浦和の今季初得点となったゴールを決めた、浦和MF阿部勇樹の記憶です。昨日のFC東京戦では、アンカー的に後ろをカバーして、いいポジションを取ってヘディングでクリアを見せていました。39歳となった今ですが、練習に取り組む姿勢はロドリゲス監督も認めており、キャプテンに指名されたのは信頼の現れでしょう。
阿部勇樹は当時最強の育成を誇っていた、ジェフ市原(現J2千葉)のユース育ちです。16歳でデビューを果たし、17歳でトップチームのレギュラーとなるなど、早熟の天才でした。もっとも、活躍を期待された2001年ワールドユース、アルゼンチン大会を負傷で棒に振るという苦い経験もしています。
阿部勇樹は直接FKやPKのキッカーを任されるなど、テクニックで知られますが、2003年に駒場スタジアムの千葉戦で見たときは攻撃を佐藤勇人に任せて、阿部勇樹は後ろのスペースを埋めるアンカー的な役割をしていました。そのフィジカルの強さが、彼の長い現役生活を支えており、千葉を率いたオシム監督がキーマンに指名し、相手のゲームメーカーにマンツーマンで付く役割を与えられていました。
浦和移籍は2007年です。当時のオジェック監督は、阿部勇樹の持っているユーティリティプレーヤーぶりを評価し、CB、左SB、ボランチで起用して「固定したポジションのないレギュラー」となります。その後、阿部勇樹はどんなときでも歴代監督の信頼を得ており、主にボランチでしたが、CBで起用した監督もいました。
2012年に就任したミシャも、阿部勇樹をキーマンと期待しました。当時のミシャのシステムは、攻撃の際にボランチの片方が最終ラインに降りて、もう一枚をバイタルエリアに残す、攻撃的な4-1-5を行っていました。その最終ラインに降りる役割が阿部勇樹で、彼の持っているCBをこなせるフィジカルの強さがここでも生きることになります。
昨年、負傷がちで大槻監督にほとんど起用されなかった苦しいシーズンを送りましたが、今季に復活を賭ける姿勢は確かだったようで、スタメン復帰を果たしました。ロドリゲス監督のボランチ像もミシャに似ており、彼のフィジカルの強さが生きることになるかもしれません。昨日は足がつって途中交代と体力に課題もありましたが、プロ意識の高い選手なので頼りにしています。
阿部勇樹は当時最強の育成を誇っていた、ジェフ市原(現J2千葉)のユース育ちです。16歳でデビューを果たし、17歳でトップチームのレギュラーとなるなど、早熟の天才でした。もっとも、活躍を期待された2001年ワールドユース、アルゼンチン大会を負傷で棒に振るという苦い経験もしています。
阿部勇樹は直接FKやPKのキッカーを任されるなど、テクニックで知られますが、2003年に駒場スタジアムの千葉戦で見たときは攻撃を佐藤勇人に任せて、阿部勇樹は後ろのスペースを埋めるアンカー的な役割をしていました。そのフィジカルの強さが、彼の長い現役生活を支えており、千葉を率いたオシム監督がキーマンに指名し、相手のゲームメーカーにマンツーマンで付く役割を与えられていました。
浦和移籍は2007年です。当時のオジェック監督は、阿部勇樹の持っているユーティリティプレーヤーぶりを評価し、CB、左SB、ボランチで起用して「固定したポジションのないレギュラー」となります。その後、阿部勇樹はどんなときでも歴代監督の信頼を得ており、主にボランチでしたが、CBで起用した監督もいました。
2012年に就任したミシャも、阿部勇樹をキーマンと期待しました。当時のミシャのシステムは、攻撃の際にボランチの片方が最終ラインに降りて、もう一枚をバイタルエリアに残す、攻撃的な4-1-5を行っていました。その最終ラインに降りる役割が阿部勇樹で、彼の持っているCBをこなせるフィジカルの強さがここでも生きることになります。
昨年、負傷がちで大槻監督にほとんど起用されなかった苦しいシーズンを送りましたが、今季に復活を賭ける姿勢は確かだったようで、スタメン復帰を果たしました。ロドリゲス監督のボランチ像もミシャに似ており、彼のフィジカルの強さが生きることになるかもしれません。昨日は足がつって途中交代と体力に課題もありましたが、プロ意識の高い選手なので頼りにしています。
