Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

清水戦プレビュー

2009-07-31 20:14:28 | 浦和レッズ
浦和はあさっての日曜、ホーム埼スタで清水と対戦します。今の浦和のチーム状態は最悪で、公式戦3連敗の上ここ2試合は連続で3失点と、明るい要素はまったくありません。大分、名古屋が成功したことで、浦和相手にはしっかり引いてカウンター狙いという策がばれています。

60%近いボールキープ率はあっても、浦和は攻撃をしっかりシュートで終わらせていません。運動量も落ち、ポンテ一人に何とかしてくれとボールを預けて味方が動かない、昨年の悪いときのサッカーです。

ナビスコ杯の清水戦を見ていないので、断定はできませんが、山田直輝を攻撃的MFに上げてポンテとのコンビネーションを良くするしかなさそうに思えます。また、闘莉王は腹筋の肉離れで清水戦は間に合わないという情報です。

対戦相手の清水は、4-4-2が基本ですが、中盤はダイヤモンド型とボックス型の両方の可能性があります。ただ、浦和と対戦したときは伊東をスタメンで出してもう一枚守備に強いボランチを置く慎重策で来ています。

また、たとえ浦和がリードしても、清水にはスーパーサブの辻尾がいます。右SBに入れてドリブルで仕掛けるプレーを得意としている選手で、前回のリーグ戦ではそのドリブルからドローに持ち込まれています。

清水戦といえば、移籍した永井雄一郎のプレーを楽しみにしている方もいらっしゃるでしょうが、肉離れで離脱しているので、おそらく出ないでしょう。むしろ怖いのは岡崎で、現在絶好調です。

代表のウズベキスタン戦で値千金のゴールを決めたことで、すっかり自信をつけたようです。ただ、岡崎は173cmと決して届かない身長ではないので、しっかり集中して90分を通せば、完封できる可能性はあります。

清水は長身のヨンセンがいるので、中盤省略のアーリークロスを蹴ってくる可能性もあります。ただ、それだとトップ下の枝村の得点力が生きないので、普通につないでくると思いますが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

W杯4強への道3(ポルトガル代表)

2009-07-30 15:28:59 | ワールドサッカー
前回のドイツW杯は、比較的強豪が順当に勝ち上がったW杯でした。8強は欧州6チーム、南米2チームで、4強は全チーム欧州でした。欧州の代表チームとなると、きら星のごとく欧州トップレベルのチームのレギュラーを揃えていて、日本などはかなう相手ではなさそうに思えますが、1チーム参考になるチームがいました。

そのチームは、FWにあまり頼らない戦い方をしていたという意味で、ポルトガル代表です。ポルトガルの布陣は4-2-3-1で、1トップのパウレタは決して平凡な選手ではなく、フランスリーグ得点王の経験もあるFWでしたが、そのパウレタはあくまで点を取る役割だけに限定させ、組み立てからフィニッシュまで5人の中盤でやりきってしまう戦いを、当時のルイス・フェリペ監督が選択しました。

もちろん、当時の中盤は豪華な名前が並んでいます。右MFはフィーゴ、左MFはC・ロナウド、デコやマニシェなどもいました。戦い方の基本は、フィーゴやC・ロナウドにサイドを仕掛けさせ、抜いたら自分で直接打つか、ボランチのマニシェ、コスティーニャに狙わせるものでした。

当時のポルトガルに強力なポストプレーヤーがいなかった事情ももちろんありますが、これだけ「中盤勝負」に徹底したサッカーは、ドイツW杯4強のチームの中でもっともわかりやすい戦略でした。それは、強力なFWを持たない日本にとってもお手本になるものでしょう。

日本の岡田監督の戦略は、中盤の4人全員がパスを出せるチームを作りたいというものです。W杯4強のレベルまで行けば、攻撃的MFはもちろん、守備的ボランチ(アンカー)の選手が精度の高いパスを出して組み立てられます。どこからでもパスを出して、崩したところにFWを走り込ませて、点だけは取ってもらうというFWの使い方をしたいのだと思います。

