今日はネタがないので、現在J2のレノファ山口に在籍するDF、坪井慶介選手の思い出です。坪井といえば、2006年ドイツW杯の日本代表で、日本にはあまりいないタイプだったスピード型のCBとしてジーコ監督に重用されたのが最も大きな思い出です。もっとも、せっかくの本大会も、豪州戦で足をつって途中交代という苦い思い出もあったでしょう。
坪井は、2002年にユニバーシアード金メダルの実績を買われ、福岡大から浦和に入団しています。当時はオランダに移籍した小野伸二の移籍金を使って、次世代の才能を集めていた時期で、坪井は当時のオフト監督が3バックマンツーマンの守備を採用するにあたって、足が速くどこまでも相手FWを追い回せるDFを探していたのにうまくマッチしました。
このプロ1年目は坪井が輝いた年で、フル出場して1枚もイエローカードをもらわなかったことが評価されて、新人王とフェアプレー個人賞を受賞して全国区に名乗りを挙げます。もっとも、坪井はこれだけのスピードがありながら、攻撃力はあまりなく、得点は2003年の駒場のG大阪戦で決めた1点だけという「守備の人」です。坪井がオーバーラップすると、ウイングのような切れ味があるのでスタンドは沸きますが、大抵横にいる鈴木啓太に短いパスを出して終わりというのがいつものパターンでした。
坪井が輝いた年は、ACL優勝に貢献した2007年も印象的です。当時は3バックの右ストッパーに入り、全北のマグノ、城南一和のイタマルなど外国人の長身FWと対峙していました。上背では勝てなくても、体をうまくつけて相手のバランスを崩す守りで、消耗戦になっていたACLを最後まで耐え抜く原動力になりました。この活躍で、世界はレッズで目指すと決め、当時では異例の「代表引退」宣言もしています。
しかし、その疲労で翌2008年にパフォーマンスを落とし、2011年のゼリコ・ペトロヴィッチ監督はついにスタメンから外すなど、浦和では輝きを失いかけていました。2014年に浦和を退団した後は、湘南、山口と渡り歩いていますが、39歳の今でも現役というのは素晴らしいです。
浦和にとっては功労者なので、引退後も何らかの形で浦和とかかわって欲しいと思っています。
坪井は、2002年にユニバーシアード金メダルの実績を買われ、福岡大から浦和に入団しています。当時はオランダに移籍した小野伸二の移籍金を使って、次世代の才能を集めていた時期で、坪井は当時のオフト監督が3バックマンツーマンの守備を採用するにあたって、足が速くどこまでも相手FWを追い回せるDFを探していたのにうまくマッチしました。
このプロ1年目は坪井が輝いた年で、フル出場して1枚もイエローカードをもらわなかったことが評価されて、新人王とフェアプレー個人賞を受賞して全国区に名乗りを挙げます。もっとも、坪井はこれだけのスピードがありながら、攻撃力はあまりなく、得点は2003年の駒場のG大阪戦で決めた1点だけという「守備の人」です。坪井がオーバーラップすると、ウイングのような切れ味があるのでスタンドは沸きますが、大抵横にいる鈴木啓太に短いパスを出して終わりというのがいつものパターンでした。
坪井が輝いた年は、ACL優勝に貢献した2007年も印象的です。当時は3バックの右ストッパーに入り、全北のマグノ、城南一和のイタマルなど外国人の長身FWと対峙していました。上背では勝てなくても、体をうまくつけて相手のバランスを崩す守りで、消耗戦になっていたACLを最後まで耐え抜く原動力になりました。この活躍で、世界はレッズで目指すと決め、当時では異例の「代表引退」宣言もしています。
しかし、その疲労で翌2008年にパフォーマンスを落とし、2011年のゼリコ・ペトロヴィッチ監督はついにスタメンから外すなど、浦和では輝きを失いかけていました。2014年に浦和を退団した後は、湘南、山口と渡り歩いていますが、39歳の今でも現役というのは素晴らしいです。
浦和にとっては功労者なので、引退後も何らかの形で浦和とかかわって欲しいと思っています。