Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

冷房車の思い出

2009-01-31 21:29:56 | 雑記
電車は全部冷房があって当たり前という若い世代から見たら、年がばれるおじさんネタですが、私の小学生時代は冷房のない車両がまだまだたくさんありました。当時、よく乗っていた武蔵野線は、101系という旧型の車両がまだ現役で、この車両が構造的に冷房を積めないという欠点があって非冷房のまま残されていました。

ただ、当時の武蔵野線には、たった1編成だけ103系が走っていて、この103系は全車冷房車だったことから、夏場に武蔵野線に乗ると103系の到着を期待していた自分がいました。鉄道博物館で、久しぶりに101系のシートに腰を掛けて、母と「懐かしいね」と言い合っていましたが、当時は歓迎できない車両だったのです。

また、冷房車もまだ出始めの頃で、103系といえども冷房のない車両が一部ありました。それは、当時の国鉄では京浜東北線は、前の3両、後ろの3両だけが冷房車で、真ん中の4両には冷房がついていませんでした。

そのため、通勤客はどこからが冷房車で、どこからが非冷房車か知っていますから、混んでいても冷房のある車両に乗るか、座れるけれども暑い車両に乗るかは、当時の「究極の選択」でした。そんな私には、いち早く全車冷房化を決断した山手線に乗ることはあこがれでした。

鉄道博物館で、山手線駅名クッキーにいち早く反応して、自宅用のお土産に決めたのはそんな少年時代の思い出があるからです。また、103系の冷房車の驚異的な涼しさにも、当時は驚いていました。理由は、冷房と扇風機を併用して、扇風機の風が当たる瞬間があるからですが、これで103系に乗れば一発で汗が引くと、当時は無邪気に喜んでいました。

今や、冷房も必ずしも善とは限らず、体調を崩す人も出るという理由で「弱冷房車」が採用されたり、すっかり社会も多様化しました。また、扇風機も製造物責任法の壁で、これで子供が指を切断したら大変と、今やどこの車両にもありません。すっかり時代は変わりましたが、今の方が良くなったことも世の中にはたくさんあります。

もし、もう一度生まれ変われるとしたら、迷わず今の年齢を選べるかというと、ひょっとしたらもっと若い方がいいと、わがままを言っているかもしれません。
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十両の厳しさ(相撲)

2009-01-31 13:50:20 | 他スポーツ
一見、幕内の下で「二軍」のような存在に見える十両ですが、相撲界に入門した力士は全員がまずは十両を目指し、横綱になった力士でも引退後は「新十両が一番嬉しかった」と語るほどの重みのある地位です。

その差は待遇面が一番大きいです。幕下以下は給料が出ず、場所手当てという年6回支給されるわずかな金額で生活していますが、十両に上がると年収1500万円という驚異的な給料をもらえます。また、幕下以下は本場所が7番ですが、十両に上がると15日間毎日取ります。そのため、7敗まではしてもいいという余裕ができるという差があります。

それを考えると、たまに本場所で幕下や十両の相撲を見ると、十両力士が自分たちの地位を守ろうとする執念と、幕下の力士が何としても十両に上がろうとする執念が、激しくぶつかり合うのを感じます。それは、十両が東西14枚しかなく、勝ち越し1で番付が一枚上がるという現行ルールでは、一場所2勝13敗を食らうとほぼ即幕下陥落という厳しい地位だからです。

ですから、十両を長く守っている力士は、何としても怪我だけはしないように細心の注意を払って、何とか毎場所8番勝てる状態に体調を仕上げているのでしょう。かつて、北の湖が持っていた通算最多勝利の記録を、十両が定位置だった大潮という大ベテランが破って話題を呼んだことがあります。

この大潮の記録の内訳を見ると、幕内での勝利は300勝台ですが、十両で600勝以上を挙げて、後に千代の富士に破られるまで最多勝記録を持っていました。ただ、その代わり黒星の数も多く、900敗以上しています。当時は、十両は二軍に当たるのだからこの記録に価値はあるのか?という記事が載ったことがありました。

しかし、十両を長く保つことの難しさを考えたら、常に幕下の勢いある力士に足元を脅かされながらの記録達成はこれはこれで価値のあることだと思います。また、十両がいかに厳しいかは、十両優勝が大抵11勝4敗や10勝5敗で決まることが多いことにも現れています。

かつての横綱の貴乃花も曙も、十両はそんなに順調に通過できず、曙は十両以下の優勝が一度もないというほど苦しんでいます。幕内経験のあるベテランが、持ち前のテクニックで若手を手玉に取る、上を目指す力士にとっては最初の壁です。そんな攻防を見たくて、たまに、一日時間が空くと十両の相撲を見たくなることがあります。
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4-3-3の威力(ヴァンフォーレ甲府)

2009-01-30 18:56:13 | 他チーム
2006年シーズン、優勝を目前にしていた浦和は、ホーム埼玉スタジアムにヴァンフォーレ甲府を迎えました。甲府はそのシーズンは15位と結果的にはぎりぎりの残留でしたが、16位の福岡には勝ち点でだいぶ差をつけていて、チームの予算規模を考えたら、予想以上の頑張りです。

浦和に優勝を早く決めて欲しい気持ちはもちろん強かったですが、甲府がどうやって下位チームには難しい戦術の4-3-3を消化しているかも楽しみな試合前でした。浦和のことは当時のブログに書いたと思うので、今日は当時の甲府の思い出を書きます。

私にとっては甲府は初めて見るチームではありませんでしたが、最後に見たのがJ2時代の2004年で、運動量の落ちていた小倉のクロスが頼りというチームでした。しかし、翌年就任した大木監督が走るサッカーに変えて、入れ替え戦で柏に勝ってJ1に昇格しました。

そんな「走る甲府」の秘密はサイドハーフの藤田、石原の驚異的な運動量でした。4-3-3のチームは中盤がきついので、MF3枚は全員ボランチのようになることが多いですが、甲府の場合、自分たちがボールをキープしていれば、藤田と石原のどちらか一方には上がる許可が与えられていました。

また、3トップの真ん中で出ていた茂原も効いていて、相手CBを釣りだすおとり役でした。最初はバレーを真ん中に置いていたのですが、バレーがその長身の割にポストプレーが得意でないということに気づいた大木監督は、バレーを左サイドに置きます。

茂原は少し引いてきて、単純にポストプレーをして、実際に点を取るのはバレーというサッカーに、多くのチームが撹乱され、甲府のホーム小瀬競技場で勝ち点3を取るのは難しいと、当時は言われていました。

当時の浦和も、小瀬競技場では引き分けの勝ち点1しか取れませんでした。埼玉スタジアムでは3-0で勝っていますが、甲府が良いサッカーをしたことは、今でも覚えているくらいだから間違いありません。

ただ、予算に限りのある甲府にとって、バレーレベルの外国人選手を毎年取ってくるのは不可能でした。バレーがG大阪に去ると、後釜の外国人選手に苦労して、残念ながらJ2に降格してしまいました。

しかし、J1は初めてという選手がほとんどのチームを率いて、J1に旋風を巻き起こした大木監督の印象は強く残りました。今は日本代表コーチですが、またいつか意外なチームをJ1に昇格させてくれそうな気がします。
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私とメジャーリーグ

2009-01-29 18:40:15 | 他スポーツ
最近、メジャーリーグのチームが東京ドームで開幕戦を戦う、日本ツアーが増えているので、いつか自分もメジャーリーグを見られると、ここ数年思っています。しかし、1999年に初めて来日したメッツ対カブスのチケットは手に入らず、仕方なく見たオープン戦の西武対メッツ戦(西武ドーム)が自分にとっては唯一のメジャーリーグ観戦です。

当時はチケット代が高かったので、私の取った席は椅子のない外野席でしたが、いろいろ面白い発見はありました。ただ、メッツは開幕2試合(日本)の公式戦で投げさせる予定のない先発投手は来日させておらず、先発投手は前年3Aの投手でした。

ただ、この投手を見たことも一つの発見で、ストレートの球速は140kmに届かず、落ちるボールを武器にする変則投手でした。よく、当時メジャーリーグに憧れていた日本人選手は「メジャーは力と力の対決」などと口にしていましたが、そんな甘い考え方では失敗すると、この投手を見て思いました。

また、当時のメッツにはドジャース時代に野茂とバッテリーを組んでいたことで有名だったピアザ捕手や、守備の名手で知られたオルドネス遊撃手らがいましたが、彼らは公式戦を控えているから実戦調整しなければならないと、皆スタメンで出てくれました。

それだけでも嬉しかったですが、彼らが全力で戦ってくれたことも嬉しかったです。ピアザは「これがメジャーリーグの打球の速さだ」と言わんばかりの火の出るような中前安打を打ちましたし、オルドネスは高木大成の日本なら中前安打の打球をいとも簡単にアウトにしていました。

また、6回を過ぎると、メッツも中継ぎ投手のテストを始め、メジャーの本物の投手は意外なところで見られました。ただ、彼らはやはり何か決め球の変化球を持っていて、球威一辺倒で押す投手は抑えのベニテスだけでした。

それだけでも嬉しかったですが、メジャーリーグを見たい私の願いはかないそうになったことがあります。それは2003年のマリナーズ対アスレチックス戦です。イチローは既にマリナーズにいて、マリナーズの選手は日本では名が知れていますが、アスレチックスは4番打者のジオンビがヤンキースに移籍していて、知っている選手はいませんでした。

しかし、この夢は、世界情勢の悪化でメジャーリーグの選手会が日本への選手派遣を拒否したため、チケットを押さえていながら、目前で断たれました。自分とメジャーリーグは縁がないのではと寂しくなりましたが、いつか本物を渡米して見たいものです。
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点が取れるMF(藤本主税)

2009-01-28 20:23:03 | 他チーム
名前が忠臣蔵の大石主税と同じことで、ちからと読むこの名前はインパクトがありますが、今や大宮サポにとってはプレーの方がインパクトがあると思います。最初に大宮に入る前は、福岡、広島、名古屋と渡り歩いていましたが、大宮にとって、当時は代表歴のある選手は珍しく、どんなプレーをするのだろうと興味がありました。

藤本は大宮がJ1に昇格した2005年に加入しているのですが、ポジションを狙うサイドハーフは、右が安藤、左が久永がポジションを確保していました。このポジション争いは、藤本のプレースタイルが運命を分けました。

藤本という選手は、サイドに固定して力を発揮するタイプではなく、持ち前の運動量で左右関係なく仕掛けた方が持ち味が出る選手です。そのため、右サイド専門の安藤を使うと左サイドに固定されてしまいますから、ドリブラーの久永の方が合うということになりました。

動いて、チャンスに顔を出して点にも絡む、大宮にとってはかなり強力な新戦力でした。このJ1昇格の前後は大宮を新しいチームにしようと積極的に選手を集めていて、どうチームが変わっていくか、スタンドからも楽しく見られました。

2005年シーズンは、大宮は優勝したG大阪から勝ち点6を奪い取るなど、リーグに新風を吹き込む存在でした。しかし、翌2006年に残留争いをしたこともあって、三浦監督を解任して、かつての名監督ピム・ファーベックの弟のロバート監督を呼びました。

しかし、このロバート監督の采配には、藤本も含めた各選手が戸惑って、大宮は開幕からかなりの間、下から2番目の17位に低迷しました。その前の年に、J2に降格した東京Vや柏から、小林大悟、小林慶行、波戸らを補強しながらの低迷に、キャプテンだった藤本は相当苦しんだものと思います。

しかし、開幕当初は、アメリカの独立リーグという素性不明のチームでプレーしていたサーレスがFWだったのが、ブラジルのパラナ州1部リーグというまともなチームから取ってきたデニス・マルケスにFWが変わったことで、大宮はようやく上昇気流に転じました。

藤本もヒーローインタビューで涙を流すほど苦しんだこの年をぎりぎりでしのいで、大宮は今年もJ1です。徳島県出身という理由でゴール後に見せる阿波踊りが、今年も見られれば大宮の順位も上がっていくでしょう。
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驚異的な身体能力(石井貴)

2009-01-27 18:19:27 | 他スポーツ
一昨年限りで西武ライオンズを引退して、現在は二軍投手コーチの石井貴さんの思い出です。通算成績は100勝にも届かず、14年間の現役生活でノンタイトルだった石井貴のことは、歴史の中に埋もれてしまうかもしれません。

しかし、自分と同世代に生きた一時代のヒーローとして、その活躍を書き留めておきたくてネタにします。石井貴は1994年に社会人の三菱重工横浜からドラフト1位で西武ライオンズに入団しています。当時の評価は未完の大器というもので、驚異的な身体能力で誰もがうらやむ快速球を投げる投手でしたが、それがなかなか結果に結びつかない投手でした。

しかし、その重い球質の快速球は、先発か中継ぎかは一定しませんでしたが、常に一軍で必要とされました。そんな石井貴が一皮むけたのが、1998年に横浜と対戦した日本シリーズ第4戦でした。先発した石井貴は、投球が単調になるのを防ぐため、ボールを持つ時間を一球一球変えたと聞きます。結果的には、このシリーズは2勝4敗で横浜に敗れましたが、石井貴が先発として一本立ちしたことが一番の収穫でした。

それからは、2002年に西武は日本シリーズに出場していますが4連敗で、石井貴の成績も少しずつ下降線でした。しかし、2004年のシーズンわずか1勝に終わった石井貴は、日本シリーズで驚異的な活躍を見せます。

パリーグは現在のクライマックスシリーズを一足早く導入していて、当時の西武はクライマックスシリーズで投手を使い果たして、誰が第1戦の先発マウンドに上がるか予想できない状況でした。当時の伊東監督の決断は、ベテランの域に入った石井貴の経験に賭けるものでした。

そこでの石井貴は、中日が読んでなかったとはいえ、7回無失点の好投でした。当時は奇襲の勝利と言われ、石井貴がまた先発マウンドに立つことはまずないだろうという予想でした。しかし、この日本シリーズはもつれ、第7戦で決着をつけることになりました。

前の日に、エース松坂を使い果たしていた伊東監督の決断は、再度石井貴の先発でした。ここで、石井貴の強心臓は生き、またも中日打線を抑え、シリーズ2勝でなんとMVPに輝きました。年俸大幅ダウン必至だった石井貴は、これで微減にとどめることができました。

現役生活の最後は、7、8回を担当する中継ぎでした。石井貴はベテランになってもブルペンでは驚異的なボールを投げていましたが、少し余力を残した状況で引退を決断しました。シリーズに強かった強心臓の選手として、石井貴は私の記憶の中に残り続けるでしょう。
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バーレーン戦プレビュー

2009-01-26 18:21:49 | ワールドサッカー
以前の私の記事で、今週のバーレーン戦は3月の最終予選で当たる相手だから、手の内は見せられないだろうと予想していました。事実、中村俊輔も遠藤も欠場しますから、3月とまったく同じ戦い方はやりたくてもできません。

また、この試合の重みも、あくまでアジア杯予選ですから、イエメンと香港に勝てば通れるので、そんなにしゃかりきになってバーレーンに勝ちに行かなくてもいい試合です。しかし、試合前の岡田監督のコメントが非常に強気なので驚いています。

バーレーンがもし、この日本戦で惨敗すれば、中東の名監督と言われているミラン・マチャラ監督が解任される可能性が出るのではという発言ですが、根拠はあります。ペルシア湾岸の諸国は、お互いの対抗戦であるガルフカップに、異常なまでの執念を見せます。

事実、2006年のドイツW杯でサウジアラビアを率いていたパケタ監督は、W杯で1次リーグ敗退を喫しても解任されませんでした。あの短期間にしょっちゅう監督を変えるサウジアラビアが、今度は継続的な強化をするのではと思っていましたが、ガルフカップで結果が出ないとあっさり解任されました。

いったい、W杯に向けた強化と目先のガルフカップのどちらが大事なのかと、疑問に思いますが、これがあるから日本のW杯出場に有利になっているのですから、やめろとは言えません。そんなガルフカップで、バーレーンは1勝2敗でグループリーグ敗退でした。

そのため、バーレーン国内ではマチャラ監督の評価は落ちているはずと思ったのが、先ほどの岡田監督の発言の理由です。そのため、岡田監督は徹底的にバーレーンを叩きのめすと、引き分けでしのごうなどという気持ちはまったくないようです。

ただ、やはりこの試合で手の内を全部さらけだしてしまったら、ガルフカップに熱くなる中東諸国と同じになってしまいます。セットプレーのバリエーションや、ボランチの球回しなどは一応本番とは違うことをやるでしょう。

ただ、この試合は残念ながらテレビの生中継がありません。録画中継の可能性はまだあるようですが、岡田監督が豪州戦に向けてどうやってチーム状態を上げるかの過程が見られないとすれば、非常に残念です。
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サッカーの「奇襲」

2009-01-25 11:01:00 | 他チーム
試合前のスタメン発表で、選手のポジションを「DF」「MF」「FW」に分けて発表するのは、一種のファンサービスで、誰がどのポジションだかわかるようにするものと思っています。ところが、国見高校の選手権でのスタメンは、このDF、MF、FWが完全にめちゃくちゃです。

アナウンサーは長崎県予選を調べていて、実際はこういうポジションになりそうですと解読していますが、困るのはスタンドで見ているファンです。もちろん、ピッチ上の並びを見れば布陣もだれがどこにいるかもわかりますが、実際の試合を見ない限り誰がどのポジションかわからなくするのは、一種の奇襲でもあります。

レッズは比較的、そういうサポーター無視の嫌がらせ?はしてこないチームですし、大宮も大体登録通りのポジションで出てきます。スタジアムで試合を見ればわかるのだから、試合が始まってしまえば無意味になりますが、練習試合あたりだと秘密主義のチームも結構あります。

その代表格は京都で、GKを除くフィールドプレーヤー10人はランダムに並べられて発表されます。DF,MF,FWの登録はありません。ライバルチームは相手の練習試合を見に行かない紳士協定がありますから、ライバルに隠すのはいいのですが、これは京都のサポーターにとっては自分たちのチームがどういう戦い方をするかわからないので、本当にこれでいいのかと思うこともあります。

ただ、これも国際試合となればいろいろえげつないことをやってくるライバル国もあります。朝鮮民主主義人民共和国の代表は、クウェートとの練習試合で、背番号なしで試合をやったこともあります。確かに、選手の特徴が遠目でわかるほどの記者でなければ、これでは誰が誰だかわからず、情報戦では優位に立てるかもしれません。

2002年W杯で日本と対戦した、ロシア代表の親善試合でも、この背番号なしはありました。そのため、当時のサッカー記者は、選手の顔を必死で覚え、何とか誰がどこにいるか探ろうとしたようです。もっとも、よく見ると、確かに背番号は着いていませんでしたが、パンツにはしっかり番号があったようですが。

他にも、1997年のウズベキスタン代表は、物理的に選手を入れ替えることが不可能な、日本から韓国への移動の際、背番号をめちゃくちゃに入れ替えたこともありました。今となっては笑い話で済みますが、このフランスW杯予選は初めて国際Aマッチの厳しさを知った大会で、こんなこともあるのかと連日発見だった記憶があります。
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大相撲初場所後半戦

2009-01-24 18:02:30 | 他スポーツ
あと一日、千秋楽が残っていますが、だいぶ展開は多くの方の予想とは違うものになったと思います。まず、朝青龍ですが、序盤の勝ち方を見ていれば最大10勝程度と予想していましたが、大関陣も寄せ付けずなんと全勝で千秋楽まで来てしまいました。分厚いテーピングが巻かれた左肘は悪いはずですが、この横綱の精神力は驚異的と、改めて思います。

競馬用語で、休み明けに強い馬のことを、「鉄砲駆けが効く」と言いますが、こういうタイプは千代の富士以来です。千代の富士も10回の休場明けのうち、6回が優勝だったと聞きますが、その強さの秘密は負傷した翌日から、負傷した部分以外の筋肉が落ちないためにトレーニングをやっていたと聞きます。

朝青龍は決して人に努力しているところを見せたがらない人ですが、きっと千代の富士伝説は聞いていて、その通りに実行しているのでしょう。今は白鵬という大きな壁がありますから、そう簡単には優勝を量産できませんが、これで北の湖の優勝回数24回を越える可能性も出ました。

また、負け越し必至と書いた日馬富士の頑張りにも驚きました。両横綱の一角を崩さないとほぼ勝ち越せない条件では、まず無理と思いましたが、白鵬相手に左を浅く差して、相手に上手を取らせない相撲は会心のものです。これで、来場所はかど番ではありませんから、変なプレッシャーを感じないで大関らしい相撲を取って欲しいものです。

逆に残念だったのは、琴欧洲の失速です。琴欧洲の序盤の内容なら、本格的四つ相撲で上位相手に勝負できると思ったのですが、今日の日馬富士戦の敗戦を見る限り、スピード不足のようです。もう少し立ち合いでしっかり組み止めきれないと、横綱を狙うのは厳しいように思えます。

魁皇に関しては、8勝ですがよくやったと思います。彼の場合は、状態的にはいつ引退してもおかしくないとは言われているようですが、大関を維持できる限り取るという執念でここまで来ていると思います。驚いたことに、遅咲きの大関だった彼が、なんと気がついたら不滅の大記録と言われた貴ノ花(初代)の大関在位50場所を塗り替えていたのです。

この年齢(36歳)で、横綱大関全員と当たる地位を維持するだけでも大変ですが、本人の気力が続く限り、頑張って欲しいと思います。
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親善試合の重要性

2009-01-23 18:41:28 | ワールドサッカー
久しぶりに、日本代表にとって会心の勝利だった、昨年6月のW杯3次予選のオマーン戦のことを思い出してみたくて、当時書いていたゲームレポートを読み返してみました。岡田監督が、オシム時代のやり方を全面的に変えて、自身のやりたいサッカーで勝った試合でした。

しかし、そのレポートには一つ面白いことが書いてありました。それは、直前の親善試合のコートジボアール戦とパラグアイ戦の結果が1勝1分だったことです。

コートジボアールもパラグアイも、1次リーグ敗退とはいえドイツW杯に出場した強豪ですから、このレベルの相手とめったに対戦しないオマーンにとっては、日本に対し恐れを抱く結果になりました。

その結果、オマーンは攻撃に使うはずのトップ下2枚を、サイドの守備に使うことになり、1トップのアルホスニが完全に孤立することになりました。これなら、アジアレベルならトップクラスの中澤や闘莉王にとっては楽な状況です。

その結果、オマーンにほとんどチャンスを許さない、これ以上はないのではという会心の勝利を挙げました。ただ、今回はもちろんそのときとはだいぶ状況が違い、W杯最終予選で当たる豪州は、日本がバーレーンとフィンランドに連勝したくらいでは日本を恐れてはくれないでしょう。

また、日本にとって難しいのは、バーレーンとは最終予選で3月に当たるため、アジア杯予選という今回の試合では手の内を見せられないことです。ただ、それでもバーレーンから負けて帰ってきたら、相当チームの雰囲気は悪くなってしまうでしょう。

バーレーン戦は悪くても引き分けでしのぎ、フィンランド戦で会心のサッカーができれば、本番の豪州戦では相当良い雰囲気で臨めるはずです。

ただ、仮想豪州として呼んだフィンランドは、冬は試合ができない国です。チームコンディションは決してベストではないと思います。そんな相手なら、すっきり勝ってほしいものです。
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