また、高い位置で奪い返してショートカウンターを狙うのも、岡田監督の戦略に思えます。元のアイディアは「走らなければ日本は世界と戦えない」と言っていたオシム前監督でしょうが、少なくともアジアの予選ではこの戦略は有効で、DFラインに不安のあるチームが相手なら崩せるのではと思います。

これから、オランダやガーナと対戦する日本は、何が通用して何が通用しないかを洗い出しながら、少しずつメンバーを入れ替えて本大会に臨むことになるでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富士登山競走の思い出

2009-07-30 11:43:56 | 他スポーツ
このブログでは、あまり自分のことは書いていませんでしたが、新聞に富士登山競走の写真が出ていたので、私が90年代に何度も挑戦した富士登山競走の思い出を書きます。私は当時オリエンテーリングをやっていたので、平地のマラソンより、こういう坂道のレースの方が力が出ました。

ただ、オリエンテーリングは平地も下り坂もありますが、富士登山競走は山頂までどこまで行っても上りが続きます。最初の挑戦のときは大学3年でしたが、この上り坂のどのあたりで休むか、感覚がつかめず完走できませんでした。(4時間半の時間制限に引っ掛かりました。)

富士山の場合、吉田口から登ると、八合目近辺に山小屋がたくさんあります。お金を持って行けば、いくらでも給水ができるので、最初のときは水を飲み過ぎたと反省しました。2度目の挑戦では水を30分に一度と制限して我慢したら、時間制限ぎりぎりながら完走できました。

この富士登山競走は、五合目ではなく、富士吉田市役所がスタートです。平地のマラソンを専門にしている選手は、最初の舗装道路でできるだけ稼ぐというレースをするようですが、私は山に入ってからが勝負なので、上り坂で周りの選手から遅れを取らないという戦略を取りました。

ただ、このレースは完走にこだわって視野を狭くしてはもったいないと、個人的には思います。浅間神社の参道の並木や、今は使われていない一合目の山小屋、次第に森林限界を超えて少しずつ木の高さが低くなり、五合目まで来ると砂と岩の世界になることなど、周りを見ているだけでも楽しいレースではあります。

今は体力も落ち、もう一度登山競走に挑戦するのは厳しいでしょうが、少しでも体力が回復すれば、五合目から今度はゆっくり登ってみたいとは思っています。ただ、登山競走は山の滞在時間は短いことを前提としているので、防寒対策はゴミ袋から首と腕を出すだけというような軽装で済ませましたが、ちゃんと登るなら、装備を持って登らないといけないでしょう。

3000mを超える世界は、W杯の南米予選で、エクアドルやボリビアのホームゲームでブラジルやアルゼンチンが毎回苦しんでいる、厳しい世界です。富士山の上はそういう厳しさがあるということは、自覚して登らないといけないでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三都主名古屋からオファー

2009-07-29 18:44:03 | 浦和レッズ
今日のナビスコ杯清水戦は平日ナイターの上、おそらく映像が手に入らないので、今回は穴埋めネタで、名古屋から正式オファーが来た三都主アレサンドロ選手の話をします。三都主といえば、左サイドで代表最多キャップを誇る左の専門家というのは皆さんご存知でしょう。

ただ、最適なポジションは3バックの左アウトサイドもしくは4-4-2の左サイドハーフです。今季、浦和が4バックを導入したことで、左サイドハーフの候補として期待していましたが、山田直輝の台頭もあり、フィンケ監督は左サイドハーフとしては考えていないようです。

そのため、三都主の出番は左SBに限られ、戻りの遅さを相手チームに狙われる結果になってしまいました。三都主は昨年、古傷の足の付け根の腱断裂でわずか1試合しか出場していません。今季もベンチスタートがほとんどなので、浦和サポでない方は現在のコンディションはご存知ではないと思います。

今の三都主は、清水時代に見せた高速ドリブルはほとんど見せなくなりました。たぶん2度も腱を断裂したので、怖さもあるのではと思います。しかし、左足で上げるクロスの精度は健在です。長身FWのいるチームなら、そのクロスで頭に合わせてくれるだろうと思うでしょう。

そう考えると、止まった状態ではほとんどヘディングで勝てないエジミウソンより、高さではJリーグで無敵のケネディに合わせたらアシストは増えそうな気はします。ただ、名古屋の左サイドは決して空いていません。

左SBは、他チームがどこも羨むであろう、左利きの阿部翔平がポジションをがっちり確保しています。左サイドハーフも、マギヌンのものです。ただ、マギヌンと三都主は明らかにタイプが違うので、スタメンは運動量の多いマギヌンでかき回し、疲れたら三都主を途中から入れてケネディの頭を狙わせるというオプションは十分考えられます。

ただ、これほどの選手を何の見返りもなく出してしまっていいのかということは浦和サポとしては当然思います。ケネディの加入で弾かれた巻佑樹を代わりに取って、負けているときのパワープレー要員とするとか、何か浦和にとってもメリットのある話でないと受けたくないような気はします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

減量からの解放(琴欧洲)

2009-07-28 18:48:02 | 他スポーツ
大相撲名古屋場所で、惜しくも優勝は逃しましたが、琴欧洲の活躍は大いに場所を盛り上げました。残念ながら、今は横綱昇進の基準が厳しくなったので、来場所優勝しても琴欧洲の昇進はなさそうですが、久々に本格的四つ相撲の取れる琴欧洲らしさが見られました。

琴欧洲はブルガリアの出身ということで「欧州(入門当時)」のしこなをもらっていますが、少年時代はレスリングでオリンピック金メダルが目標でした。ただ、柔道では最重量級は何kg体重があっても構いませんが、レスリングでは当時130kgの体重制限がありました。

当時から身長2メートルを超える大男だった琴欧洲にとって、この体重制限は辛いものでした。そんなときに、最初はマットの上に土俵型のゴムを引いて遊び半分で始めた相撲が、彼の人生を変えます。相撲の欧州選手権に出場した琴欧洲のところに来た佐渡ヶ嶽部屋のスカウトが「相撲はダイエットないよ」と勧誘します。

琴欧洲本人は、当時は日本という国の情報はほとんど持っておらず、未だに侍がいると思っていたようですが、やはりスポーツでプロになるのはチャンスと思ったのでしょう。19歳で入門した琴欧洲は、あっという間に番付を上げます。

最近はロシアやグルジアなど、欧州諸国から入門する力士は珍しくありませんが、琴欧洲の頃は珍しい存在でした。そういう力士たちの共通点はレスリングからの転向ということです。琴欧洲の相撲を見て評価できるのは、レスリング出身力士によく見られる、引いて相手の背中に回ろうとする癖がないことです。

確かに、レスリングは相手の後ろに回ればポイントを取れますし、相撲も相手の後ろに回れば送り出しでほぼ勝ちですから、やりたくなる気持ちはわかります。しかし、相撲では引く動きは相手を呼び込んでしまい、負けるリスクが高くなります。

琴欧洲の相撲を見ると、子供の頃からブルガリアで相撲を取っていたのではと思う程、最初から本格的四つ相撲の型を身に付けていました。ただでさえ、2メートルを超す長身と長い手足がありますから、琴欧洲に上手を取らせないことは相手力士には困難なことです。

四つ相撲を極めれば、貴乃花のような、「四つになったら絶対に勝てない」力士になることも十分可能です。そんな相撲を、見てみたいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

W杯4強への道2(韓国代表)

2009-07-27 18:41:43 | ワールドサッカー
岡田監督が、4強の目標を口にするときに、よく引き合いに出されるのが、2002年日韓W杯の韓国代表です。韓国の場合、地元開催で観客の声援が後押ししたという特殊事情はありますが、当時の「海外組」の人数では日本とあまり変わらないチームの快挙は、岡田ジャパンにとってもヒントになるはずです。

当時の韓国代表は、W杯予選は安定して勝ち上がっていましたが、本大会では日韓W杯の前は1勝も挙げていませんでした。今の韓国代表監督のホ・ジョンム氏が1998年当時の韓国代表監督でしたが、2000年アジア杯の不安定な戦いぶりで解任されていました。

それまで、韓国代表監督は韓国人がなるケースがほとんどでしたが、超大物がこのタイミングで空いていました。前回のフランスW杯でオランダ代表を4強に導いた、ヒディンク監督です。ヒディンク監督はオランダ代表監督を退任して、Rマドリードの監督をしていましたが、ちょうど解任されたところに韓国代表から話が来ます。

ヒディンク監督は、のちに世界中どこへ行っても結果を出す監督として、世界中からオファーが来るほどの監督になりますが、当時はまだそこまでの熱狂にはなっていませんでした。当時の韓国代表は、まだ3バックで相手2トップを根性でマークするサッカーの面影がありました。

ヒディンク監督はマンツーマンをやめ、3バックでも4バックでも戦えるチームを作って世界に対抗しようとしました。最大のハイライトはベスト16のイタリア戦です。イタリアにリードされた韓国は、なりふり構わずにDFを下げてFWを入れる采配を見せました。

当時、W杯の決勝トーナメントは延長に入ったらVゴール方式で決着をつけるルールでした。そのため、一見無謀に見えたこのヒディンク采配は、とにかく先にゴールを決めてしまえという、理にかなった策でした。安貞桓のVゴールで狙い通りイタリアを破った韓国は8強でスペインと対戦します。

さすがのヒディンク監督も、予選リーグから安定した戦いを見せたスペイン相手に90分で勝てるとは思っていませんでした。しかし、PK戦に持ち込めば勝てる可能性もあると言っていました。その通りにPK戦に持ち込んだ韓国は、GK李雲在の活躍で4強をつかみます。

この韓国代表から得るものは、策を打つと決めたら思い切って打つ必要があることでしょう。まだ、アジア相手の予選では劣勢の展開をあまり経験していない日本は、岡田監督がどれほどの引き出しを持っているか、それにかかっていると思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

W杯4強への道(クロアチア代表)

2009-07-26 13:52:30 | ワールドサッカー
一見、岡田監督が立てている「W杯4強」は、ドイツW杯を見る限り、主力選手のほとんどが欧州トップレベルのチームのレギュラーでないと厳しいように思えます。しかし、そうでない国が4強に入ったケースはあります。今回はその例として1998年フランスW杯のクロアチア代表を取り上げます。

当時のクロアチア代表は、欧州トップレベルのチームにいたのは、右アウトサイドのスタニッチ(パルマ[イタリア])、ゲームメーカーのボバン(ACミラン[イタリア])、FWのスーケル(Rマドリード[スペイン])くらいで、あとのメンバーは国内組や、欧州でも下位チームに所属していました。

そういうチームの4強は、当時は驚きをもって迎えられました。クロアチア代表は、W杯の前年にキリンカップで来日して、ベストメンバーではなかったですが日本に4-3で敗れていた理由もあります。当時は自分の分析力が未熟で、自分の言葉で当時のクロアチアを語れないのが残念ですが、サッカー専門誌の評論では「カウンター主体のチームがあそこまで残るのは珍しい」と言われていました。

ただ、のちに日本代表にオシム監督が就任したことでようやく話題になりましたが、当時のクロアチア代表には1990年イタリアW杯で「欧州のブラジル」と呼ばれて8強に残ったときの旧ユーゴのメンバーが一部残っていました。

そのメンバーが挑もうとした1992年の欧州選手権は、優勝候補とも言われたほどでしたが、ユーゴ紛争の影響で出場自体が取り消され、オシム監督も辞任して、この地域の代表が復活するのは1998年を待たないといけませんでした。

そんなチームの流れをくむチームですから、唯一記憶に残っている日本戦の印象では、試合巧者というものでした。あの試合はアルゼンチン戦とは違って、日本にもチャンスがありましたが、クロアチアは一瞬のチャンスに賭ける集中力がありました。

暑さの中の試合だったこともあって、当時のボランチのアサノビッチは、中田英寿からボールを取ってカウンターというプランだったと、大会終了後に語っていました。

ただ、W杯4強に入るためには、本当の勝負は8強です。クロアチアは8強でドイツに勝ち、夢の4強をつかんでいます。相手に退場者が出た幸運もありますが、たぶん日本戦でも見せたここぞの集中力で勝ったのではと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジョシュア・ケネディの印象

2009-07-26 11:01:51 | 他チーム
実は、レッズサポでありながら、昨日は名古屋の豪州代表、ジョシュア・ケネディ選手のプレーを楽しみにしていました。豪州代表でおなじみの名前ですが、名古屋の立場では実用的な補強で、ドイツのブンデスリーガ(カールスルーエ)で昨シーズンまでプレーしていてコンディション的にも問題ないことを確認しての補強です。

ただ、ケネディは豪州代表ではカタール戦で相手GKにヘディングで競り勝つようなスーパープレーも見せていましたが、所属のカールスルーエでは13試合ノーゴールの不振でスタメンを外されるなど、昨シーズンは彼にとってはベストの出来ではありませんでした。カールスルーエが2部に落ちたこともあり、このまま欧州に残ったら1部リーグと契約するのは難しいと判断してのJリーグ入りとも思えます。

現清水のヨンセンもポストプレーヤーとして強力な選手でしたが、上背は186cmと日本人が決して届かない高さではありませんでした。それに比べると、ケネディは194cmで日本の170cm台のCBでは届かない高さからヘディングができます。昨日の名古屋は、浦和がロングボールに弱い情報を得てサッカーを変えたのか、それともケネディの加入で変えたのかはわかりませんが、アーリークロスをケネディの頭に合わせるサッカーでした。

3点目を入れたヘディングは、ケネディの真骨頂で、名古屋はケネディを軸にするという考え方は伝わってきました。ただ、まったく対応が効かないかといえばそんなことはなく、坪井あたりは体をつけて少しでも相手の体のバランスを崩そうという守備で、これを1試合通じて徹底できれば完封の可能性もあるとは伝わってきました。

また、ケネディにも不得意なプレーはあります。それはカウンターの起点になったときのパスセンスです。名古屋はセットプレーの守備で、ケネディに守備をさせず、カウンターの起点として前に残していましたが、ケネディがボールを受けて他の選手に出す足でのパスは決して得意ではありません。これならケネディには守備をさせて、小川と玉田でカウンターを狙った方が確率は高そうです。

しかし、代表の岡田監督が、CBにフィジカルを求める以上、ケネディを完封すれば代表入りもあると思って、日本人のCBは気合を入れてケネディに対抗して欲しいと思います。個人的にはケネディにも対抗できそうな増川が味方なのは、残念なところもあります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伏線は横浜FM戦(7/25浦和対名古屋)

2009-07-25 22:32:49 | 浦和レッズ
この試合は、以前どこかで見たことがある展開だなと思いながら見ていました。その試合は6/21の横浜FM戦です。低い位置でボールを取った横浜FMが、ロングボールで3トップを走らせて浦和攻略に成功した、あの試合です。

プレビュー記事では、名古屋がケネディの頭狙いのアーリークロスでは来ないだろうと予想しました。しかし、これは見事に外れました。昨年成功したとはいえ、名古屋のサッカーは連戦や夏場に厳しいだろうと言われていたのは確かで、ストイコビッチ監督が現実主義に切り替えたとしてもおかしくはありません。

問題は、それに対応できなかった浦和側にあります。浦和のサッカーは卓越したゲームメーカーに任せるスタイルではなく、人数を掛けて数的優位を作って打開するスタイルです。こういうサッカーを目指すチームが一番やってはいけないのが、「悪いボールの取られ方」です。カウンターを食らうからですが、そんな場面は非常に目立ちました。

また、名古屋の守り方も、原口のところはある程度捨てて、ポンテを潰しに来ました。そのため、原口は何本かシュートを打てましたが、それは入らず、逆にポンテのところからカウンターを食らうという苦しい展開にしていました。それを打開するのは山田直輝しかいないと思っていたのですが、山田直輝を入れても駄目だったという事実は浦和サポの心に重くのしかかっています。

山田直輝の売り物は、運動量の多さとボールの動きを予測して細かくポジションを変えられるセンスですが、この日は復帰初戦だったこともあって、そのセンスの方が微妙に狂っていました。動いてもボールが来ない山田直輝では、何のためにいるのかわかりません。また、ボールを取られる場面もありました。

この敗戦は、相当深刻なもので、対戦相手が同じ手を使ってくる可能性はあります。次戦の清水もヨンセンがいるので、やる気になれば可能です。Jリーグに夢と理想をと願ったフィンケ監督のサッカーが、現実主義のアーリークロスに粉砕されたとあっては、将来どこもこういうサッカーをしなくなるのではと危惧しています。

何回ミーティングをしてもいいですから、話し合いで解決するなら是非して下さい。そうでないとサポーターはあまりにも切ないです。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

60kg台からのスタート(白鵬)

2009-07-24 18:42:20 | 他スポーツ
今、大相撲は白鵬と琴欧洲の優勝争いで盛り上がっていますが、ここのところ優勝争いを決して外さない安定感は、すでに白鵬時代が来たと言っても良さそうです。しかし、白鵬は宮城野部屋に入門した当時は体重が67kgしかありませんでした。

モンゴルから相撲界に入門するために来日していた白鵬ですが、今考えると無謀な話ですが、受け入れ先の部屋が決まっていない状態で来日してしまったそうです。しかも、体重が67kgといえばその辺の一般人と変わらない訳ですから、入門できずに帰国となる可能性が高かったのです。

しかし、そんな白鵬に、元前頭の竹葉山の宮城野親方が救いの手を差し伸べます。白鵬の父親は、元メキシコ五輪レスリング銀メダルという血筋の良さはありますが、多分土俵に上げさせてその身体能力に気づいたのでしょう。

こうして入門できた白鵬ですが、相撲はある程度体重がないと取れないスポーツですから、白鵬は宮城野親方の指示で、しばらく稽古をさせず単に食べるだけの日々を送らせました。その結果、体重が80kgを超えた時点でようやく稽古が許可されました。

白鵬はガーリックライスを10人前食べるなどもちろんですが、相撲界で軽量で苦しんでいる力士は、無理をしてでも体重を増やそうと、普通の人では考えられないほど食べるそうです。日馬富士あたりも、ステーキを6人前食べるという話を聞いたことがあります。

その成果もあって、白鵬の出世は順調で、入幕したらあっという間に三役になり、大関まではあっという間でした。今は横綱は二場所連続優勝しないと上げさせないと、横綱審議委員会がルールを厳しくしたので、横綱昇進だけは順調にはいきませんでしたが、低く安定した腰構えに、力強い上手投げも身に付けた白鵬にとって横綱は時間の問題でした。

既に幕内最高優勝は不知火型の力士として最多の10回を誇り、横綱としては十分合格点の結果を残していますが、ここ一年で85勝というのは驚異的な成績で、白鵬時代の到来を口にしても異論がないところまで来ました。まだ年齢も24歳と若いですから、しばらく白鵬時代は続きそうな気がします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする