Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

今年一年を振り返る

2019-12-31 15:52:46 | 雑記
2019年も残り10時間を切りました。今年一年を振り返ると、スポーツ観戦絡みではいろいろと充実していたと思います。先日誕生日の記事で書いたラグビーW杯のほかにも、浦和レッズのACL決勝アルヒラル戦、大相撲の東京場所の年3回、西武ライオンズの首位攻防戦のソフトバンク戦などを見る機会に恵まれました。

浦和レッズがACLの影響で平日開催が多かったことで、サッカーの観戦数は自己最少の18試合にとどまりましたが、ラグビー2試合、野球5試合、相撲3日間とあったので充実していたと思います。今年はカメラを新調したので、野球や相撲などでは写真がより良くなり、ブログで記事を書くときに写真付きで記事が書けるようになってきました。

もっとも、今年はマラソンが不振でした。3月の中野ランニングフェスタを頭痛で欠場し、5月の春日部大凧マラソンで66分、11月の戸田マラソンは台風19号の影響で河川敷が水に浸かったため中止と、1レースしか完走できませんでした。少し体力面では低下を感じており、桜環境センターのトレーニングも自己最少の23日と、疲れが抜けにくくなっていることは感じざるを得ません。

それでも、毎年恒例にしている春の花めぐりと、秋の紅葉狩りは無事できました。春は水戸偕楽園まで出かけて、一面の梅林を楽しんできました。秋は森林公園のカエデ園で、丘一面に植えられているカエデを見ることができました。まだまだ、やりたいことは無限に湧き出してくるので、自分らしく楽しんでいければと思います。

来年は何と言っても東京五輪が楽しみです。運よく、生観戦の機会に恵まれそうで、何が何でも生で見たいというkobbyの夢は実現しそうです。まだ、体調不良など当日までに何が起きるかわかりませんが、本当にスタンドに座れて試合を見たときに「ああ、いい試合を見た」と実感が湧いてくるものなのでしょう。

もちろん、春の花めぐりもいろいろ考えています。カメラ片手に、いろんな土地へ出かけて、写真を楽しめる来年になるように、楽しみにしています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後の詰め(12/17なでしこ対韓国)

2019-12-30 22:01:52 | レディース
(トップの画像は三浦成美選手、宮川麻都選手です)今更ながらですが、12/17に行われた東アジアカップのなでしこジャパン対韓国のビデオを見ました。韓国の女子は以前は比較的強化が遅れていましたが、W杯の出場権も安定してつかめるようになってきており、日本にとっては越えなければいけない壁になっています。韓国の女子のリーグ戦を月曜日の夜に開催して、テレビでの露出を増やそうとするなど改革の手も打っています。

なでしこジャパンは国内組がほとんどのチームですが、スタメンの半分以上(GK山下、DF宮川、遠藤、MF三浦、FW田中美南、籾木)が日テレベレーザ所属の選手です。そのため、4-4-2でサイドのMFの突破を生かすというチーム内の約束事が日テレの戦術に近いことから、この日テレベレーザ組は難なくこなせると思われました。

この日の日本が良かったのはDFの組織でした。韓国がボールを持ったときに、前の選手が戻って相手からボールを奪う、たとえ裏へパスを出されてもDFラインを揃えてオフサイドを取るといった、チーム内の統率は取れていました。前半、これが効いて韓国にはほとんどチャンスがなかったほどです。それでも、韓国の女子は日本より体格面では上回り、ゴール前の戦いでは簡単に勝てる相手ではありません。

そのため、サイドに出すまでの攻撃はうまく作れていた日本ですが、最後のゴールという結果がなかなか得られない試合になります。日本の高倉監督も攻撃がうまく行っていないとは感じていたようで、後半の頭に池尻を下げて小林里歌子を投入して、小林の持つスピードを生かしてボールの質を上げようとしてきました。

それでも、ゴールだけは遠かった日本ですが、後半41分に大きなチャンスがありました。バイタルエリアでフリーになった中島のパスから、籾木が放ったシュートが相手DF4番のハンドとなりPKを得ます。これを籾木自身が蹴ってゴール右に蹴り込み、日本は最後の時間でリードを奪います。あとは時間を使って確実に勝つだけでした。

