Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

対大分練習試合

2013-01-31 18:42:55 | 浦和レッズ
古いネタですが、浦和の練習試合大分戦の情報が埼玉新聞からようやく入ってきたので、記事にします。大分戦は90分の練習試合が2本と早くも実戦の体力を意識したもので、浦和の主力組は2本目に出場しました。

大分がどちらに主力を出場させたかはわからないので、結果は3-1の勝利ですがこのキャンプ序盤の時点では結果自体にはそれほど意味はありません。それよりは、ミシャが誰を主力と考えているかが重要です。

主力組のスタメンはGK加藤、DF坪井、永田充、槙野、MF梅崎、鈴木啓太、阿部勇樹、宇賀神、柏木、マルシオ、FW原口でした。平川が疲れ気味で欠場して、空いた右アウトサイドに梅崎、左アウトサイドに宇賀神と去年のリーグ戦でも十分考えられるスタメンです。

このメンバーで戦った前半は0-1と大分にリードされましたが、移籍組の選手を出した後半から勢いが出たという情報です。興梠の1トップや関口の左アウトサイドは予想通りですが、森脇の右アウトサイドは本人いわく「1年ぶり」とのことで、驚きの起用でした。

点を取ったのは興梠とマルシオ(2点)でした。興梠は宮崎産業経営大戦ではまだコンディションはベストではないと自ら認めていましたが、少しずつ状態が上がってきたようです。マルシオもミシャサッカーでは2シャドーが点を取るのが一つのパターンということを示しました。

2008年のチーム始動時にエジミウソンがメタボ状態で来日して、浦和苦戦の要因になった苦い過去はどうやら今の選手は理解しているらしく、予定になかった宮崎産業経営大との練習試合を入れても対応できるコンディションはきっちり作ってきました。

この大分戦は早くから決まっていた練習試合なので、最低でもここまでには体調を間に合わせるのは一つの基準で、負傷の関口も急ピッチで間に合わせました。練習試合中心の2次キャンプでスタメン組を勝ち取る競争が出てくるはずですが、とりあえず今は移籍組も含めてミシャサッカーに馴染むことが大事です。

負傷が関口一人だったのは比較的順調だったかなと思います。これからも埼玉新聞に載っている範囲で、浦和情報はアップしますので、お付き合いいただければ幸いです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伝説のFK(沢登正朗)

2013-01-30 20:24:14 | 他チーム
昨日は浦和の練習試合の大分戦でしたが、出先なので埼玉新聞を見られる自宅に帰るまで情報が入らないので、オフネタで浜松大学の監督就任で久々に名前を聞いたミスターエスパルス沢登正朗元選手の思い出です。

沢登の名前は東海大一高校時代に選手権で活躍したので以前から聞いたことがあり、東海大学から清水入りしたときは地元志向を感じました。ただ、沢登が代表に入っていた全盛期(オフトジャパン時代)は私がサッカーをわかっていなかったので、本当の全盛期にどれほどの選手だったかはわかりません。

一つ明確に覚えているのは静岡ダービーになった1999年のチャンピオンシップで決めた直接FKです。当時清水で活躍していた三都主アレサンドロがレッドカードを受けて数的不利だった清水が、この沢登のFKで同点に追い付いて延長戦に持ち込んだことは印象的でした。

その後、沢登が埼玉スタジアムに来たら良さを確かめようと思ったら怪我したり出場停止だったりで、すれ違いだった沢登のプレーを確認したのは2004年でした。当時、沢登はベンチスタートが多くなり、全盛期は過ぎていましたが、CKとFKで見せた技術は衰えてはいませんでした。

また、富士宮に行く機会が何度かあった私は、タクシーの運転手から沢登の名前をよく聞きました。富士宮では地元出身の名選手として英雄的な存在で、静岡のローカルタレントと結婚した話も聞きました。

その沢登が自分がつけていた10番の後継者に、強化指定選手として清水に来ていた藤本淳吾選手を指名して、その藤本が長谷川監督のもとで中心選手に育ったことは鮮やかな世代交代で印象的でした。

その清水の10番は、今季からMF河井陽介選手が受け継ぎます。藤枝東高校で選手権準優勝、慶大時代はU-20代表に入った河井のキャリアは沢登を彷彿させます。足元がうまいのも沢登そっくりです。冗談で「こういうタイプは清水に行くことが多い」と言っていたら、本当にそうなったのはびっくりです。

去年はSBで起用されることもあった河井ですが、小野伸二が抜けた今はトップ下候補です。河井からバレーのラインがつながれば面白いと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ローテンブルクの思い出

2013-01-30 18:39:14 | 雑記
またオフネタですが、おとといネタにしたスウェーデン旅行の後、私は夜行列車でドイツに渡り、F1のドイツGPを見ています。もちろんオリエンテーリングが主目的の旅ではありましたが、F1を見られたのはいい思い出です。W杯が終わったばかりですから、ブンデスリーガは当然オフでしたが。

F1の後、私はロマンチック街道の代表的な町であるローテンブルクに行っています。交通の便が良くF1のサーキットから近いハイデルブルクに宿を取ってバスに乗り、3時間ほど揺られると着きます。このバスは時折トイレ休憩も入れてくれたので、浦和に来たマリッチの出身地、ハイルブロンでは城址に入ったりできました。

ローテンブルクは資料館で見た日本語の案内板によれば、30年戦争で敗れて「言及するに及ばない町になった」と発展から取り残されたことは町の人自ら認めていました。確かに鉄道はローカル線しか通っておらず、普通列車を2本乗り継がないと特急に乗れない不便な町です。

しかし、日本でも岐阜県の馬籠宿は中央西線のルートから外れたため古い宿場町が残った事実があります。ローテンブルクも中世から続く城壁に囲まれた町がほぼ完全に残っており、城壁に沿って一周もできました。

欧州では教会の塔の上に登ることは悪いことをした子供のお仕置きで、塔の上から町を見渡す習慣はありません。そのため、塔に登ろうとするのは大抵日本人で、料金を払おうとすると「いちマルク(当時の通貨)」と日本語で言われました。

ローテンブルクの広場は時計台の時報が楽しみでした。オープンカフェで食事をしながら見ましたが、30年戦争の敗戦時の「マイスタートランク伝説」を時計の仕掛けにしていました。敗戦したローテンブルクは勝者の将軍に献上するためになみなみとついだワインを用意しました。

将軍はローテンブルクの町を破壊する予定でしたが、「もしこのワインを一気に飲み干せる者がいれば破壊を取り止める」と言いました。名乗り出たのは副市長のヌッシュで、見事飲み干したことでローテンブルクは破壊を免れた伝説があります。

私の欧州の旅も終盤で、どこに泊まるかは決めていなかったので、欧州では一般的なツーリストインフォメーション(英語が通じる)で宿をその場で決めていました。偶然、その宿がヌッシュの家だったので、このマイスタートランク伝説はたっぷりと堪能させてもらいました。

ローテンブルクでは中世犯罪博物館にも行きました。現在は憲法や人権がある時代で信じられませんが、当時使われた拷問道具は夢に出てきそうでした。一番重い罪は「不法侵入」だったそうで、城壁の中は死守するという中世の人の意気込みを感じます。

また、観光地ローテンブルクはお土産を買うにはいい場所でした。祖母にゾーリンゲンの包丁を買ったり、弟にVfbシュツットガルトのペナントを買ったりと、ドイツのお土産はほとんどここで調達しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舞うような相撲(舞の海)

2013-01-29 21:16:12 | 他スポーツ
相撲しかスポーツがない、今の時期はどうしても頭が相撲のほうに向いています。1月は大抵オフネタですが、大相撲界が大型化していった時代に土俵を沸かせた小兵、舞の海の思い出です。舞の海は日大相撲部から入門した学士関取で、学生時代のタイトルは体重別のもので、無差別級のプロで通用するとは思われていなかった力士でした。

のちに、幕下付け出しの基準が厳しくなり、学生選手権やアマチュア相撲で一定以上の成績を残していないと幕下からはデビューできなくなりましたが、舞の海の時代は学生出身なら幕下の力はあるだろうと考えていた、おおらかな時代でした。それでも、身長が入門規定に足りなかった舞の海は頭にシリコンを埋め込む荒業で合格します。これを見て、学生などで実績があれば身長体重にはこだわらないと入門規定が改定されます。

舞の海といえば、技のデパートと呼ばれた取り口の多彩さが印象的です。一番有名なのは相手の顔の前で手をパチンとはたく「猫だまし」だと思います。当時の相撲界は礼儀や不文律が存在していて、こういう猫だましのようなテクニックは先輩力士に対しては行わないものというのが常識だったと、当時の親方衆は振り返っていました。

しかし、貴闘力のように格上力士に張り手を何発も見舞う力士も現れ、このあたりからルール上許される範囲なら勝つためには何をやってもいいという風潮になってきます。舞の海の場合は100kgにも満たない小兵だったこともあって、本場所で勝つにはこれしか手はなさそうだと親方衆は理解していたように思えます。

もっとも、NHKの解説者として舞の海自身が話していたのですが、猫だましはやること自体が目的ではなく、その後でどういう動きを繰り出すかが大事ということです。舞の海の場合は相手の下に潜らないと相撲にならない力士でしたから、命綱の左下手を引くために下に潜るための猫だましでした。相手が驚いて目をつぶっていれば、技としては成功という部類に入るそうです。

舞の海といえば八艘飛びと呼ばれた立ち合いの大きな変化も武器でした。出羽海部屋での稽古では秘かに温めていた策でしたが、相手の上を飛んで後ろに回る奇襲も舞の海ならではの技でした。三所攻めという、内掛けと足取りをミックスして相手を倒す技も見せたことがあります。

しかし、今振り返れば舞の海は、大きいことはいいことだという風潮でどんどん200kgに迫る巨漢がひしめいていた当時の相撲界だったから活躍できたと思います。後の世の朝青龍や白鵬が上位の時代なら、彼ら横綱は舞の海の動きには慌てずに対応できることができると思います。時代の変わり目には奇策が台頭することもある、一つの例だと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラトビア戦プレビュー

2013-01-29 18:39:55 | ワールドサッカー
今日はネタがないので、だいぶ早いですが来週水曜日の日本代表対ラトビア戦のプレビュー記事を書きます。今回の試合は国際Aマッチデーらしく、欧州各地に散らばる本田圭佑や香川真司も含む代表選手の招集を予定しています。

Jリーグのチームがキャンプの序盤で国内組がベストコンディションではなさそうなので、シーズン中の海外組の方が動けるだろうというザッケローニの判断だと思います。招集の可能性があるというレターはVVVフェンロ(オランダ)の大津祐樹にも届いており、A代表デビューの期待もあります。

ラトビアは旧ソ連の分裂でできた国です。バルト海沿岸にあるのでエストニア、リトアニアと合わせてバルト3国と呼ばれています。日本代表の2月の試合は最近は冬にサッカーができない北欧の国を呼ぶのが定番になっています。確証は持っていませんが、ラトビアもそんな冬の寒い国の一つだと思います。

ラトビアはジーコジャパン時代の欧州遠征で対戦したことがあります。ラトビアのスタジアムは映像で見る限り、駒場スタジアムくらいの大きさで、人口密集地ではなさそうです。

ただ、ラトビアのサッカー界は一つの勲章を誇っています。それは2004年欧州選手権に予選を勝ち抜いて出場したことです。当時のラトビアはグループリーグ2位でホームアンドアウェイのプレーオフに予選通過を賭けましたが、対戦相手は日韓W杯3位のトルコで絶対不利が予想されていました。

しかし結果は見事勝利で、ポルトガルで行われた本大会こそ1分け2敗でグループリーグで敗退しますが、小さい国でよくここまで来たというのが正直な感想でした。今回の来日はおそらく冬の間のコンディションを整えるためのもので、日本協会が何日かのキャンプ費用を負担した可能性があります。

このパターンでないと欧州の国は遠い日本まではそう簡単には来てくれないだろうとも思いますが、国際Aマッチデーならラトビアにとっても代表強化の場なので、コンディションはベストではなさそうですが面白い試合になることを期待しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スウェーデンの思い出

2013-01-28 18:44:12 | 雑記
オフネタで過去の話ですが、1994年に私が初めて降り立った外国はスウェーデンでした。飛行機に乗るのも初めてだった私でしたが、当時はバンコク乗り換えの9時間待ちやエコノミークラスの狭い座席も耐えられる精神力がありました。

スウェーデンの首都、ストックホルムは美しい街でした。リムジンバスの中から見て清潔感に気を配る国民性だと思いましたが、そのイメージ通りでした。高い建物が少なく、観光スポットになっている旧市役所の塔から街を一望できました。

ストックホルムは意外と小さな街で、旧市街地のガムラスタンは2日もあれば十分見て回れます。当時は世界的な猛暑の年で、普段なら涼しいはずのストックホルムが34度もあったのは参りましたが、時間は十分あったので、スーパーの中に入って何を売っているかチェックしたりもできました。

その中で目を引いたのは当時のスウェーデン代表MFブロリンの写真がパッケージだった子供用ユニフォームでした。あの当時はアメリカW杯の開催中の時期で、スウェーデン代表は4強入りする活躍でした。当時の代表選手はタブロイド紙の一面を飾り、パブリックビューイングで3位決定戦を見た私は、ドーハの悲劇で日本代表がW杯に出られなかった直後だけにうらやましいと思いました。

当時は毎日トレーニングをしていないと気が済まなかった、人生で一番体力があった頃です。このスウェーデン旅行の目的はオリエンテーリングの大会に出ることでした。日本人でまとまって小学校の教室で寝泊まりした、今だったら耐えられないような生活をして、毎日懸命に山の中を走っていたことは今でもいい思い出です。

スウェーデンは国民のほとんどが英語を話せる国です。あの当時はまだ英語が身に付いておらず、話しかけるのにためらいもありましたが、日本語は絶対に通じない相手なので、前置詞や時制は間違えてもいいからとにかく話そうと決意したら意外と通じ、自信のついた旅にもなりました。

美しい湖や岩山の針葉樹、抜けるような青空と自然美が素晴らしく、日本より広い国土に東京都の人口より少ない人数しか住んでいないのですから、東京都のように隣町に行っても市街地が切れないところから行った私には感動的な旅でした。街の中にスキーのジャンプ台があったのも印象的です。もう一度こんな楽しい時間を過ごそうという夢は持ち続けていたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高見盛、引退表明

2013-01-27 19:46:14 | 他スポーツ
大相撲初場所は日馬富士の全勝優勝に終わりました。優勝5回のうち、3回が全勝という勝負強さはさすがで、毎場所好調という訳にはいかないと思いますが、生涯の優勝の大半をこの時期に稼ごうという決意は感じます。

今日は千秋楽だったので、幕内から十両や、十両から幕下への降格が確実になる頃です。今日は元小結高見盛の引退が発表になりました。東十両12枚目で5勝10敗の成績では幕下降格は避けられず、36歳という年齢を考えると幕下から再起を目指すのは難しいという判断でしょう。

高見盛といえば立ち合い前に見せる気合いのパフォーマンスで有名な力士でした。これを忘れたときに完敗したこともあるので、縁起担ぎの意味もあるでしょう。これが有名になってからは場内のお客さんが高見盛の掛け声に合わせて声を出してくれるようになりました。

高見盛と聞いて思い出すのは右を差す自分の型を持っていることです。右のかいなが返れば勝ちパターンで、そこからすくい投げを打つ相撲を得意にしていました。相手もそれはわかっていて、高見盛と対戦するときは左を固めて差されないようにしていました。

高見盛は永谷園のお茶漬けのコマーシャルでも有名でした。大相撲は大関以上にならないと注目されることは普通ありませんが、高見盛だけは特別で、勝って胸を張る姿と負けて下を向く姿はそれだけでCMになるほどでした。そのため、高見盛の一番には平幕では珍しい懸賞金がかかっていて、相手力士は高見盛に勝てば臨時収入と気合いを入れられた損な力士でした。

高見盛は元関脇高見山が育てた力士では曙に次ぐ存在で、稽古場で弱く本場所で強いという不思議な力士でした。稽古場で手の内を隠していると、相手力士は憤慨したこともありますが、親方衆は「負ける方が悪い」とバッサリでした。

学生相撲から幕下付け出しでデビューしたので、下積みの苦労はあまり味わっていないエリートだったのも今回引退を決めた理由かもしれません。年寄株を持っているかどうかは現時点では不明(調べたら年寄株「振分」を持っている)ですが、次の人生の活躍を期待しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元気だった王子様(ローマ対インテル)

2013-01-27 13:31:08 | ワールドサッカー
今日は午前中に少し時間があったので、セリエAのローマ対インテルを見ていました。ふくらはぎを痛めていたインテル長友佑都の復帰戦という理由で注目されていましたが、相手のキーマンに付いて消す長友佑都の良さはありましたが、後半10分前後で交代して攻撃面では目立ったプレーは少なかったです。

それならばと、違うところに注目して見ていました。その注目点はローマFWトッティです。若い頃からローマの10番を背負い、2001年には中田英寿らとリーグ優勝を勝ち取ったトッティも既に36歳で、これが見納めになるかもしれないと思ったので、注目しました。

余談ながら、このローマ対インテルというカードは私が1999年にイタリアに渡って見たカードと同じです。それから14年の歳月が過ぎているので、残っている選手はトッティとインテルMFサネッティだけです。しかし、ローマの監督が当時と同じゼーマン監督でした。走るサッカーを標榜して3トップを組むゼーマン監督のサッカーは当時と変わっていませんでした。

右FWのラメラがスピード型で、中央のオズバルトはターゲットですが、マスコミには左FWと書かれていたトッティはタイミングを見て積極的に真ん中に入りトップ下の役割もしていました。トッティは2002年日韓W杯でイタリア代表のトップ下だった実績のある選手なので、目に付いたのはダイレクトで正確にパスを出せる技術の高さでした。

トップ下の選手だと、キックの飛距離は今一という選手もいますが、トッティの場合飛距離も十分にあり、ボランチの位置へ行ってもゲームメークができます。PKのキッカーも任され、当たり前のように決めたところは14年前と同じでした。

もっとも、トッティは既にベテランなので、90分を通して高いレベルのプレーをするのは無理とベンチに判断され、後半30分前後に交代しました。その後はアメリカ代表ボランチのブラッドリーが代わりにゲームメークをしましたが、トッティほどの急所をえぐるプレーはできず、試合は1-1で引き分けます。

インテルで印象に残ったのはコロンビア代表のトップ下のグアリンです。トッティが技術で勝負する選手に対し、グアリンは身体能力で勝負する選手で、ボールを受けてからのスピードあるドリブルと強烈なシュートは面白い選手です。コロンビアは南米予選で現在2位でW杯で見られる可能性もある選手です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大相撲初場所終盤戦

2013-01-26 14:53:01 | 他スポーツ
大相撲初場所はこれから14日目の土俵です。展開は横綱日馬富士が全勝をキープしていて、追う横綱白鵬、平幕高安は2敗なので、今日日馬富士が勝つか白鵬、高安が両方敗れれば日馬富士の5回目の優勝が決まります。

この展開は予想外でした。理由は白鵬が珍しく序盤の平幕妙義龍戦を取りこぼしたからです。白鵬は格下の相手を手堅くさばくのは得意にしていて、白鵬と10回以上対戦して全敗という力士はたくさんいます。妙義龍戦は一方的に押し出される白鵬らしからぬ相撲でしたが、それでも体力面に課題がある日馬富士が全勝をキープすることはできないと思っていました。

ところが、日馬富士が昨年の2場所連続全勝優勝はフロックではないことを証明する安定した相撲を見せ、大関戦を星一つリードして迎えます。これで白鵬は千秋楽の日馬富士との直接対決の前に1敗もできなくなります。

白鵬に二つ目の黒星を付けた相手が、変化がなく必ず四つになれるので上位には取りやすい相手と思っていた琴欧洲だったことも驚きです。琴欧洲にとって、この白鵬戦は会心の相撲で、立ち合いでうまく左上手を取ると休まず前に出たのが良かったです。

大関ならば、たとえ普段は9勝6敗の力士でも会心の相撲を取れば十分横綱に勝てるポテンシャルはあるので、白鵬の立場ならそれが出ても大丈夫なように中日まで全勝で行くしかありません。一番の誤算は妙義龍戦だったと思います。

それ以外では、把瑠都が10勝で大関に復帰できるかどうかは見所でしたが、昨日6敗目を喫し望みは断たれました。関脇になると大関と違って序盤戦から上位と当てられるので、流れに乗れないうちに負けが込むことを恐れていましたが、10日目までに5敗しては無理でした。

中日に国技館に行った際に私が写真を撮ることを黙認してくれた栃ノ心は前頭6枚目で8勝5敗と好調です。7日目にうっちゃりで勝った相撲が印象的で応援したいと思っていたら、たまたま私の横を本人が歩いていたのでびっくりしました。来場所は上位と当たる位置に番付を上げるので、一度も勝ったことがない白鵬戦の勝利を期待しています。

ちょっと寂しいのはベテラン雅山の不振です。突き押しの威力はめっきり衰え、十両相手にも勝てなくなってしまいました。もし、引退することがあればブログネタにするつもりです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浦和、今季初の練習試合

2013-01-26 11:29:09 | 浦和レッズ
去年、キャンプ2日目から戦術練習をやったミシャですが、今年は5日目に宮崎産業経営大と練習試合をしたのが初めての実戦になりました。

昔の浦和には、チーム始動日に初めて体を動かすようなプロ意識に欠ける選手もいましたが、いきなり戦術練習をやるかもしれないというミシャのやり方は選手もわかっているはずで、負傷の関口を除く全員が練習試合に出られるコンディションにしてきました。

今季の浦和は積極補強をしてきたので、注目は新加入の選手です。まだミシャは誰が主力組で誰が控え組という明確な線は引いておらず、今回の宮崎産業経営大戦にはほぼ全員に公平に出番を与えていました。新加入組で一番アピールしたのは明治大学出身の新人FW阪野で、2点を取って明確な結果を出しました。

森脇、那須はDF、興梠は2シャドーで出場しました。森脇は広島時代にミシャのやり方を知っている選手で、埼玉新聞にはDFの左右は書いていませんが、おそらく慣れている右ストッパーで出たと思います。

那須をどこで使うのかは注目していました。この日は永田充をリベロにしたストッパーでの起用でした。本人はCBにこだわりがあるらしいという話を聞いたことがありますが、場合によっては手薄なボランチに回る可能性もあります。

興梠は本人は1トップのポジションを狙っていると言っていますが、この日はシャドーでの起用でした。まだコンディションが100%ではないことは本人も自覚しているようで、ミシャが主力組を絞り込む2次キャンプの練習試合に合わせてコンディションを調整するらしいです。

去年の主力選手は2本目の60分の試合に出ました。阿部勇樹がリベロ、柏木がボランチ、梅崎がシャドーと微妙にポジションは変えていましたが、ミシャサッカーを吸収した昨年の主力が元気に練習試合に出ているのは嬉しいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする