トップの写真の通り、さいたま市の白梅は4分咲きくらいです。今年の冬は寒く、あらゆる花が例年より開花が遅めですが、またいつものように梅を愛でる季節がやってきました。また、近所で花めぐりの散歩をしたいですね。
昨日の大阪国際女子マラソンは、重友梨佐選手の優勝で幕を閉じました。体調の影響で寝ぼけ眼だったので、このマラソンのレポートは書けませんが、その連想で2000年シドニー五輪の高橋尚子の金メダルを思い出したのでこちらを書きます。
当時、高橋尚子の世界的評価は高かったです。理由は、真夏の暑さだった1999年のバンコクアジア大会で、スタートから圧倒的な速さで独走して、当時としては驚異的な2時間22分台を出していたからです。事実上の世界記録という評価でした。この頃から、愛称のQちゃんも知られていましたが、その由来はリクルート陸上競技部の納会で、全身にアルミホイルを巻き付けて「オバケのQ太郎」を熱唱したからです。
当時の女子マラソンの日本代表は、世界選手権銀メダルの市橋有里、大阪国際女子マラソン優勝の山口衛里と高橋尚子という豪華メンバーでした。しかも、放送した時間も良く、日曜の朝のスタートでした。多くの日本国民がこのマラソンを見ていたと思われます。
レースは、先頭集団で高橋尚子、リディア・シモン(ルーマニア)、チェプチュンバ(ケニア)、市橋らが争う展開でした。このシドニーのマラソンコースは、かなりの起伏があって選手には不評でしたが、海を渡るアンザックブリッジの手前で市橋とチェプチュンバが遅れ、レースは高橋尚子とシモンの一騎討ちになりました。
終盤が上り坂だったこのレースは、高橋尚子がサングラスを投げ捨てた35kmでスパートしてシモンを振り切ります。そこからは笑顔でゴールに向かった高橋尚子の姿を見た地元マスコミが「散歩をしていたよう」と例えたような勝者高橋尚子の美しさが語り草ですが、終盤再度シモンが追い上げていて、差はわずかだった金メダルと銀メダルの違いでした。
この金メダルで、女子マラソンの指導者としての小出監督が一躍注目を浴びることになるなど、社会現象にまでなりました。その4年後に野口みずきが金メダルを取るなど、当時は女子陸上界の黄金時代でした。もう一度、こういう夢を見たいから、我々はオリンピックに惹かれるのだろうと思います。
当時、高橋尚子の世界的評価は高かったです。理由は、真夏の暑さだった1999年のバンコクアジア大会で、スタートから圧倒的な速さで独走して、当時としては驚異的な2時間22分台を出していたからです。事実上の世界記録という評価でした。この頃から、愛称のQちゃんも知られていましたが、その由来はリクルート陸上競技部の納会で、全身にアルミホイルを巻き付けて「オバケのQ太郎」を熱唱したからです。
当時の女子マラソンの日本代表は、世界選手権銀メダルの市橋有里、大阪国際女子マラソン優勝の山口衛里と高橋尚子という豪華メンバーでした。しかも、放送した時間も良く、日曜の朝のスタートでした。多くの日本国民がこのマラソンを見ていたと思われます。
レースは、先頭集団で高橋尚子、リディア・シモン(ルーマニア)、チェプチュンバ(ケニア)、市橋らが争う展開でした。このシドニーのマラソンコースは、かなりの起伏があって選手には不評でしたが、海を渡るアンザックブリッジの手前で市橋とチェプチュンバが遅れ、レースは高橋尚子とシモンの一騎討ちになりました。
終盤が上り坂だったこのレースは、高橋尚子がサングラスを投げ捨てた35kmでスパートしてシモンを振り切ります。そこからは笑顔でゴールに向かった高橋尚子の姿を見た地元マスコミが「散歩をしていたよう」と例えたような勝者高橋尚子の美しさが語り草ですが、終盤再度シモンが追い上げていて、差はわずかだった金メダルと銀メダルの違いでした。