体調の回復が間に合わず、テレビ観戦になりましたがレッズの開幕戦は見ていました。浦和は4-4-2の布陣で、杉本とJ2琉球から移籍の小泉が2トップを組み、右MFにJ2栃木から移籍の明本を起用してきました。ダブルボランチにはベテランの阿部勇樹と、大卒新人の伊藤敦樹でした。昨年から大きくメンバーが入れ替わったことによる、チームとしての熟成度がどうかと見ていました。
チーム間の連係という意味ではある程度仕上がっていた印象です。ロドリゲス監督のサッカーは、ボランチにDFラインに降りることを要求する代わりに、両SBは高い位置を取って仕掛ける形です。そのサイドで、明本や汰木が持って、サポートに来る宇賀神と山中と連携したという意味では良かったと思います。
もっとも、この試合ではFC東京が予想外に慎重な入りをしてきました。布陣的には4-3-3ですが、FWの一枚は中盤に降りて4-4のラインを引いており、浦和のパスコースをなくす守備をしてきました。そのため、浦和はボールは持てたもののブロックの外側で回さざるを得ず、なかなかブロックの中にいる杉本のところまでボールが入りませんでした。
それでも、このゲームはCKの数で、FC東京1本、浦和9本と差がありました。このCKの数の差は、浦和優位に試合が進む要因になります。浦和のCKは右CKを山中、左CKを小泉が蹴っており、なかなか合わなかったとはいえ何本も蹴ったことで感覚をつかんだでしょう。それが浦和の先制点につながりました。右CKから槙野が合わせ、GK波多野がクリアしたところを阿部勇樹がインサイドキックで当て、アダイウトンの膝の内側に当たってゴールとなりました。OGではなく阿部勇樹のゴールが公式発表です。
また、明本と小泉については、それぞれ違った形でアピールしました。明本は球際を強く行けることと、思い切って前のスペースに出ていけるところが良かったと思います。運動量も落ちず、途中からFWに回ってフル出場しました。小泉はポジションをいろんな位置に取って、浦和のボール回しを良くすることができました。オフサイドで取り消しになったものの杉本にスルーパスも送っています。
このまま勝っていれば会心のゲームでしたが、試合は最後にFKから森重が頭で合わせた同点ゴールで追いつかれ、1-1の引き分けに終わります。勝ち点3を逃したという意味では残念でしたが、少なくとも若手主体の浦和はFC東京より動けており、主力選手を大幅に放出したことによる戦力ダウンを補えていると感じました。
チーム間の連係という意味ではある程度仕上がっていた印象です。ロドリゲス監督のサッカーは、ボランチにDFラインに降りることを要求する代わりに、両SBは高い位置を取って仕掛ける形です。そのサイドで、明本や汰木が持って、サポートに来る宇賀神と山中と連携したという意味では良かったと思います。
もっとも、この試合ではFC東京が予想外に慎重な入りをしてきました。布陣的には4-3-3ですが、FWの一枚は中盤に降りて4-4のラインを引いており、浦和のパスコースをなくす守備をしてきました。そのため、浦和はボールは持てたもののブロックの外側で回さざるを得ず、なかなかブロックの中にいる杉本のところまでボールが入りませんでした。
それでも、このゲームはCKの数で、FC東京1本、浦和9本と差がありました。このCKの数の差は、浦和優位に試合が進む要因になります。浦和のCKは右CKを山中、左CKを小泉が蹴っており、なかなか合わなかったとはいえ何本も蹴ったことで感覚をつかんだでしょう。それが浦和の先制点につながりました。右CKから槙野が合わせ、GK波多野がクリアしたところを阿部勇樹がインサイドキックで当て、アダイウトンの膝の内側に当たってゴールとなりました。OGではなく阿部勇樹のゴールが公式発表です。
また、明本と小泉については、それぞれ違った形でアピールしました。明本は球際を強く行けることと、思い切って前のスペースに出ていけるところが良かったと思います。運動量も落ちず、途中からFWに回ってフル出場しました。小泉はポジションをいろんな位置に取って、浦和のボール回しを良くすることができました。オフサイドで取り消しになったものの杉本にスルーパスも送っています。
このまま勝っていれば会心のゲームでしたが、試合は最後にFKから森重が頭で合わせた同点ゴールで追いつかれ、1-1の引き分けに終わります。勝ち点3を逃したという意味では残念でしたが、少なくとも若手主体の浦和はFC東京より動けており、主力選手を大幅に放出したことによる戦力ダウンを補えていると感じました。
今日は浦和の開幕戦、FC東京戦ですが、何かの事情で更新できなかったときのために一つ書いておきます。昨日のGGRのゲストに来ていた、元浦和CB、坪井慶介さんの記憶です。坪井を初めて見たのは、2002年のレッズフェスタでした。当時、綺麗に刈った坊主頭で、豚汁売り場で料金箱を首から下げていた姿を覚えています。
坪井が新人だった2002年、浦和の監督は元日本代表監督のハンス・オフト氏でした。当時、オフト監督は浦和に3バックのマンツーマン守備を導入するために、足が速く相手DFをどこまでも追い回せるタイプのDFを探していました。スピードには自信があった坪井にははまり役で、このシーズンをフル出場して、1枚もイエローカードをもらわずに、フェアプレー個人賞を受賞する活躍でした。
もっとも、私が覚えている試合は、2002年9月の名古屋戦です。当時、浦和がエメルソン、トゥット、永井の3トップでJ1で一時旋風を起こしており、名古屋がこの3トップにマンツーマンでマークを付けて膠着状態を狙ってきました。坪井は、前に一人だけ残っていたウェズレイに対する守備要員でしたが、ウェズレイが坪井を振り切ってこの単騎攻撃を機能させて先制点を得ました。当時全盛期だったウェズレイの個人技に、まだ新人だった坪井が勝てなかった印象があります。
その後、坪井はオフトの後任になったギド監督にも使われました。3バックの右ストッパーが彼の位置で、スピードがあるので自陣から上がって行くとスタンドが沸きますが、大抵横にいる鈴木啓太に短くパスを出して終わりという攻撃参加でした。そのため、彼のゴールは生涯2点と、決して点の取れるDFではありませんでした。
坪井と聞いて思い出すのは、2011年の残留決戦の福岡戦も印象的です。当時、アウェイの福岡戦で勝てばほぼ残留決定でしたが、引き分け以下だと甲府に自力残留の目が出る崖っぷちの試合でした。このしびれる試合で、ベテランになっていた坪井と平川の二人が落ち着いており、彼らがこのゲームを落ち着かせてくれたことが、浦和の2-1の勝利の一つの要因でした。
坪井は2014年シーズンを最後に浦和を去り、湘南、山口とカテゴリーを下げながらも現役を長く続けました。J2山口を最後に40歳で現役を引退し、今は時々テレ玉でそのしゃべりの上手さを披露しています。まだ体型などは現役時代とあまり変わっておらず、どこかで運動しているんだなと想像できます。
坪井が新人だった2002年、浦和の監督は元日本代表監督のハンス・オフト氏でした。当時、オフト監督は浦和に3バックのマンツーマン守備を導入するために、足が速く相手DFをどこまでも追い回せるタイプのDFを探していました。スピードには自信があった坪井にははまり役で、このシーズンをフル出場して、1枚もイエローカードをもらわずに、フェアプレー個人賞を受賞する活躍でした。
もっとも、私が覚えている試合は、2002年9月の名古屋戦です。当時、浦和がエメルソン、トゥット、永井の3トップでJ1で一時旋風を起こしており、名古屋がこの3トップにマンツーマンでマークを付けて膠着状態を狙ってきました。坪井は、前に一人だけ残っていたウェズレイに対する守備要員でしたが、ウェズレイが坪井を振り切ってこの単騎攻撃を機能させて先制点を得ました。当時全盛期だったウェズレイの個人技に、まだ新人だった坪井が勝てなかった印象があります。