この試合は引き分けでも東アジアカップの優勝という試合でしたが、最後まで勝利を目指していたことがこの勝利につながったと思います。五輪予選が開催国で免除の日本は、こういう真剣勝負の機会は大切にしたかったので大きな勝利になりました。五輪までの期間は親善試合で連携を深めることになりますが、国内組で基盤ができているのは強みにできればと期待しています。


長谷川唯選手、籾木結花選手


南萌華選手


山下杏也加選手


小林里歌子選手


田中美南選手
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベレーザ戦マニアック分析

2019-12-30 15:41:29 | レディース
後半、流れが良くないと見た浦和ベンチは、長島に代えてベテランの安藤を投入してきます。安藤は右MFに入り、さらにFWにいた高橋を左SBに下げてSBの佐々木繭を左MFに上げて、状況の打開を狙いました。しかし、日テレは1点リードを持っていたことで、ゆっくり確実にボールをつなぎながら浦和の消耗を待つことができました。

特に、前半から宮澤に裏を狙われ続けた清家のところが一番影響が大きかったと感じます。清家が見えない位置にポジションを取られ続けたことで、何度も後ろへ走らされた清家は限界状態でした。次第に清家は前から戻って来られないようになっており、浦和は清家が戻れない穴を安藤らMF陣が戻って埋めるのが手一杯でした。

安藤には得意の個人技で日テレSBに仕掛けさせたかったでしょうが、チームが消耗して動けなかったことで本来の役割を出させてもらえませんでした。こうなると浦和のチャンスはセットプレーだけで、FKからDF南が空いてシュートを打ったチャンスもありましたが、GK山下に止められてチャンスはついえました。

この劣勢が続いたことで、特にFWの菅澤のところにはほとんどボールが入らない展開になりました。カウンターを狙いたくても、日テレDFのラインコントロールでオフサイドにされてしまうので、浦和は数多いピンチをしのぐだけで手一杯になります。ポストに当たった相手のシュートが、一本でも入っていれば試合は終わりだったでしょう。

それでも、スコアは0-1なので最後の望みを賭けてロングボールを蹴りますが、日テレはこういう相手をいなしてチャンスにさせない完成度の高さを誇っており、チャンスは作れないまま試合はそのまま0-1で終わり日テレが皇后杯を制することになりました。正直、勝てる内容ではなかったと感じざるを得ず、1万人もの観客が入ったサポーターの熱気には応えられなかった試合になりました。

今季、元日テレ監督の森栄次監督がパスサッカーを構築したことで、浦和のサッカーは確実に変わりました。清家のDF起用などの奇策もある程度当たりました。それでも、森監督の古巣日テレはさすが「本家」の強さを見せました。本家を乗り越えるのは大変な作業だと、来季以降に期待するも厳しいかもしれません。






























小林里歌子選手です。


籾木結花選手です。








吉良千夏選手です。


長谷川唯選手です。




柴田華絵キャプテンです。


安藤選手、塩越選手です。


高円宮妃久子さまです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勝てる内容ではなかった(12/29浦和対日テレ)

2019-12-29 21:11:00 | レディース
今日はNack5スタジアムまで、皇后杯決勝の浦和対日テレを見に行ってきました。Nack5スタジアムは写真を趣味にするサポにとっては絶好の環境で、選手がリアルな笑顔を見せてくれるショットがたくさん撮れます。試合中でもカメラを手放せない展開でしたが、毎度恒例このブログは試合内容を書きます。

試合は日テレボールのCKからいきなり動きました。浦和がゾーンで守るかマンツーマンで守るか判断して、ゾーンだとわかったことでそのゾーンの外側にボールを供給してきました。そこでフリーになった田中美南のシュートが決まって、浦和としては痛すぎる1点ビハインドを追うことになります。それでも、INAC神戸戦で機能したように、シャドーでうまくボールを持てればチャンスも出たでしょう。

それをさせてくれないのが日テレでした。日テレのサッカーを、スタンドでじっくりと観察すると、細かいところが非常に上手いと感じます。ボランチに入った長谷川唯は、同じロングボールを蹴るにしても、キックフェイントを入れながら相手にブロックされないように蹴っていました。また、相手GKがロングボールを狙っていると見ると、DFラインを上げて浦和FW陣をオフサイドポジションに残します。

これでは、浦和FW陣はオフサイドポジションから戻るだけで手一杯で、とてもカウンターで仕掛けるところまで行かせてもらえない強さがありました。また、日テレ優位に試合が運んだ理由として、左MFの宮澤が常に浦和右SB清家の動きを見ていたこともあります。浦和は本来FWの清家を右SBで起用して、後ろからのロングボールを追いかけさせるダイナミックなサッカーを狙うこともあります。

その分守備は弱くなるので、そこを執拗に狙うという意図を何度も見せてきました。特に、清家が見えない位置に陣取るのがうまく、何度もカウンターで後ろを向かされた清家はスタミナを大きく消耗することになります。浦和GK池田が何度か好セーブを見せて日テレの攻撃を抑えたので、スコアこそ0-1で推移しますが、浦和不利は明らかと感じる前半になります。

浦和としては、INAC神戸戦で使えた、MF塩越の突破力も見せることができず、ロングボールを高橋か菅澤が収めたときに可能性が出るかどうかでした。これはベンチワークを見せて、選手を替えて攻め方を変えないと、打開できないと感じていました。

後半についてはマニアック分析で補足します。

































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森保監督の現役時代

2019-12-28 22:41:56 | 他チーム
今日、U-22日本代表の指揮を執っていた、森保監督の現役時代の記憶です。森保といえばドーハの悲劇のときのボランチで、当時の日本代表オフト監督が日本リーグのマツダで指揮していたときに知っていた「秘密兵器」でした。まったくの無名選手から日本代表に抜擢されたこともあって、森保は周りとの技術の差を感じながらプレーしていました。

森保はアンカータイプのボランチでした。オフト監督からは攻守をつなぐ役割を期待されており、CBの柱谷、井原からボールを受けると、パスを出せるときは振り向いてパスを出せという「ターン」、相手がプレスに来ていて出せないときはCBに戻せという「リターン」と、CBが出す指示に合わせて動いている役割が与えられていました。

また、当時の日本代表には、トップ下にラモス瑠偉がいました。当時36歳のラモスは攻撃面の能力は高かったものの、守備に関してはあまり期待できないので、ボランチの森保と吉田に守備的なタスクが与えられていました。波のように押し寄せる、相手の中盤に対して守備を地味にこなしていたのが彼の役割でもありました。

チームではサンフレッチェ広島でプレーしていました。当時の広島はバクスター監督が指揮してフェアプレーを徹底しており、この考えを学んだ選手たちの多くが今はJリーグで指揮を執っています。高木琢也(大宮)、片野坂知宏(大分)、松田浩(元神戸)、森山佳郎(U-19日本代表)などの多くの監督を出した「黄金世代」です。

森保は、最後は京都、仙台でもプレーし、引退後は古巣の広島で監督になります。前任のミシャが用いていた3-6-1をそのまま継承して、ミシャ時代にはあまりやらなかった守備の練習を増やしたことで優勝3回と黄金時代を作りました。できるだけ選手の練習は自分の目で見ることをポリシーにしており、代表監督になった今でも、ウルグアイ戦ではサブ組のハーフタイムのアップをギリギリまで自分で見ていました。

ドーハ組の森保監督が成功を収めることができれば、次の世代にもいい影響があるでしょう。Jリーグで育った選手たちが代表監督になっていく流れができるのが理想で、その先兵となるように期待しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空いた相手バイタルエリア(12/28U-22日本対ジャマイカ)

2019-12-28 21:27:29 | ワールドサッカー
今日のU-22代表ジャマイカ戦は、9-0という日本の圧勝に終わりました。今回のU-22代表メンバーは東アジアカップの代表メンバーはほとんど含まれておらず、多くの選手にアピールチャンスを与えたいという森保監督の意図があったものと思われます。大学生やJ2の選手も含む、代表当落線上にいる選手が主体でしたが、それでもバルサMF安部裕葵や、マリティモ(ポルトガル)FW前田大然なども含んでいました。

この試合が日本の圧勝になった背景には、日本とジャマイカ双方に要因があります。日本側から見ると、3-6-1の布陣で前からプレスに行くという意識がチーム全体に浸透していました。ジャマイカがボールを持ってもすぐに連動して取り返すことができたので、日本の攻撃時間を長くすることで優位なゲーム展開を実現しました。

また、ジャマイカ側から見ると、明らかにチームコンディションが悪そうでした。4バックを引くジャマイカのDFラインは、なかなかオフサイドを取るラインコントロールができておらず、俊足FW前田に前に走られていました。それを意識したようで、DFラインが下がってくるようになったジャマイカは、バイタルエリアに残っていた旗手、安部の2シャドーを簡単にフリーにしました。

こうなれば日本にとって攻略は簡単でした。サイドを崩しながら、マイナスのクロスを入れて、旗手と安部に合わせればいいとなります。事実、この日の旗手の2点はどちらもこのパターンでした。安部は相手のファウルに苦しんでいましたが、自らの仕掛けでPKを取り、これを安部自身が決めて、前半で5-0という挽回不可能な差をつけることに成功しました。

もっとも、この試合は親善試合なので交代枠は6つあります。前田、旗手、安部の3人は十分連係が取れると確認した日本ベンチは、この1トップ2シャドーをごっそりと入れ替え、FW一美、MF岩崎、MF三笘と入れ替えてきました。このサブ組の3人は、前半ほどの完璧とも言えた連係は見せきれませんでしたが、それでも点を取らないとアピールにならないと感じた一美のゴールで火が付き、最後にダメ押しもして9-0と大差をつけての勝利で終えました。

この試合が重要なのは、1月に行われるU-23アジアカップのメンバー発表が明日だからです。この試合でいいところを見せたメンバーでも当確は誰もいない印象で、今回は久保や堂安など、世界中に散らばるメンバーから選べるので森保監督は難しい判断が必要です。開催国で五輪出場権を持っている日本としてはこのU-23アジアカップは貴重な公式戦なので重視したいところで、明日のメンバー発表はいつになく重要と感じています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スピードを出せなかった(12/21リバプール対フラメンゴ)

2019-12-27 22:52:21 | ワールドサッカー
クラブW杯の決勝戦、リバプール(イングランド)対フラメンゴ(ブラジル)のビデオを今更ながら見ていました。リバプールの持っている縦へのスピードに対し、フラメンゴがどう守って勝負を終盤に持ち込むかがポイントだった試合でした。いきなり試合は動きかけ、前半1分で縦へのスルーパスに反応したフィルミーノがシュートを放つものの枠を外します。

フラメンゴとしては、最初はリバプールのスピードはわかっていても止められなかった印象を受けますが、そこはさすがサッカー王国ブラジルのチームらしく、無理にオフサイドトラップをかけに行かずに余り気味のポジションを取ることによって、リバプールの縦へのスピードを出させにくい守り方をしてきました。これで、思うように攻められないリバプールが自陣に2ラインを引く場面も出てきます。

フラメンゴは4-3-3の布陣で、トップ下にウルグアイ代表のデアラスカーエタを置いていました。フラメンゴとしてはデアラスカーエタのところに収めてからの展開を狙いたい様子で、FWの中央のガブリエルへいいパスを出したい狙いでした。4-3-3でトップ下を置くと、残り2枚のMFがほぼ守備専念となるデメリットもありますが、前の4人で攻め切る狙いでした。

この試合を見ていると、リバプールがここまで狙ったサッカーを出させてもらえない試合はなかなか見られないと感じます。プレミアリーグ得点王のサラーも思うようにシュートが打てず、チャンスと言えるものはフィルミーノの裏への抜け出しくらいでした。フラメンゴGKアウベス、リバプールGKアリソンの好プレーでスコアは動かないまま後半が過ぎていきます。

大きな場面は後半ロスタイムでした。リバプールのマネのシュートにラフィーニャが後ろからファウルしたという判定で、一旦PKが宣告されます。しかし、このPKはVARのビデオ判定の結果取り消され、リバプールとしては90分で試合を決める絶好機が消えてしまいました。試合は、0-0のまま延長戦に入ることになります。

延長戦はリバプールの強みが出ました。たとえ縦パスを何回跳ね返されても、1回通れば決定的にできるのがリバプールの強みで、99分に右サイドからの縦パスをフラメンゴDFが処理し損なったことで、マネが独走するチャンスになります。マネは1枚DFがついてきたのを見ると、落ち着いて走り込んできたフィルミーノに通してゴールになります。リバプールの勝利にはこの1点で十分で、あとはボールを持って時間を使えばいいと落ち着いた試合運びで勝利しました。

それでも、メンバー的には劣っても、やり方次第で勝負に持ち込めるフラメンゴの力は感じました。最後は攻撃が機能しなくなりましたが、南米サッカーの地力はあると見せた試合だったと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドーハの悲劇(1993年W杯最終予選)

2019-12-26 22:50:37 | ワールドサッカー
オフネタ恒例の昔話は、日本代表がロスタイムの同点ゴールでW杯出場を逃した、1993年10月のイラク戦の記憶です。今でも「ドーハの悲劇」と呼ばれる、日本サッカーにとっては大きな「事件?」でした。当時、日本はカタール集中開催の最終予選を戦っており、2戦目のイラン戦に敗れて崖っぷちから、北朝鮮、韓国と連勝して、このイラク戦を勝てばW杯出場決定という条件の試合でした。

当時、日本の左SBの都並が負傷で欠場し、代役に本来CBの勝矢が入っていました。そのため、サイドからの攻撃力が足りないと見たオフト監督は、長谷川健太を左ウイングで起用する3トップに舵を切りました。FWの真ん中は、今でも現役のカズです。当時26歳と全盛期だったカズは日本代表のエースで、彼のゴールで韓国を破ったのが大きな成果でした。

もっとも、イラクは戦争の影響もあってチーム作りは難航していたようですが、強いチームを作っていました。負ければ当時の独裁者、サダム・フセインの一族に鞭で打たれるという噂もあって、イラクにとってはW杯出場はほぼ絶望になっている条件でしたが、日本相手にボールを支配して攻めてきました。

後で検証番組で振り返ると、前半を1-0でリードして迎えたハーフタイムの雰囲気がおかしかったと聞きます。国際的なレベルでは無名(事実指導歴は日本だけ)なオフト監督は、これでW杯に行けると思えた展開に浮足立ってしまったようです。イラクに同点ゴールを食らって、中山のオフサイド気味の抜け出しが審判の誤審でゴールが認められるという幸運もあって2-1でリードしていましたが、当時の日本はプレッシャーに苦しんでいました。

最後の同点ゴールの場面は今でもよく覚えています。相手のCKから、意表を突くショートコーナーを選び、相手のDFの6番を狙ったはずのキックがミスキックになって、たまたまフリーになれた途中出場のオムラムに合って、これがヘディングシュートになりGK松永は一歩も動けずゴールになりました。ショートコーナーで守備に行って止められなかったカズは、今でもこのシーンが忘れられないと語ります。

当時、他会場の結果はリアルタイムで日本のテレビに映し出されていたので、引き分けではW杯に行けないというのは皆知っていました。それだけW杯に出ることは難しいことなのだと日本国民が皆知ったと、今だから振り返ることができますが、当時は中山がそうしていたように寝転んで「何だよ」と叫んでいた記憶です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5バックの機能のさせ方(2014年コスタリカ代表)

2019-12-25 22:41:44 | ワールドサッカー
今日はネタがないので、困ったときの昔話で、2014年にW杯ベスト8と旋風を起こしたコスタリカ代表の記憶です。当時、コスタリカは1次リーグで、イタリア、イングランド、ウルグアイという死の組に入れられました。大方の予想は3戦全敗での1次リーグ敗退で、しかも大会直前の練習試合で日本と対戦して1-2で敗れています。

