Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

母の誕生日

2009-03-31 18:43:02 | 雑記
今日は母の誕生日です。母は私にとっては頭の上がらない存在で、あわてて出掛けようとするとよく忘れ物を指摘されます。それがだいたいその通りなのですから、いつまでたっても困った息子を卒業できません。

母はくじ運の強さもあります。かつてチケットの発売が電話のみだった頃、私が掛けるといつも発信規制を抜けられないのに、母が掛けるとよくチケットぴあにつながりました。トヨタカップなどの人気チケットだったため、結果は完売だったことが多かったですが、母がつなげてくれなければいつまでたっても掛け続けることになるので、感謝しています。

また、母の福引きの強さは驚異的です。秩父の温泉旅館の宿泊券を当ててくれて、おこぼれに預かって、雪の秩父を一緒に散歩しました。秩父神社には、日光東照宮で有名な左甚五郎作の彫刻があるなど、発見の多い旅でした。

母は頭もいいです。IQサプリなどの頭の柔軟性を競うタイプのクイズ番組では、いつも先に正解をわかられてしまいます。息子である私は、知ってることはあっても、それを柔軟に組み立てられない、動きの鈍い巨象のようなものです。

そんな母に、何か感謝の気持ちを示す方法はないかといつも考えていますが、たまに出掛けられるタイミングで、どこかに行くことかなと思っています。母は私が子供の頃と同じように、自分が連れていっていると思っているかもしれませんが、母と一日、大自然の中で話すことは、きっとお互いにとってプラスになっていると思います。

還暦は過ぎた母ですが、まだまだ元気なのは嬉しい限りです。少しでもまともに仕事をして、あまり母に心配をかけないようにしたいですね。
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隙を待つ男(サルミーン)

2009-03-30 18:37:14 | ワールドサッカー
4日連続バーレーンネタで、レッズのナビスコ杯の情報を知りたい方には申し訳ありませんが、映像がないのでレッズの話はできません。今回は、バーレーンの中心選手ながら、4年前にオウンゴールをして日本でも有名になってしまったサルミーン選手について語ります。

ただ、今回のバーレーン代表は陽動作戦を使った可能性が高いです。普通、外国の代表チームが来日するときは、日本協会に来日メンバーを報告しておくのですが、今回は試合当日になっても、バーレーンの来日メンバーはどこにも発表されていませんでした。

そのため、どうしても日本人の記者はバーレーンの主力選手全員の顔を覚えている人は少ないですから、バーレーンがベストメンバーを来日させていないというような誤報がスポーツ紙に載るということになりました。

私のような一般のサポーターは、バーレーンがベストメンバーだということに気づいたのは、試合当日のオーロラビジョンでした。しかし、悪いこととは思いませんでした。バーレーンの中心選手、サルミーンの動きを確認する、最初で最後のチャンスと思ったからです。

サルミーンは、4年前のW杯予選当時は右サイドの攻撃的MFでした。ボールが渡ると正確なパスをしますし、今回も出場していた右SB、モハメド・フバイルとの連係も悪くありませんでした。ただ、当時はゴール裏で応援をしながらの観戦でしたから、オウンゴールで全て印象が流されてしまった点はあります。

今回、バックアッパーの中央という見やすい位置で見たボランチのサルミーンの第一印象は「意外と動かないな」というものでした。試合が落ち着いているとき、特にバーレーンが最終ラインで回しているときは、ぴくりとも動きません。

ただ、もともとバーレーンというチームは中東の小国ながら、カウンターを武器にライバルを最小得点差で倒してきたチームです。今はアフリカからの帰化選手もいるバーレーンですが、カウンターとなれば止まっていたサルミーンが、突然前に出てきます。

ドリブルの切れはチーム一番ですし、パスを回しても大抵有効なパスを出せます。ただ、日本から点を取るには、サルミーンが攻める回数が足りませんでした。また、カウンターで中村俊輔や大久保が必死で帰る日本の運動量に、カウンターそのものを止められる場面も目立ちました。

中東の選手は生活習慣や食事の違いから、日本や欧州でプレーしている選手はほとんどおらず、実力のある選手は大抵カタールやサウジアラビア、UAEなどの産油国に行くことが多いです。おそらく、今回でサルミーンは見納めと思いますが、特徴がわかったのは良かったです。
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こんな手もあり(3/28日本対バーレーン)

2009-03-29 10:16:18 | ワールドサッカー
まずは誤報の訂正をします。バーレーンはこれまでW杯予選を戦ってきたベストメンバーでした。やはり、日本に負けても良いなどということはもちろんなく、あくまで逆転2位を狙って勝ちにくるプランでした。

ただ、その勝ち方のプランは、典型的な格下サッカーで、4バックを全員守備専念にするものでした。ただ、バーレーンのCBは高さのあるマルズーキと、スピード型のアドナンのコンビがしっかりしていました。こういう相手には普通にクロスを上げてもなかなか点は取りにくいです。

そんな相手に、岡田監督の取った策はなんと急造3バックに最終ラインを組み換え、両SBを前に出して攻めの枚数を一枚増やすものでした。あれだけ攻撃タイプを並べている中盤で、誰が最終ラインに入るの?という疑問はもちろんあると思いますが、それは遠藤でした。

ただ、バーレーンが前に来たらSBを戻していつもの4バックにするというプランは当然あったと思います。遠藤の最終ラインは、どうしても本職のCBのような強さはありませんから、バーレーンにそこを集中的に狙われると厳しいと思います。

この試合の得点は、皆さんご存知のように中村俊輔のFKで、しかも壁に当たって偶然コースが変わったものです。しかし、これを理由に、昨日の勝利は偶然だと断言はしないつもりです。むしろ、あれだけチャンスを作れば、勝利は必然だったと思います。バーレーンに徹底的に引かれて苦しみましたが、変なミスでカウンターを食らったり、集中ができていないようなまずいプレーはあまりなかったです。

これまで、当ブログで、岡田ジャパンのサッカーは2トップを組み立てに参加させず、サイドハーフかボランチがキープすると書いてきましたが、実は岡田監督の理想はSBがキープする形ではと想像できます。昨日も内田がクロスバーに当たる強烈なシュートを放ったり、SBのところで前目にボールを落ち着かせれば、豪州戦の課題であった「真ん中の枚数が足りない」という課題をある程度解決してくれます。

たまたま、この試合ではその形の成果は出ず、結果は最小得点差の勝利でしたが、岡田監督が「チームの一体感が出ている」と語るように、チームとしては進歩していると思います。世界の強豪相手に、SBがキープできるサッカーが本当にできれば面白いですが、現実的には苦しいでしょうが。
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バーレーン戦プレビュー続報

2009-03-28 14:28:25 | ワールドサッカー
今日は地元埼スタで、翌日仕事ではありませんから、更新できる可能性もありますが、念のため穴埋めネタを用意しておきます。バーレーンとの最終予選は、いよいよ今日に近づきました。これから出かけますが、さすがに前日になると、インターネットにいろいろな情報が流れてきます。

まず、昨日話題にしたマチャラ監督ですが、毎回日本に勝っているわけではないと書きました。今日、2000年のアジアカップのときの自分の観戦記を読んでみましたが、当時のマチャラ監督はサウジアラビアを率いていて、1次リーグの初戦で日本と対戦しています。1996年のクウェート代表のときの印象があったので、マチャラ監督?サウジアラビア?と並ぶと脅威に感じていました。

ところが、今その試合の結果を調べてみると、4-1で日本の勝利です。しかもサウジアラビアにはほとんどいいところがなく、マチャラ監督はその試合後、大会の途中で解任されるという屈辱も味わっています。決して日本をカモにしているわけではないので、ご安心?下さい。

また、バーレーンのメンバーは残念ながら調べきれませんでしたが、スポーツ紙の情報によれば、バーレーンは日本にアウェーで勝って逆転2位を狙うより、確実にグループ3位になり5位決定戦に出られるようにするため、次(4/1)のホームのカタール戦での必勝を狙っているようです。

そのため、今回の来日メンバーには海外でプレーする選手はいないという情報です。サルミーンがもう一度オウンゴールをする可能性はないかもしれません。ただ、メンバーを落としたバーレーン代表といえども、そう簡単に勝てる相手ではありません。それは、3次予選の最終戦の消化試合、結果は1-0で勝ったとはいえ、2軍メンバーで来日したバーレーンが意外と侮れなかったからです。

メンバーが落ちているなら、豪州戦で見せたような攻撃サッカーはありえず、4バックをしっかり守備に専念させる慎重なサッカーを見せるでしょう。ただ、このサッカーで日本と良く似たスタイルのウズベキスタンを完封しています。日本としては、中村俊輔、松井の両サイドハーフがいかにボールを持てるかが勝負です。

前回の豪州戦は、攻撃の枚数が足りなかったから引き分けたと岡田監督は総括していますから、サイドハーフがしっかりキープして、ボランチが上がれる時間を作り出せるかが鍵でしょう。
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バーレーン戦プレビュー

2009-03-27 18:42:40 | ワールドサッカー
浦和のナビスコ杯広島戦は映像がないので何も語れず、代表の大一番のバーレーン戦はWBCから頭が切り替わるのが遅れました。そのため、前日になって今さらながらのバーレーン戦プレビュー記事を書きます。

過去にもバーレーンのことは何度も書いていますが、今の監督はチェコ人ながら長く中東で名監督として知られるミラン・マチャラ監督です。かつては1996年のアジアカップでクウェートを率いて、決勝トーナメント1回戦で当時加茂監督が率いていた日本を破っています。

この敗戦で、中東のパワーサッカーを恐れた加茂監督が3バックに布陣を変え、これが機能せずに加茂監督は解任されました。つまり加茂監督が解任されるきっかけを作った訳で、これは日本サッカー界にとっては苦い思い出でしょう。

ただ、マチャラ監督はどんなチームでも結果を出した訳ではなく、2004年のジーコジャパン当時の一次予選ではオマーンを率いて日本に連敗しています。バーレーンの監督としても、通算対戦成績の2勝2敗を理由に脅威に思う方もいらっしゃるでしょうが、一番肝心なW杯最終予選では日本に敗れています。

そのため、そんなに極端に恐れる必要はなさそうで、日本としてはもちろん勝利を目指して戦って欲しいですが、W杯予選を通ることだけを考えたら、アウェイで勝っているバーレーンにホームで引き分けても、対戦成績は1勝1分けでそんなに悪くありません。

ただ、負けると2位は守るものの、バーレーンに勝ち点1差に迫られますから、バーレーンに勇気を与えてしまいます。岡田監督は3トップの練習をしたり、いろいろ撹乱に出ているようですが、あまり変わったことはせず、これまで作り上げた4-4-2でしっかり戦うことを考えて欲しいです。

バーレーンはこれまでの試合を見る限り、ホームでは中盤でボールをつなぐサッカーもしますが、アウェイでは4バックを守備専念にさせて慎重に戦ってきます。おそらく日本相手にもカウンター狙いと思います。

ただ、今のバーレーンはA・フバイルの頭を狙うサッカーはせず、アフリカから帰化したジェイシー・ジョンのスピードを生かしたサッカーをします。これをサポートするのが、ボランチのサルミーンです。

この名前に心当たりのある方もいらっしゃるでしょうが、4年前に最終予選で日本相手にオウンゴールをした選手です。もし、もう一度オウンゴールをしたら、バーレーンに帰れないかもしれませんね(笑)。
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WBCのヒーロー(岩隈久志)

2009-03-26 20:35:09 | 他スポーツ
ちょっと出遅れましたが、WBC関連のネタで、MVPこそ松坂に譲ったものの影のヒーローだった岩隈久志投手を取り上げます。岩隈は昨年の21勝で、WBCでも先発要員の評価を勝ち取りましたし、本番でも負ければ終わりの敗者復活戦のキューバ戦で見事な投球を見せました。

今や楽天のみにとどまらず、日本球界にとってもなくてはならない存在の岩隈ですが、デビューは劇的な形で成し遂げられました。2001年シーズン、優勝を目前にした近鉄が、眼下の敵西武と対戦した試合で、先発に抜擢されたのが当時はまだ実績のなかった岩隈でした。この試合で、見事な好投を見せた岩隈は、その後一躍近鉄のエースに上り詰めます。

私はそんな岩隈を見たくて、2003年に西武ドームまで松坂と投げ合った試合を見に行っています。今思うと超豪華対決ですが、松坂がスライダーでストライクゾーンを出し入れすることで勝負している投手であるのとは対照的に、岩隈は振らせる変化球はワンバウンドにしてもいいとはっきりボールにしてきます。

こういう投手は、ボール球を見極められると苦しいはずですが、岩隈の場合、松坂と投げ合ってもまったく引けを取らないストレートがありました。これがあるから、ボールになるスライダーを相手打線は振ってくれるのです。この対決は、両投手の球が速いことから、非常にテンポ良く感じられる、面白い試合になりました。

ただ、そんな岩隈も、オリックスと近鉄が合併した際に、楽天に移籍するときはちょっとしたトラブルもありました。コミッショナー裁定で楽天に移籍できましたが、本当にそんなわがままを許していいのかという論調もあったはずです。しかし、活躍して楽天に行ったことが正しいと証明すればいいのがプロの世界で、それは昨年の21勝で証明されたでしょう。

WBCの優勝は、もちろん快挙ですが、野球というスポーツを強くするためには、底辺から続々と選手が湧き出して来るような環境がないとできません。日本という国は、甲子園の高校野球が全試合放送されたり、全ての都道府県にスタンド付きの野球場があったりと、野球大国だと思います。次のWBCには、第二の岩隈と呼ばれるような若手選手が出ていることを願いたいです。
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他力から自力へ(金澤慎)

2009-03-25 18:48:48 | 他チーム
日本野球のWBC優勝については、もし見ていれば何か書きたいですが、社会人の宿命で仕事でした。嬉しいですが、見逃した無念さがつい出てきてしまうので、今日は穴埋めネタで失礼します。

今日、話題にするのは大宮アルディージャのボランチの金澤慎選手です。若手のように見えますが、結構いろいろなキャリアを積んでいる選手です。初めて金澤を見たのは、大宮のJ2時代の2004年に現札幌の純マーカスとダブルボランチを組んでいた頃でした。

当時、彼ら二人の役割はほぼ固定していて、金澤が攻撃的に前に出て、純マーカスが後ろでバランスを取る役割でした。ただ、当時の金澤は、上がるタイミングなどは決して悪くありませんでしたが、するすると上がって味方のパスを待つ攻撃パターンがほとんどでした。

金澤を後ろの選手がちゃんと見ていれば、パス待ちでも悪くありません。(事実川崎Fの谷口はそういうタイプのボランチですが、後ろに中村憲剛がいるので生きます)しかし、当時の大宮は金澤のオーバーラップを常時見てくれるほど成熟したチームではありませんでした。

そのため、金澤のオーバーラップは無駄足に終わることも多く、そのタイミングで相手ボールにされたらカウンターのピンチになります。これではJ1では厳しいとフロントが判断したのか、ボランチには小林慶行を補強され、金澤は入れ替わるように当時J2の東京Vにレンタル移籍します。

東京V時代の金澤は一度しか見ていませんが、当時の東京Vはいろいろなチームから選手をかき集めた寄せ集め軍団でした。これでは金澤のオーバーラップを見てくれることなど望めません。これで、金澤はオーバーラップばかりではなく、ボールを持ってからの技術を磨きました。

去年、大宮に戻ってきて埼玉スタジアムで見た金澤は、ポジションこそ攻撃的MFに移っていましたが、そこで意欲的にミドルシュートを放ち、スコアレスドローの試合の中、輝いていました。また、今年の開幕戦は本来のボランチで出ましたが、コンビを組む相手が新人の新井涼平ということを理解して、一手に守備的な役割を引き受けていました。

やはり、パスを待つだけでなく、自力で何かできないと大宮というチームでは生きないということに気づいて、能力を磨いたから今の金澤があるのでしょう。個人的には小林慶行と組んだときに何をしてくれるかが楽しみです。
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非情が生んだ世界一(ボビー・ムーア)

2009-03-24 18:47:42 | ワールドサッカー
かなり昔の選手で、私もプレーを見たことはありませんが、元イングランド代表DF、ボビー・ムーアさんの話題です。なぜ、今さらと思う方もいらっしゃるでしょうが、ちょっと前にベッカムが彼の史上2位の代表キャップ数に並んで話題を呼んだので、ネタにします。

しかし、ベッカムにこの話題を振ると、「彼はW杯で優勝した選手で、自分は優勝経験がないから、比較にならない」と謙遜していました。世界的知名度ならベッカムが上ですが、W杯が世界中に中継されるようになったのは最近のことですから、先人を崇めたのは正しい判断でしょう。

そんなボビー・ムーアが優勝したW杯は、1966年のイングランド大会です。最終的には代表キャプテンになる彼ですが、11歳という少年時代に、当時の指導者から非情の宣告を受けています。

それは「お前の足は、どんなに頑張ってもこれ以上速くならない」というものでした。サッカーを辞めたくなるような厳しい言葉ですが、その言葉にはフォローがついていました。

「しかし、どんなときでも、フィールド上の自分以外の21人がどこにいるか把握して、彼らがどんな動きをするか読み続ければ、それなりの選手になれるかもしれない。」というフォローでした。

これを聞いたボビー・ムーアは、必死で視野を広げる努力をしたものと思われます。プロになるだけでも大変だったと思いますが、彼は代表キャプテンとしてW杯優勝にまでたどり着きました。残念ながら、彼がどういうタイプのDFだったかは知りませんが、これこそまさにサッカー界の敗者復活です。

こういう例は日本人にもいます。中村俊輔は、自ら「俺は足が速くない。」と認めています。かつての代表FWの鈴木隆行は技術では並み居るFWにかなわないと言っています。

ただ、中村俊輔は誰もかなわないような技術を身につけましたし、鈴木隆行は球際の強さがあります。何か欠点があっても、それをカバーするものがあれば、きっと何かはつかめるでしょう。
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ちょっと前がベスト(エジミウソン)

2009-03-23 19:26:15 | 浦和レッズ
浦和は引き分けでしたが、エジミウソンの点の取らせ方がようやくわかったのは数少ない収穫だと思います。ジュニーニョ(川崎F)のように長い距離を走るFWではなく、かといって止まっている状態ではほとんどヘディングに勝てず、サイドアタッカーとしてもそんなに速さはありません。

そんなエジミウソンが点を取れる唯一のスポットは、狭くてもいいから、自分の近くにちょっと空いたスペースです。しかも、頭でも足でも取れるといういいことづくめの位置です。そのように少し動いて点を取るのは、新潟時代からの必勝パターンでした。

そんな簡単なことがエンゲルス時代になぜわからなかったかというと、おそらく浦和がエジミウソンが「パス待ちFW」ということを十分に把握していなかったと思います。ドリブルもあるFWですから、思わずゴール前を個人技でこじ開けてくれるワシントンの幻影を追ってしまったのかもしれません。

また、昨年はエジミウソン自身もメタボ状態で来日するなど、努力を怠りました。味方に自分を理解してもらえず、しかも自身のコンディションが悪ければ、当然結果は出ません。当時、エジミウソンはチーム全員が自分に点を取らせるためにハードワークしてくれた新潟時代を懐かしく思ったかもしれません。

しかし、今年ダメなら二度とJ1でプレーできなくなるかもしれないという崖っ淵だということは、エジミウソン自身が一番よくわかっていたようです。今年はキャンプの序盤から練習試合に出られる状態に仕上げてきましたし、結果も出しています。

FC東京戦でのポンテのアシストも、エジミウソンがちょっと前に飛び込めば点を取る確率が高いというのを計算したクロスですし、磐田戦のヘディングシュートも、前に空いたわずかなスペースに飛び込んで、川口より一瞬早く触ったものです。

その、ちょっと空いたスペースに正確にパスを供給するのが、一番難しいですが、フィンケサッカーは誰がパスを出すか分からない面白さがあります。阿部勇樹あたりがどんどんアシストしてくれれば面白いですが。
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ボクシングでも通用?(寺尾)

2009-03-22 10:29:29 | 他スポーツ
引退してずいぶん経ったので、寺尾?誰?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、大相撲の元関脇です。回転の速い突っ張りが売り物だった力士で、上位相手には善戦するもなかなか勝てないという力士でした。ただ、この回転は当時、話題になりました。その手数はボクシングでも通用するのではと、スポーツ紙に特集が載ったほどです。

ただ、寺尾の立派なところは、善戦止まりに終わらなかったことです。寺尾は先に上位に上がった兄、逆鉾と同時に上位に並び、史上初の快挙である兄弟同時関脇を成し遂げます。また、寺尾は全盛期の貴乃花に対抗する気迫を見せた力士でもあります。負けたときに悔しがってさがりを叩きつけたことや、貴乃花に土をつける頑張りを見せたことが記憶にあります。

また、寺尾の立派なところはもう一つあり、力士寿命の驚異的な長さです。寺尾が活躍していた時代は大相撲の大型化時代でしたから、軽量の寺尾は常に負傷のリスクを抱えていましたが、寺尾は負傷にも強かったです。たぶんいろいろなところを傷めていたと思いますが、それをまったく表に出さず、当たり前のように土俵に上がり続けました。

その結果、39歳まで現役を続けた寺尾は、人気力士として常に大きな声援を浴びる力士でした。見た目もかっこよかった寺尾には、女性ファンも結構いましたし、小さな体で上位相手に真っ向勝負を挑む果敢さにも、ファンは結構いました。

ただ、そんな寺尾も、体調を維持するために、夜は常にぐっすり寝ないといけないというプレッシャーがあり、子供と同じ部屋では寝られなかったそうです。引退して何かいいことがあったかと聞かれると、「子供と同じ部屋で寝られる」と答えていました。今は、寺尾も親方になり、弟子の豊真将を幕内に送り込むまでになりました。

豊富な稽古量と、気合で一時代を脇で支えた寺尾ですが、彼は現役時代のインタビューで新入幕当時に「自分は主役にはなれないから、最高の脇役になりたい」と語っていました。その目標はかなったのかもしれません。千代の富士に吊り落としを食らったり、貴乃花との気迫のこもった一番など、今でも記憶に残る力士です。
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