今日はネタがないので昔話で、大相撲初場所の土俵下に勝負審判として座っていた元横綱稀勢の里(現二所ノ関親方)を取り上げます。稀勢の里といえば、かつての貴乃花を思い出すような出世の早さで注目された力士で、17歳では既に幕下上位、18歳で十両にいました。この当時、ほぼ同じくらいの番付にいた元大関琴欧洲とは常に比較され、「第二の曙貴時代」という期待も集めました。
結果的には一時代までは行かなかったものの、稀勢の里は横綱、琴欧洲は大関まで出世したので、ある程度期待には応えたのではと思います。もっとも、早く大関に上がった琴欧洲とは対照的に、稀勢の里は前頭上位で一度壁にぶつかります。そうなった要因として、稀勢の里が闘争本能で相撲を取る力士で、取組の後に内容を覚えていないことがあるので、理詰めで取り口を計算できなかったことがあります。
それでも、上位力士にとっては体も大きく「一発」がある稀勢の里は嫌な相手で、連勝記録で双葉山の記録(69連勝)を狙っていた横綱白鵬の連勝を63で止める殊勲の星を挙げたこともあります。それでも、関脇で長く実績を残したことが評価されて大関に上がると、カド番は途中休場の1回だけと安定した強さを見せていました。
横綱ということになると、どうしても優勝が必要なので、その優勝ができなかったことが稀勢の里にとっては二度目の壁になります。2011年に旭天鵬が平幕優勝したとき、稀勢の里は本割で勝てば平幕相手の決定戦と圧倒的に有利な条件ながら、把瑠都に敗れて決定戦を逃すという痛恨事も喫しています。はまれば白鵬にも勝てるほどだった稀勢の里ですが、大関在位が長くなりました。
それでも、初優勝を評価されて横綱に上がり、新横綱の場所で大胸筋を痛めながら強行出場して2度目の優勝をつかみ取ります。結果的に、これが稀勢の里の最後の輝きになってしまいました。その後は途中休場が続く展開を強いられ、横綱ワースト記録の8連敗、横綱勝率ワーストの5割ちょっとと、横綱としては物足りない結果で現役を終えました。
親方としては、大の里を大関まで育てています。郊外である茨城県阿見町に部屋を作り、土俵を2面確保して下位の力士の稽古機会を増やし、「ちゃんこ番をさせている時間があるならその時間で稽古させる」と相撲界の慣習にも挑戦する姿勢を見せています。また、今でも稽古場の土俵に自ら降りており、大の里と三番稽古もするほどです。強い横綱ではなかった彼ですが、相撲界のニューリーダーとしての期待は持てると思っています。
結果的には一時代までは行かなかったものの、稀勢の里は横綱、琴欧洲は大関まで出世したので、ある程度期待には応えたのではと思います。もっとも、早く大関に上がった琴欧洲とは対照的に、稀勢の里は前頭上位で一度壁にぶつかります。そうなった要因として、稀勢の里が闘争本能で相撲を取る力士で、取組の後に内容を覚えていないことがあるので、理詰めで取り口を計算できなかったことがあります。
それでも、上位力士にとっては体も大きく「一発」がある稀勢の里は嫌な相手で、連勝記録で双葉山の記録(69連勝)を狙っていた横綱白鵬の連勝を63で止める殊勲の星を挙げたこともあります。それでも、関脇で長く実績を残したことが評価されて大関に上がると、カド番は途中休場の1回だけと安定した強さを見せていました。
横綱ということになると、どうしても優勝が必要なので、その優勝ができなかったことが稀勢の里にとっては二度目の壁になります。2011年に旭天鵬が平幕優勝したとき、稀勢の里は本割で勝てば平幕相手の決定戦と圧倒的に有利な条件ながら、把瑠都に敗れて決定戦を逃すという痛恨事も喫しています。はまれば白鵬にも勝てるほどだった稀勢の里ですが、大関在位が長くなりました。
それでも、初優勝を評価されて横綱に上がり、新横綱の場所で大胸筋を痛めながら強行出場して2度目の優勝をつかみ取ります。結果的に、これが稀勢の里の最後の輝きになってしまいました。その後は途中休場が続く展開を強いられ、横綱ワースト記録の8連敗、横綱勝率ワーストの5割ちょっとと、横綱としては物足りない結果で現役を終えました。
親方としては、大の里を大関まで育てています。郊外である茨城県阿見町に部屋を作り、土俵を2面確保して下位の力士の稽古機会を増やし、「ちゃんこ番をさせている時間があるならその時間で稽古させる」と相撲界の慣習にも挑戦する姿勢を見せています。また、今でも稽古場の土俵に自ら降りており、大の里と三番稽古もするほどです。強い横綱ではなかった彼ですが、相撲界のニューリーダーとしての期待は持てると思っています。