この金メダルで、女子マラソンの指導者としての小出監督が一躍注目を浴びることになるなど、社会現象にまでなりました。その4年後に野口みずきが金メダルを取るなど、当時は女子陸上界の黄金時代でした。もう一度、こういう夢を見たいから、我々はオリンピックに惹かれるのだろうと思います。
今日はドイツ・ブンデスリーガのマインツ対ケルンのビデオを見ていました。マインツには武藤嘉紀が、ケルンには大迫勇也がいる日本人対決です。両者とも前のポジションの選手なので、直接マッチアップはしませんが、この試合を見ていると日本人選手がどうやって特徴を生かすべきか見えてきます。
それは、Jリーグが戦術的に凝るというところです。FWの守備はJリーグではよく言われており、決定力が多少難があっても、守備にハードワークする選手が起用されることが多いです。例としては最初の5年間で二桁得点がわずか1回のFWマルキーニョスが、そのハードワークを買われて長く日本でプレーしたことが挙げられます。
武藤は2トップの一角での起用でしたが、そのスピードを生かしてFWの位置から下りてきての守備が効いており、相手ボランチにチェックに行ってからのスルーパスが機能していました。マインツで長年プレーし、かつては岡崎慎司をトップ下からのパスで生かしたマッリを、同じドイツのボルフスブルクに引き抜かれているマインツでは、そういう役割は重要です。
これに対し、大迫勇也は3バックのチームのシャドーという役割です。大迫勇也はボールコントロールのうまさという特徴を持っており、うまく止めてからの展開で、今季13得点という絶対的ストライカーのモデストを後ろから生かす役割に徹しています。大迫自身のゴールはこの試合の時点でわずか2点でしたが、モデストがスペースでもらいたいスピード型ということをよく理解しており、意図してそういうボールを供給しています。
この試合では、ケルンの守備が目につきました。たまたま、前回0-4で負けているホッヘンハイム戦を見ていたのでそう言うイメージはなかったですが、ケルンは1試合の平均失点が1点を切っています。それが可能になったのは、バイタルエリアにボランチを早く帰陣させてのシュートブロックでした。
ブンデスリーガは、1月はウインターブレイクで休みで久しぶりの試合でしたが、この中断期間中、ケルンは攻撃より、長所の守備の練習をして守りを熟成させました。カウンターも速く、縦に入れたボールを正確に止められる大迫と、スピードのあるモデストがいるからこその攻撃です。
この試合は0-0に終わりましたが、堅守速攻のケルンが持ち味を発揮し、逆にマインツの方は苦しんだ試合だったように感じました。
それは、Jリーグが戦術的に凝るというところです。FWの守備はJリーグではよく言われており、決定力が多少難があっても、守備にハードワークする選手が起用されることが多いです。例としては最初の5年間で二桁得点がわずか1回のFWマルキーニョスが、そのハードワークを買われて長く日本でプレーしたことが挙げられます。
武藤は2トップの一角での起用でしたが、そのスピードを生かしてFWの位置から下りてきての守備が効いており、相手ボランチにチェックに行ってからのスルーパスが機能していました。マインツで長年プレーし、かつては岡崎慎司をトップ下からのパスで生かしたマッリを、同じドイツのボルフスブルクに引き抜かれているマインツでは、そういう役割は重要です。
これに対し、大迫勇也は3バックのチームのシャドーという役割です。大迫勇也はボールコントロールのうまさという特徴を持っており、うまく止めてからの展開で、今季13得点という絶対的ストライカーのモデストを後ろから生かす役割に徹しています。大迫自身のゴールはこの試合の時点でわずか2点でしたが、モデストがスペースでもらいたいスピード型ということをよく理解しており、意図してそういうボールを供給しています。
この試合では、ケルンの守備が目につきました。たまたま、前回0-4で負けているホッヘンハイム戦を見ていたのでそう言うイメージはなかったですが、ケルンは1試合の平均失点が1点を切っています。それが可能になったのは、バイタルエリアにボランチを早く帰陣させてのシュートブロックでした。
ブンデスリーガは、1月はウインターブレイクで休みで久しぶりの試合でしたが、この中断期間中、ケルンは攻撃より、長所の守備の練習をして守りを熟成させました。カウンターも速く、縦に入れたボールを正確に止められる大迫と、スピードのあるモデストがいるからこその攻撃です。
この試合は0-0に終わりましたが、堅守速攻のケルンが持ち味を発揮し、逆にマインツの方は苦しんだ試合だったように感じました。
今日は春を思わせるような暖かい陽気でした。最近、通勤で毎日1万歩を歩くなど運動量が増えており、何も運動しないのは悔しいなと思って別所沼公園を散歩していました。今回は花中心に載せます。今年は開花が遅く、例年なら1月上旬に見かける西洋サクラソウが、ようやく今日見つかるほどでした。
写真の羅列ですが載せます。
写真の羅列ですが載せます。
今週は少し時間があったので、イングランドプレミアリーグのレスター対チェルシーを見ていました。上位のチェルシーに対し、レスターは昨年こそ優勝とはいえ、現在は15位と下位に低迷して苦しんでいます。そんなレスターのラニエリ監督は、この試合から3バックを試してきました。
イングランドで3バックは珍しい戦術です。この戦術を機能させるには引きすぎないことと、両アウトサイドをどう使いこなすかが重要です。この日のレスターは両方ともできていなかった印象です。特に機能していなかったのは、レスターの右アウトサイド、オルブライトン(11番)でした。
彼はもともとは攻撃的MFの選手で、アウトサイドに課される、相手左サイドのアロンソ(3番)へのマークというタスクに苦しんでいました。マークを意識して上がれなくなってしまっては、5バックのようになってしまい、アウトサイドを使った攻撃は難しくなります。対面のアロンソに2点取られた以上、レスターのこの策は失敗と断言してもいいと思います。
また、チェルシーの立てたレスター対策もしっかりしていました。レスターが誇る、スピード型FWバーディー(9番)をとにかく消すことが狙いでした。チェルシーの最終ラインはかなり低い位置に引かれ、意図的にバーディーから離れることによって、バーディーが走り込むスペースをなくすのが狙いでした。
これでバーディーは消されてしまい、レスターの攻撃はサイドからの長いクロスだけになってしまいました。前線にターゲットマンのいないレスターではこの攻撃では苦しく、ラニエリ監督も岡崎慎司(20番)を投入して後ろを去年までの4バックに戻す采配を打ちました。しかし、この急造布陣も機能したとは言い難く、アンカーの25番が中途半端に最終ラインに入ってしまって5バックのようになってしまい、しかもサイドハーフに回した右サイドのムサ(7番)がMFに必要な守備力を持っていなかったという弱点も露呈しました。
最後は、右サイドのオルブライトンが機能しないので、勝つことよりも試合の形を整えることを考えて、オルブライトンに代えて右SBのシンプソン(17番)を投入せざるを得なくなったレスターは、0-3という完敗を喫することになりました。かなりチーム状態が良くないと感じた試合で、プレミア残留もぎりぎりの戦いが待っている、そんな予感がします。
イングランドで3バックは珍しい戦術です。この戦術を機能させるには引きすぎないことと、両アウトサイドをどう使いこなすかが重要です。この日のレスターは両方ともできていなかった印象です。特に機能していなかったのは、レスターの右アウトサイド、オルブライトン(11番)でした。
彼はもともとは攻撃的MFの選手で、アウトサイドに課される、相手左サイドのアロンソ(3番)へのマークというタスクに苦しんでいました。マークを意識して上がれなくなってしまっては、5バックのようになってしまい、アウトサイドを使った攻撃は難しくなります。対面のアロンソに2点取られた以上、レスターのこの策は失敗と断言してもいいと思います。
また、チェルシーの立てたレスター対策もしっかりしていました。レスターが誇る、スピード型FWバーディー(9番)をとにかく消すことが狙いでした。チェルシーの最終ラインはかなり低い位置に引かれ、意図的にバーディーから離れることによって、バーディーが走り込むスペースをなくすのが狙いでした。
これでバーディーは消されてしまい、レスターの攻撃はサイドからの長いクロスだけになってしまいました。前線にターゲットマンのいないレスターではこの攻撃では苦しく、ラニエリ監督も岡崎慎司(20番)を投入して後ろを去年までの4バックに戻す采配を打ちました。しかし、この急造布陣も機能したとは言い難く、アンカーの25番が中途半端に最終ラインに入ってしまって5バックのようになってしまい、しかもサイドハーフに回した右サイドのムサ(7番)がMFに必要な守備力を持っていなかったという弱点も露呈しました。
最後は、右サイドのオルブライトンが機能しないので、勝つことよりも試合の形を整えることを考えて、オルブライトンに代えて右SBのシンプソン(17番)を投入せざるを得なくなったレスターは、0-3という完敗を喫することになりました。かなりチーム状態が良くないと感じた試合で、プレミア残留もぎりぎりの戦いが待っている、そんな予感がします。
今のスポーツの話題は、稀勢の里の横綱昇進ですが、彼のことは書いたばかりなので穴埋めネタで、昔好きだった元大関霧島の思い出です。
霧島は四股名の通り、鹿児島県の霧島登山口の牧園町(現在の霧島市)の出身です。大相撲には中学卒で入門しますが、幕下を抜けるのに丸4年かかるなど、後に大関になる力士にしては苦しみました。
新入幕は25歳です。当時、体重110kgほどの軽量だった霧島ですが、スタミナがあって長い相撲に強いという長所がありました。前みつを引いて頭をつけたときの粘りで、小錦と大乃国を下手出し投げで破った相撲は感動的でした。
しかし、当時の霧島は突き押し相撲の相手に弱く、立ち合いで突かれると3発ほどの突きで土俵を割ることもありました。前みつを引く以外の勝ちパターンを身につけないと、上位には行けない力士でした。
そんな霧島が変わったのは、小結に昇進した場所で1勝14敗という惨敗を喫した後でした。何かを変えないと上位には通用しないと感じた霧島は、プロテインを飲んで、筋力トレーニングで体を大きくする改革に挑みました。この成果で、体重を130kgほどまで増やした霧島は、筋力アップのおかげでそれまでできなかった吊り寄りを得意技に加えました。
大関昇進は30歳のときでした。新大関までの所要91場所は現在でも残るスロー記録です。彼の姿を見て、当時大学生だった私も、何か努力すればいいことがあると、日々トレーニングをしていたことを懐かしく思い出します。初優勝は31歳で、これも当時の最も遅い記録でした。
霧島の時代は、大相撲がハワイ出身力士によるパワー相撲が席巻する直前の時期でした。そういう相撲に対抗して欲しいと、霧島のことは応援していましたが、曙には突き出されるなど、当時のハワイ旋風には飲み込まれた印象です。
霧島の大関在位は16場所と、短い方から数えた方が早い場所数でした。それでも、今の力士で言えば石浦が大関になるようなものです。努力は大切だと、今振り返っても印象的な力士でした。
霧島は四股名の通り、鹿児島県の霧島登山口の牧園町(現在の霧島市)の出身です。大相撲には中学卒で入門しますが、幕下を抜けるのに丸4年かかるなど、後に大関になる力士にしては苦しみました。
新入幕は25歳です。当時、体重110kgほどの軽量だった霧島ですが、スタミナがあって長い相撲に強いという長所がありました。前みつを引いて頭をつけたときの粘りで、小錦と大乃国を下手出し投げで破った相撲は感動的でした。
しかし、当時の霧島は突き押し相撲の相手に弱く、立ち合いで突かれると3発ほどの突きで土俵を割ることもありました。前みつを引く以外の勝ちパターンを身につけないと、上位には行けない力士でした。
そんな霧島が変わったのは、小結に昇進した場所で1勝14敗という惨敗を喫した後でした。何かを変えないと上位には通用しないと感じた霧島は、プロテインを飲んで、筋力トレーニングで体を大きくする改革に挑みました。この成果で、体重を130kgほどまで増やした霧島は、筋力アップのおかげでそれまでできなかった吊り寄りを得意技に加えました。
大関昇進は30歳のときでした。新大関までの所要91場所は現在でも残るスロー記録です。彼の姿を見て、当時大学生だった私も、何か努力すればいいことがあると、日々トレーニングをしていたことを懐かしく思い出します。初優勝は31歳で、これも当時の最も遅い記録でした。
霧島の時代は、大相撲がハワイ出身力士によるパワー相撲が席巻する直前の時期でした。そういう相撲に対抗して欲しいと、霧島のことは応援していましたが、曙には突き出されるなど、当時のハワイ旋風には飲み込まれた印象です。
霧島の大関在位は16場所と、短い方から数えた方が早い場所数でした。それでも、今の力士で言えば石浦が大関になるようなものです。努力は大切だと、今振り返っても印象的な力士でした。
昨日、アギーレ監督について書いたので、その連想で今日はジーコ監督時代の思い出を書きます。当時、日本代表はトルシエ監督の指揮で地元開催のW杯でベスト16と結果を出し、その後の成長が楽しみと言われていた時期でした。当時監督経験のなかったジーコへのオファーは正直驚きましたが、日本をよく知っている監督が欲しかったのが理由と言われています。
ジーコは、監督就任当初、一つの改革の手を打ちました。それは、トルシエ監督時代にポジションごとに厳しい制約があったのを自由にして、中盤の4枚、稲本、中田英寿、小野伸二、中村俊輔を彼らのセンスで任せて組織を作ろうとした発想です。自由のジーコというのは当時のサッカー専門誌では話題になっていました。
もっとも、この4人の中盤だと守備的な仕事が稲本に集中することもあって、その時期は長続きしませんでした。それ以降はデメリットが数多く出てくることになります。ジーコ監督は、非公開練習をしないことで知られた監督で、W杯本大会のキャンプ地だったドイツのボンでも、日本代表の練習はいつでも見に行けました。
また、マスコミが面白がって、ジーコ監督に次の試合のスタメンを聞くと、ジーコ監督は「隠してもどうせばれる」という理由で、スタメンをマスコミに話すことが一般的でした。これでは、相手に作戦を立てやすくしているようなものです。事実、ドイツW杯本大会の豪州戦で、相手FWケーヒルが「福西のところを狙え」と指示が出ていたことを、大会後に明らかにしています。
ジーコの采配では、海外組を極端に重用したのも良くない点でした。海外組という理由だけで、チームで試合に出ていなくてもスタメンが保証され、Jリーグにいた遠藤保仁や小笠原満男は、海外組が戻ってくると判で押したようにベンチに回される日々でした。1次予選での初戦、オマーン戦では風邪で発熱していた柳沢敦をスタメンで起用するという、大きなミスも犯しています。
事実、ジーコ監督には何度も危機がありました。1次予選では初戦のオマーン戦でロスタイムのゴールで辛くも1-0で勝つと、2戦目のシンガポール戦では終盤まで1-1のタイスコアでした。当時の川渕キャプテンも、「引き分けなら解任」と一時腹をくくりましたが、終盤に藤田のゴールが出て解任を免れています。最終予選の共和国戦でも、終盤に大黒のゴールが入った、1-0の辛勝でした。
アジアカップも優勝し、W杯予選も通過させていますが、今でもジーコが良い監督だったとは思えないのが正直なところです。事実、W杯本大会では1分け2敗でグループリーグ敗退しています。いいメンバーの揃った、日本にとっていい時期だったW杯を、3試合で終わらせてしまった監督というイメージです。
ジーコは、監督就任当初、一つの改革の手を打ちました。それは、トルシエ監督時代にポジションごとに厳しい制約があったのを自由にして、中盤の4枚、稲本、中田英寿、小野伸二、中村俊輔を彼らのセンスで任せて組織を作ろうとした発想です。自由のジーコというのは当時のサッカー専門誌では話題になっていました。
もっとも、この4人の中盤だと守備的な仕事が稲本に集中することもあって、その時期は長続きしませんでした。それ以降はデメリットが数多く出てくることになります。ジーコ監督は、非公開練習をしないことで知られた監督で、W杯本大会のキャンプ地だったドイツのボンでも、日本代表の練習はいつでも見に行けました。
また、マスコミが面白がって、ジーコ監督に次の試合のスタメンを聞くと、ジーコ監督は「隠してもどうせばれる」という理由で、スタメンをマスコミに話すことが一般的でした。これでは、相手に作戦を立てやすくしているようなものです。事実、ドイツW杯本大会の豪州戦で、相手FWケーヒルが「福西のところを狙え」と指示が出ていたことを、大会後に明らかにしています。
ジーコの采配では、海外組を極端に重用したのも良くない点でした。海外組という理由だけで、チームで試合に出ていなくてもスタメンが保証され、Jリーグにいた遠藤保仁や小笠原満男は、海外組が戻ってくると判で押したようにベンチに回される日々でした。1次予選での初戦、オマーン戦では風邪で発熱していた柳沢敦をスタメンで起用するという、大きなミスも犯しています。
事実、ジーコ監督には何度も危機がありました。1次予選では初戦のオマーン戦でロスタイムのゴールで辛くも1-0で勝つと、2戦目のシンガポール戦では終盤まで1-1のタイスコアでした。当時の川渕キャプテンも、「引き分けなら解任」と一時腹をくくりましたが、終盤に藤田のゴールが出て解任を免れています。最終予選の共和国戦でも、終盤に大黒のゴールが入った、1-0の辛勝でした。
アジアカップも優勝し、W杯予選も通過させていますが、今でもジーコが良い監督だったとは思えないのが正直なところです。事実、W杯本大会では1分け2敗でグループリーグ敗退しています。いいメンバーの揃った、日本にとっていい時期だったW杯を、3試合で終わらせてしまった監督というイメージです。
オフネタ恒例の、サッカーの思い出話は、2014年から半年ほど日本代表の指揮を執ったアギーレ前監督の記憶です。当時、日本代表はメキシコに学べという意見もありました。
確かに、メキシコは代表の半数近くが国内組で、欧州組も驚くようなワールドクラスはいないなど、チーム構成は日本代表とよく似ています。それでありながら、メキシコは6大会連続でW杯でベスト16です。この間の日本代表のベスト16は2回ですから、メキシコの方が結果を出しているのは事実です。
2014年ブラジルW杯でも、メキシコはブラジルに引き分け、クロアチアに勝ってベスト16に入っていました。当時のメキシコの戦術はアンカーを置いた4-3-3でした。アンカーは粘り強く相手の攻撃の選手に張り付いて、攻撃はサイドに回しての速攻でした。
このときのメキシコ代表監督はアギーレではなかったので、参考程度と思っていましたが、まさにそれと似たサッカーをアギーレが披露したのには驚きました。もちろん、日本にこのシステムを根付かせるには、キーマンのアンカーを誰にするかが課題でした。J1では4-3-3のチームはなかったからです。
事実、アギーレはアジアカップに向けてのメンバー選出には苦労しました。最初の代表戦で思い切って若手を抜擢し、中にはJ1リーグ出場わずか5試合というCB坂井(当時鳥栖)を代表に選んだのは驚きでした。しかし、そんな若手は結局代表に定着できず、アンカーも森重を起用したもののしっくり行かず、ついにアギーレの取った手はベテラン長谷部のアンカー起用でした。
もちろん、安定してパスが回せる長谷部は、アンカーもこなせました。しかし、ベテランの遠藤保仁まで代表に呼ぶなど、なりふり構わず勝ちに行ったアジアカップを、準々決勝でUAEにPK戦とはいえ敗れてしまっては、アギーレを擁護する要素はなくなってしまいました。
これに加え、アギーレがスペインリーグのサラゴサ時代に八百長に関与したという疑惑もあって、アギーレの日本代表はわずかな期間しか見られずに終わりました。
私個人としても、歴代の代表監督の試合前のウォーミングアップの練習は観察していましたが、アギーレの練習は一度も見ることができませんでした。アギーレは今は中東で監督をしています。ACLで日本チームと対戦するかもしれませんね。
確かに、メキシコは代表の半数近くが国内組で、欧州組も驚くようなワールドクラスはいないなど、チーム構成は日本代表とよく似ています。それでありながら、メキシコは6大会連続でW杯でベスト16です。この間の日本代表のベスト16は2回ですから、メキシコの方が結果を出しているのは事実です。
2014年ブラジルW杯でも、メキシコはブラジルに引き分け、クロアチアに勝ってベスト16に入っていました。当時のメキシコの戦術はアンカーを置いた4-3-3でした。アンカーは粘り強く相手の攻撃の選手に張り付いて、攻撃はサイドに回しての速攻でした。
このときのメキシコ代表監督はアギーレではなかったので、参考程度と思っていましたが、まさにそれと似たサッカーをアギーレが披露したのには驚きました。もちろん、日本にこのシステムを根付かせるには、キーマンのアンカーを誰にするかが課題でした。J1では4-3-3のチームはなかったからです。
事実、アギーレはアジアカップに向けてのメンバー選出には苦労しました。最初の代表戦で思い切って若手を抜擢し、中にはJ1リーグ出場わずか5試合というCB坂井(当時鳥栖)を代表に選んだのは驚きでした。しかし、そんな若手は結局代表に定着できず、アンカーも森重を起用したもののしっくり行かず、ついにアギーレの取った手はベテラン長谷部のアンカー起用でした。
もちろん、安定してパスが回せる長谷部は、アンカーもこなせました。しかし、ベテランの遠藤保仁まで代表に呼ぶなど、なりふり構わず勝ちに行ったアジアカップを、準々決勝でUAEにPK戦とはいえ敗れてしまっては、アギーレを擁護する要素はなくなってしまいました。
これに加え、アギーレがスペインリーグのサラゴサ時代に八百長に関与したという疑惑もあって、アギーレの日本代表はわずかな期間しか見られずに終わりました。
私個人としても、歴代の代表監督の試合前のウォーミングアップの練習は観察していましたが、アギーレの練習は一度も見ることができませんでした。アギーレは今は中東で監督をしています。ACLで日本チームと対戦するかもしれませんね。
浦和レッズは、今沖縄でキャンプ中です。今年は五輪代表やA代表の公式戦はないので、怪我でリハビリの梅崎と高木俊幸以外は全員が揃って練習できます。キャンプではポジション争いが見ものですが、自分なりに予想してみたいと思います。
まず、梅崎と高木俊幸が離脱しているということは、他の選手にとってはシャドーと左アウトサイドを狙うチャンスです。特に左アウトサイドは、湘南でそのポジションだった菊池大介の加入で、激戦が予想されます。
昨年、梅崎の負傷と橋本の神戸へのレンタル移籍で、宇賀神が一時ポジションを手中にしていました。しかし、シビアに見てしまえば、各年代の代表経験のない宇賀神はポジションを保証するほどのビッグネームではありません。
駒井が右アウトサイドで出るときに、関根を左に回すオプションは去年もありましたが、今季は菊池大介が一躍左アウトサイドの本命に浮上と予想しています。もちろん、菊池大介はもともとは前のポジションの選手なので、ミシャサッカーの求める自陣への戻りをどこまでこなせるかは未知数です。宇賀神がアピールするとすれば守備ということになるでしょう。
トップ下の争いも楽しみです。去年までなら、高木俊幸が離脱なら代役は李で決まりでした。しかし、今季は新加入のラファエル・シルバがトップ下に意欲を見せており、新潟時代の実績を考えると本命となります。それ以外にも矢島もトップ下でプレー可能ですし、ズラタン1トップなら興梠が回る可能性もあります。
ラファエル・シルバはスピードがありますが、新潟時代は一貫してFWでした。後ろから出ていって点に絡む、ミシャのやり方にどれだけ適応できるかの勝負になります。また、ある程度は守備も期待されます。もちろん、武藤雄樹など意外な選手をブレイクさせてきた、ミシャの指導で開花する可能性もあります。
DFは新加入の田村次第です。彼が森脇や槙野を脅かすほどでないと、ACLでターンオーバーを機能させることは難しくなります。遠藤と那須の使いわけが可能になった以上、ストッパーにもそれを期待したいです。
まず、梅崎と高木俊幸が離脱しているということは、他の選手にとってはシャドーと左アウトサイドを狙うチャンスです。特に左アウトサイドは、湘南でそのポジションだった菊池大介の加入で、激戦が予想されます。
昨年、梅崎の負傷と橋本の神戸へのレンタル移籍で、宇賀神が一時ポジションを手中にしていました。しかし、シビアに見てしまえば、各年代の代表経験のない宇賀神はポジションを保証するほどのビッグネームではありません。
駒井が右アウトサイドで出るときに、関根を左に回すオプションは去年もありましたが、今季は菊池大介が一躍左アウトサイドの本命に浮上と予想しています。もちろん、菊池大介はもともとは前のポジションの選手なので、ミシャサッカーの求める自陣への戻りをどこまでこなせるかは未知数です。宇賀神がアピールするとすれば守備ということになるでしょう。
トップ下の争いも楽しみです。去年までなら、高木俊幸が離脱なら代役は李で決まりでした。しかし、今季は新加入のラファエル・シルバがトップ下に意欲を見せており、新潟時代の実績を考えると本命となります。それ以外にも矢島もトップ下でプレー可能ですし、ズラタン1トップなら興梠が回る可能性もあります。
ラファエル・シルバはスピードがありますが、新潟時代は一貫してFWでした。後ろから出ていって点に絡む、ミシャのやり方にどれだけ適応できるかの勝負になります。また、ある程度は守備も期待されます。もちろん、武藤雄樹など意外な選手をブレイクさせてきた、ミシャの指導で開花する可能性もあります。
DFは新加入の田村次第です。彼が森脇や槙野を脅かすほどでないと、ACLでターンオーバーを機能させることは難しくなります。遠藤と那須の使いわけが可能になった以上、ストッパーにもそれを期待したいです。
今日は疲労でトレーニングを休み、代わりに別所沼公園まで散歩に出かけていました。冬は冬なりに、咲く花は見つかります。この厳しい季節を耐えて、美しい花が咲き誇る季節はもうすぐです。カメラ片手に、どこか花の咲くところに、出かけてみたいと夢を膨らませています。
写真の羅列ですが載せます。
白梅は2分咲きくらいでした。
河津桜はつぼみがほころびそうでした。
水門です。
なでしこです。
ノースポールです。
水仙です。
パンジーです。
ビオラです。
葉ボタンです。
椿です。
神明神社古墳です。
写真の羅列ですが載せます。
白梅は2分咲きくらいでした。
河津桜はつぼみがほころびそうでした。
水門です。
なでしこです。
ノースポールです。
水仙です。
パンジーです。
ビオラです。
葉ボタンです。
椿です。
神明神社古墳です。