しかし、まともに戦ったら勝てないと危機感を抱いた、サントス監督の采配が当たりました。コスタリカの取った戦術は5-4-1という守備を意識したもので、確かにプロレベルならDFラインに5人いれば相手にスペースを与えないことはできます。しかし、これまで5バックがうまく行かないことが多かったのは、攻撃を組み立てることが難しい戦術だったからです。

このときのコスタリカは、世界中の戦術愛好家に、5バックでも攻められるという解を披露しました。この戦術で大事なのは中盤の4枚で、この4人がうまくDFラインの前に陣取って、味方からボールを引き出すことが最初の解です。ここでセカンドボールを相手に拾われたらかなり失点に近いので、コスタリカはマイボールにできていたことが成功の理由の一つです。

また、攻撃の形も作り上げてきました。中盤で落ち着かせてから、攻撃には普段はDFラインにいるアウトサイドが上がり、1トップのキャンベルとトップ下のルイスがゴール前に入って、常に真ん中に2枚ターゲットがある状態を作っていました。真ん中にキャンベル1枚だと相手に読まれて簡単に取られてしまうので、もう一人攻撃に絡むのは重要です。

セットプレーもコスタリカの得点源でした。FKからDFの頭を狙う攻撃は、戦術などは関係なく、相手をうまく出し抜けば決まります。このように攻撃を組織立てたコスタリカは、イタリアとウルグアイに勝って1位で決勝トーナメントに進み、ベスト16ではギリシャにPK勝ちして、ベスト8という驚異的な結果を残すことになります。

今、Jリーグで5バックのチームを見ると、このときのコスタリカを基準に考えるようになりました。どうやって中盤がボールを引き出しているか、相手に一方的に攻められていないかなどがチェックポイントです。それだけ、W杯というのは世界中に影響を与えるものだと、今でも覚えている事実が示します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

双葉山の69連勝

2019-12-24 22:55:26 | 他スポーツ
今日はネタがないので、困ったときは昔の力士を思い出すことにして、写真の回向院にある「力塚」の寄進者に名を連ねていた大横綱、双葉山の69連勝を取り上げます。大鵬(45連勝)、千代の富士(53連勝)、白鵬(63連勝)と大横綱たちが挑んでも果たせなかった、遠く令和の世まで続く大記録は、神の領域とすら思えるほどです。

もっとも、双葉山の連勝記録は昭和の初めの頃で、残念ながら映像があまり残っていません。連勝記録が途絶えた、安芸ノ海に敗れた映像はたまに放送されますが、勝っている映像はなかなか見られません。そのため、双葉山の相撲は伝聞に頼りますが、若い頃は相撲が正攻法すぎて上位の壁に跳ね返されたとWikiにはあります。

また、若手時代には「うっちゃり双葉」と呼ばれるほど、逆転技で勝つことの多い力士でした。おそらく、その身体能力の高さの生かし方を覚えて強い力士になっていったのでしょう。待ったを決してしないなど、後世まで伝わるエピソードも多い力士で、この69連勝は前頭3枚目時代からスタートして、勝ち続けたまま関脇、大関、横綱と番付を上げていきました。

のちの千代の富士の53連勝は30歳を過ぎて達成した、経験と勘で達成した記録ですが、双葉山の69連勝は若さの勢いで達成した記録です。関脇や大関を無敗で乗り切った力士は、少なくとも私が見ている間は誰もいません。栃錦一代という、昭和時代の横綱栃錦の回顧録によれば、当時の力士たちは双葉山と当たる日を厄日と見て諦めていたというエピソードもあります。

双葉山は69連勝が途絶えたのちに、「未だ木鶏たりえず」という電報を送ったと伝わります。以前は格好良すぎるエピソードだと思っていましたが、電報を送った相手の名前まで詳しくわかっており、双葉山本人が書いた言葉なのは間違いないです。闘鶏で、木鶏は落ち着いて微動だにしない、そういう姿に自身を重ね合わせたのでしょう。

双葉山の時代は年2場所だったので、優勝回数は12回です。今の年6場所では相当稼げると思いますが、そういう記録面だけでなく、のちに理事長にもなるなど人間的にも尊敬された人物のようです。そういう歴史を積み重ねて今の大相撲があると、今の力士たちに間違いなく伝わっていると思いたいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする