2年ほど在籍した選手です。

なんだ、JFLからJFLへの移籍じゃないかと思う方もいるでしょうが、横河武蔵野FCとロッソ熊本ではチームの置かれている位置がまったく違います。横河武蔵野FCは、あくまでアマチュアリズムを貫くチームで、優勝してもJ2には昇格しません。これに対し、ロッソ熊本は昨年はJ2昇格を逃したものの、Jリーグを目標に結成されたチームで、既に準会員申請も済んでいます。

小林陽介にとっては、ポジションを取り、自分が活躍すればチームをJ2に引き上げることができます。この移籍の話を聞いて、思い出したのが、レッズでも横河武蔵野FCでも先輩にあたる鈴木慎吾のことです。鈴木慎吾も、レッズのサテライトでプレーした後、解雇されて横河武蔵野FCの前身の横河電機でプレーしていました。

当時の横河電機は、まだJFLの下の地域リーグでした。しかし、そこでの活躍が認められて当時J2の新潟に移籍して中心選手になり、レンタル移籍した京都で天皇杯優勝のタイトルを得るほどの選手になりました。おそらくJリーグでも有数の復活劇でしょう。小林陽介は、そのスタートラインに立ったことになります。

給料の保障があった横河武蔵野FCとは違って、ロッソ熊本では即戦力としての入団ですから、結果を残せなければ一年で解雇されてしまうリスクもあります。しかし、小林陽介は、浦和のサテライト時代と同じように存在感の薄かった選手ではもはやありません。JFLで23ゴールも決めて、得点感覚も身につけたはずです。

確かに、ロッソ熊本では、元J1などの即戦力選手が次から次へとやってくるでしょうが、チャンスは開幕直後です。活躍して、チームを連勝街道に乗せてしまえば、FWの即戦力はいらないと思ってもらえるでしょう。それが実現すれば、第二の鈴木慎吾と呼ばれるようになるでしょう。そうなったときに、J2のスタジアムで再び彼の姿を見ることを楽しみにしています。
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ヘディングなら史上最強?(ネイハイス)

2007-01-30 21:00:18 | 浦和レッズ
皆さんは浦和レッズ史上最もヘディングが強かった選手は誰だと思いますか?ギドや闘莉王らの名前が挙がると思いますが、私が見た限りでは、ヘディングだけなら史上最強ではないかと思われるDFが1997年から1998年にかけて在籍していました。

その選手の名前は、アルフレッド・ネイハイスといいます。国籍はオランダですが、国境を越えて通勤してドイツのチームでプレーしていたところを浦和がスカウトして、ケッペル監督時代に加入しています。海外移籍どころか、実家を出る経験すら初めてと聞いて、ホームシックでその年退団したバウアーの二の舞を心配しましたが、意外と日本にはなじんでくれました。

3バックが多かった当時のケッペル采配では、ギドと最終ラインを組むこともありました。ネイハイスが最も活躍した試合として、印象に残っているのは、翌1998年の開幕戦です。ギドや闘莉王とは違って足元は強くなかったネイハイスは、マークミスで失点しました。しかし、セットプレーで前線に上がったときは無敵の強さを発揮しました。

セットプレーだけで、DFが2ゴールというのは、現在でもなかなかない記録でしょう。ただ、当時の浦和にはセットプレーのターゲットはネイハイス一ヶ所しかありませんでした。そのため、次第に相手DFに読まれ始めて、ネイハイスにマークが何人もつくようになってしまいました。

そのため、せっかくのヘディングも、ゴールを量産するほどではありませんでした。当時の浦和のFWは、福田、福永、岡野と長身タイプがいなかったのも、ネイハイスには不運でした。

しかし、浦和でコンスタントに試合に出ていたことで、意外なところから目をつけられることになりました。それは、ドイツでも強豪で知られる、ボルシア・ドルトムントからのオファーでした。ネイハイスはドイツ時代は弱小チームでプレーしていたので、このオファーは夢のような話だったでしょう。

結局、1998年のシーズン途中で浦和を去ったネイハイスは、そのヘディングの能力以外は、印象に残りませんでした。もし、ずっと浦和にいてくれたら、伝説に残る選手になれたかもしれません。ネイハイスの後釜として来日した、イタリア人のザッペッラが、浦和をJ2降格に導いてしまうのは、もうしばらく先のことです。
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フェスタ雑感

2007-01-29 21:03:35 | 浦和レッズ
行けば何か面白いことがあると、昨日書いたレッズフェスタですが、いくつか気になった点もありました。まずは、目玉の日本一面白い紅白戦ですが、確かにこれだけたくさんのサポーターを確実に満足させる方法は試合しかないと思います。かくれんぼなどは、選手が決して来ない2階席のサポーターにとっては退屈な行事でしょう。

しかし、紅白戦をやるなら絶対に満たして欲しい大事な要素が一つ抜け落ちていました。それは、背番号がないということです。いくら熱心な浦和サポーターでも、サテライトを含めた全選手を、髪型と背格好だけで見分けるのは不可能でしょう。

そのため、せっかく見事なパス回しを見せても、誰から誰へのパスかわからないことが多かったです。ユニフォームは1st(赤)と2nd(白)があるのですから、この両方を振り分ければ、全選手に背番号がつけられます。場内DJが頑張ってカバーしようとしていましたが、やはり背番号なしでは限界があります。来年に向けての改善を期待したいです。

もう一つ、残念だったのは、一部サポーターが、紅白戦終了後、山田キャプテンの決意表明を聞かずに帰ってしまったことです。確かに試合が終わればもう見所はないという考えもわからないことはないですが、やはり観客が続々と帰っていくスタンドに向かって話をしなければならない山田の気持ちを考えると、切なくなります。ほんの少しの時間でいいのですから、山田のために気を使ってあげてもいいのではと思いました。山田が気を悪くしていなければいいのですが。
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レッズフェスタ

2007-01-28 20:15:25 | 浦和レッズ
レッズフェスタを見に、埼玉スーパーアリーナまで行ってきました。かつて駒場や大宮で開催されたフェスタを知る古参サポの私にとっては、4万人も入るフェスタの世界は別世界です。かつては、選手と一緒の席に座って写真を撮ったり、サインをもらったりすることができたのですが、今では遠くに座っている選手をオーロラビジョンで眺める、遠い世界になってしまいました。

しかし、レッズサポなら、ここに来れば何か面白いことは見つかります。背番号発表は以下の通りです。

1山岸2坪井3細貝4闘莉王5ネネ6山田7酒井8小野9永井10ポンテ
11田中12堤13鈴木14平川15エスクデロ16相馬17長谷部18小池19内舘
20堀之内21ワシントン22阿部23都築24坂本25赤星26中村27西澤
28加藤29大谷30岡野

の30人です。小野の8番、阿部の22番は既に報道された通りですが、注目は大抜擢の堤(12)です。トップ出場ゼロでのこの抜擢は、かつて啓太がリーグ戦のトップ出場ゼロで13番に抜擢されて、その年にトップに定着したことを思い出します。堤にもその活躍を期待したいところです。

また、トークショーでは、他の選手の特徴で自分が欲しいものはというインタビューがあり、小野は「平川のスピードと永井の顔」と答えていましたが、伸二は既に十分持ち味を持っているので、うらやましがる必要はないと思います。岡野は「大谷(18歳)の若さ」と、ベテランらしい回答でした。山田は「小野の給料」と生々しい話で、小野に「山田さんの方が給料高いですよ。」と否定されていましたが。

また、日本一面白い紅白戦という題目で、10対10のサッカーを見ることができました。しかし、線審なし、GKは急造の闘莉王と岡野という、危なっかしさと大らかさが面白い要因でした。スーパーアリーナは人工芝ですから、あまり激しいフィジカルコンタクトはできず、足元中心のさばき合いでしたが、FWに入った山岸が胸で正確にボールを落とし、周りの味方を良く見てパスを出すポストプレーの技術の高さを見せていたのは驚きでした。

まだ面白いことはあるのですが、それはブログのネタ不足の今ですから、少しずつ小出しにして今週を乗り切りたいと思います。
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3分間の国際交流

2007-01-27 14:09:52 | ワールドサッカー
昨年5月、キリンカップの日本代表対スコットランド代表の日の埼玉高速鉄道の車内でのことです。キックオフより相当早い時間に出かけた私は、ミニスカートをはいた外国人の男性二人の姿を見かけました。男性のミニスカートといえば、スコットランドの民族衣装ですから、これは間違いなくスコットランドサポーターだと思い、声を掛けてみました。

私「スコットランドサポーターですか?」
外国人「ジャパン?」
私「イエス」

これで握手になりました。英語で仕事をするのは大変なことですが、隣の人と話すだけなら、こんな簡単な会話で成立します。ただ、サッカーを見に外国に行くようなサポーターの割には、計画性がないこともわかりました。神戸のホテルを取っているにもかかわらず、ナイトゲームの後に神戸に戻れると信じていたのです。

新幹線は終夜運転しないからだめだよと教えると、それなら朝まで飲み明かすかと、あくまで前向きでした。日本人なら、鉄道の時刻を入念に調べて、どこに宿を取るか計算して旅をするのが当たり前だと思っていましたが、結構おおらかなサポーターもいるものです。

私が声を掛けた目的は、スコットランドの代表選手で誰が有名かということを知るためでした。私はスコットランド代表メンバーを英語で書いた紙を持っていたため、それを見せて教えてもらうと、二人の名前が出てきました。

一人はマンチェスターU所属で、自分も知っていた選手でしたが、もう一人はセルティックのライバルのレンジャースのFWで、誰だろうと思っていました。(後でビデオで確認すると、スコットランドリーグ得点王だったそうです。)その情報を仕入れておいたおかげで、スコットランドの中では誰を中心に見るか、ゲームを楽しく見るために役立ちました。

電車が浦和美園に着くと、彼らは「じゃあね」と去っていきました。もし、埼スタまで連れて行って欲しいと頼まれたら、連れて行こうと思っていましたが、それならここで国際交流は終わりです。まあ、楽しい思い出になりました。複雑な戦術の話はできなくても、サッカー観戦の英語なら、選手名とチーム名で十分会話になりますよ。
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利根川歩行の思い出

2007-01-26 21:23:48 | 埼玉
私の通っていた、都内の中高一貫の某学校には、利根川歩行という毎年2回開かれるイベントがありました。当時、体力のなかった私は、毎回雨天中止の博物館見学を期待していましたが、私の在学中は一度も中止になりませんでした。最初は群馬県内からスタートして、毎回25kmほど利根川を下り、つなぎ合わせて最終的には銚子を目指して歩きます。

利根川の土手の上は車道は少なく、周囲の田園風景を見渡すことができました。緑を見ると落ち着くのは人間の本性のようで、そんな風景を見ることは好きでした。しかし、体力自慢の仲間は、この25kmを走ったりしていましたが、私のような落伍者にとっては、前に行く仲間は焦りを生む存在でしかありません。ただ、ゆっくり歩きたい仲間は毎回誰かはいて、話をしながら歩いていたので、孤独ではなかったです。

この利根川歩行では、車道を可能な限り横断させないようになっていて、橋はくぐることが多かったです。橋の下は、日陰のほとんどない利根川歩行では、貴重な日陰で、絶好の休憩スポットでした。上を走る車のガタゴトという音を聞きながら、食べるおやつは気持ちをリフレッシュさせてくれました。

当時は普段運動をしていなかった私にとってこの距離は余りにも長く、最後はへとへとになって帰りのバスに辿り着いてばかりでした。在学中は苦しい思い出の方が強かったです。ただ疲れるためだけに、なぜこんなことをやるのだろうと、疑問に思っていました。

しかし、この経験は無駄ではありませんでした。卒業後、スポーツを始めて体力のついた私は、浦和の自宅から自転車でこの利根川の地を再び踏みました。自転車で当時の歩行ルートの一部をたどり、当時の同級生と思い出を語ることができました。ああ、あのとき歩いていて良かったなと、初めて思うことができました。
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サテライトの便利屋(新井翔太)

2007-01-25 20:46:23 | 浦和レッズ
便利屋という選手は、チームに少なくとも一人は必要です。トップチームの便利屋なら、契約更改でも強気なことを言っても許されると思いますが、サテライトの便利屋は、ある意味、悲惨な存在です。サテライトにいる以上、トップ昇格を目指してアピールしないと、契約延長すら勝ち取れないという事態になります。

もし、サテライトで便利屋だと、自分の得意なポジションでプレーさせてもらえない訳ですから、トップ昇格はさらに遠くなってしまいます。浦和の場合、この最も悲惨な役割は、ユースからの昇格選手が指名されることが多いです。最近では、今オフにJ2の愛媛FCに移籍した新井翔太選手がこの役割をこなしていました。

サテライトで新井のプレーを見ると、得意でないアウトサイドやDFで使われることが多いですが、輝いていません。本来のポジションはトップ下で、途中からトップ下に入ったプレーを一度だけ見たことがありますが、別人かと思うほど見事なパスセンスを見せたことがあります。

ただ、トップ下といえば小野伸二やポンテのポジションですから、ベンチに入ることすら厳しい位置です。新井の場合、ユース時代からサテライトでプレーしていた選手ではありませんから、まずはサテライトのレベルに馴染むことから始めないといけませんでした。

そんな不利もありましたから、新井が苦戦するのは仕方ない一面もありました。しかし、今回の愛媛FCからのオファーは、彼にとってはサッカー人生最大のチャンスです。便利屋の数少ないメリットに、たくさん試合に出られる点がありますから、新井の場合、数出ることで愛媛FCのスカウトの目に留まる機会を得たのでしょう。

愛媛FCは、浦和のように基盤が出来上がっているチームではなく、まだまだこれから作り上げていくチームです。入り込む隙はありますし、便利屋になるにしても、トップチームの便利屋になれる可能性はあります。そのときに、かつてサテライトで見せたようなパスセンスを見せてくれるよう、期待しています。
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思い出の試合(レッズ編4)

2007-01-24 21:28:56 | 浦和レッズ
今日は最近(そんなでもないか)の試合からピックアップした思い出の試合です。

・チャンピオンシップ第1戦・・・2004年12月浦和対横浜FM(横浜国際)

当時はギドの1年目で、オフト時代の財産をうまく使ってのCS出場でした。相手の横浜FMは、名将岡田監督が指揮を執っていました。戦力的に見れば、久保、安貞桓の主力FWが両方負傷欠場していた横浜FMは、圧倒的に不利の予想でした。

しかし、横浜FMはストロングポイントの守備をうまく生かした戦い方をしてきました。守って縦に蹴る横浜FMのカウンターの前に、優勢のはずだった浦和は押し込まれてしまいました。ネネの出場停止で代役に入っていた内館のサイドを狙われた浦和は、後半開始とともに内舘に代えて平川を入れ、相手のスピードに対応しました。

しかし、岡田監督はこの交代で生じるわずかな隙を見逃しませんでした。セットプレーの場面で、ニアサイドをカバーするのは内舘の役割でした。交代で入った平川はヘディングではどうしても劣ります。そんな隙を、河合のヘディングシュートで突かれて、1-0の敗戦です。両者とも策を披露し合った試合でしたが、あのメンバーでも勝てるのかと、岡田監督の手腕に驚いた試合でした。

・負けないよ・・・2002年9月浦和対名古屋(埼スタ)

当時の浦和は、普段は慎重な采配をするオフト監督が、珍しく永井の好調さに賭けて、エメルソン、トゥット、永井の3トップを採用していました。この3トップは、何試合か猛威を振るい、浦和は2ndステージのここまでの試合で負けなしでした。

対戦相手の名古屋は、その浦和の攻撃力を警戒して、ウェズレイの1トップに、本来FWのバスティッチをボランチに置く慎重策できました。私は、この試合の前、ある病気で体調を崩していて、サッカーを見ても、勝った負けたとか、誰がゴールを決めたとかはわかっても、どういう戦略が立てられたとか、勝負のポイントをつかむには至っていませんでした。

それがわかれば楽しいのにと思っても、体は病気と闘うだけで手一杯。そんな自分がようやく病気から回復したと実感したのがこの試合で、なぜ浦和の攻撃が機能しないかの理由が、名古屋が酒井、大森、古賀の3人を3トップにつけて、最後尾にパナディッチを余らせているからだとはっきりとわかったのです。

試合は福田の同点ゴールの後、エメルソンのVゴールで浦和が勝利し、福田がヒーローインタビューで「負けないよ」と名言を残した試合といえば記憶に残っている方もいるかもしれませんが、私にとっても個人的にも記念の試合になりました。
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隠された身体能力(南祐三)

2007-01-23 21:21:35 | 他チーム
昨年の途中、浦和からJ2の愛媛FCにレンタル移籍し、今期から完全移籍した南祐三選手の思い出を少々。南は、浦和で3年半の時を過ごしましたが、そのほとんどはサテライト暮らしでした。サテライトでは何度か見ましたが、高さとパワーはネネあたりと比べても遜色ありませんでしたが、足元のボール扱いが雑で、なかなかボールを正確にフィードできませんでした。

これでは、プレッシャーの厳しいトップの公式戦では難しいと思われました。フィジカルコンタクトに難があるタイプなら、筋力を鍛えることで急成長の可能性はあります。堀之内などはこれでブレイクしました。しかし、足元の技術は、そんなに急に伸びるものではありません。南のプロサッカー人生は、正直厳しいかなと思っていました。

しかし、人間何が幸いするかわかりません。DF陣に負傷者が続出した2005年のナビスコ杯予選リーグの大宮戦でした。スタメンは当時新人の近藤で、南はベンチからのスタートでした。普通、DFでベンチスタートなら、出番がある可能性は低いです。しかし、南は気持ちを切らしてはいませんでした。それは、近藤の負傷交代で前半5分にいきなり出番が来た後のプレーで証明されました。

当時の大宮には、ブラジル代表で南米選手権に出場した経験がある、ポストプレーヤーのクリスティアンがいました。大宮の攻撃の多くがクリスティアンを経由するという、まさにキーマンです。しかし、南はこのクリスティアンに、ヘディングで全く競り負けませんでした。南の持ち前の身体能力は、初めて日の目を見たのです。

他チームのスカウトがこの試合を見ていたら、間違いなく南を評価するであろうと思われました。この試合が効いたのか、南は愛媛FCからオファーがあり、レンタル移籍しました。南は愛媛FCでは多くの試合に出ています。あのナビスコ杯予選で、ベンチスタートに気落ちしていたら、今の南はなかったでしょう。愛媛FCでのさらなる活躍を期待しています。
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思い出の試合(レッズ編3)

2007-01-22 20:43:34 | 浦和レッズ
思い出の試合、レッズ関連だけでもまだまだありました。今日はそのネタで。

・雨の国立・・・1994年9月浦和対V川崎

当時は最下位の常連だった浦和は、この試合も1-3で敗れました。試合内容の記憶は、浦和の唯一のゴールが、佐藤慶明のヘディングだったことだけでした。しかし、この試合は、試合前に強烈な雷雨が襲い、ずぶ濡れになったことが記憶に残っています。サッカー観戦も、結構大変な思いをしなければならないものだと、初めて知りました。あと、試合後の「(横山)謙三(当時監督)やめろ」コールも記憶にあります。

・歓喜のオジェック・・・1995年6月浦和対横浜M(大宮)

今では考えられない、大宮サッカー場でのレッズ戦でした。チケット入手は困難でしたが、友人の埼玉県民優先枠が当たり、ゴール裏で参戦しました。浦和に勝つ喜びを初めて教えてくれたオジェックが、おそらく最も喜んだ試合です。

1-1で延長戦に入った試合でしたが、この試合で印象に残っているのは、当時練習生から契約したばかりの福永のスーパーサブ振りです。ゴール前で落ち着いてプレーできる技術の高さは、それまでの浦和にないものでした。Vゴールは広瀬のミドルシュートで、このゴールの後に喜んだオジェックがピッチに入って選手と喜びを分かち合った姿は印象的です。私にとっても、初めてレッズのサポーターで良かったと思った試合でした。

・オジェックとの別れ・・・1996年11月浦和対横浜F(駒場)

雨の鹿島戦(国立)で優勝の目が消え、オジェック解任の報道があり、別れの試合は思い出に残るものにしたいと思った試合前でした。試合は序盤から浦和の攻勢で3-0の完勝でした。3点目のPKで、GK田北がキッカーに指名され、外した場合に備えてゴール前に3人DFを置いたのですが、その心配は要らずゴールは決まりました。今でも他に達成者のいない、リーグ戦でのGKのゴールです。

オジェックが試合後のインタビューで、日本語で「皆さんのことは一生忘れません」と話したことを覚えています。ついに今年実現した再会ですが、その美しい思い出が再び繰り返されることを願っています。
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