その後、坪井はオフトの後任になったギド監督にも使われました。3バックの右ストッパーが彼の位置で、スピードがあるので自陣から上がって行くとスタンドが沸きますが、大抵横にいる鈴木啓太に短くパスを出して終わりという攻撃参加でした。そのため、彼のゴールは生涯2点と、決して点の取れるDFではありませんでした。
坪井と聞いて思い出すのは、2011年の残留決戦の福岡戦も印象的です。当時、アウェイの福岡戦で勝てばほぼ残留決定でしたが、引き分け以下だと甲府に自力残留の目が出る崖っぷちの試合でした。このしびれる試合で、ベテランになっていた坪井と平川の二人が落ち着いており、彼らがこのゲームを落ち着かせてくれたことが、浦和の2-1の勝利の一つの要因でした。
坪井は2014年シーズンを最後に浦和を去り、湘南、山口とカテゴリーを下げながらも現役を長く続けました。J2山口を最後に40歳で現役を引退し、今は時々テレ玉でそのしゃべりの上手さを披露しています。まだ体型などは現役時代とあまり変わっておらず、どこかで運動しているんだなと想像できます。
今日は試合を見る元気が出なかったので、ワールドサッカーネタから、コロンビア代表FWラダメル・ファルカオの記憶を書きます。ファルカオの名前は、1982年と1986年のW杯に出場した元ブラジル代表MFファルカンのスペイン語読みで、ミドルネームについているこの名前で呼ばれることを本人が喜ぶのでそのままサッカーネームになっています。
ファルカオの名前を聞いたのはFCポルト時代です。当時、欧州リーグ(欧州CLの一段下のカップ戦)で得点王となるなど点の取れるFWということで、知名度が上がります。この活躍で価値が上がり、スペインリーグのAマドリードに移籍して、そこでも欧州リーグ得点王になります。2014年のブラジルW杯で、日本が彼のコロンビア代表と当たることから、ファルカオのビデオは何度か見ました。
どちらかといえばスピード型FWですが、彼の場合フィジカルも強く、アーリークロスを送り込んでもそれなりに競れる強さを持っていました。1トップに置いても活躍できるタイプですが、2014年のときは大会直前の負傷でW杯に出場することができず、この「偵察」は空振りに終わりました。日本にとっては敵ですが、見たかったという思いも持っていました。
その後はフランスリーグのモナコに移りますが、このモナコ時代にはイングランド・プレミアリーグの強豪マンチェスターユナイテッドやチェルシーからレンタルで呼ばれるなど、世界的に知られているFWという価値を見せます。2018年のロシアW杯が彼にとって初のW杯になりました。ここでは第2戦のポーランド戦で点を取り、4年越しのリベンジはしました。
彼は昨日書いたハメス・ロドリゲスと一緒に、2019年3月に来日してコロンビア代表でプレーしています。このときのプレーは、決定機を外し得点は挙げたもののPKの1点と、本来の彼の出来ではなかったですが、それでも日本のDFラインがバランスを崩しているとそこに入り込んでいいボールを待つ、世界を生きてきたFWらしいテクニックを見せました。
元チリ代表FWサモラーノが、彼のことを評して「世界で最後の偉大な典型的なセンターFW」と表現していました。それだけ、彼のフィジカルで中央で競れる力は相当です。今は35歳となり、2022年カタールW杯で見るのは難しそうですが、彼のプレーを生で見た記憶は大切にしたいと思います。
ファルカオの名前を聞いたのはFCポルト時代です。当時、欧州リーグ(欧州CLの一段下のカップ戦)で得点王となるなど点の取れるFWということで、知名度が上がります。この活躍で価値が上がり、スペインリーグのAマドリードに移籍して、そこでも欧州リーグ得点王になります。2014年のブラジルW杯で、日本が彼のコロンビア代表と当たることから、ファルカオのビデオは何度か見ました。
どちらかといえばスピード型FWですが、彼の場合フィジカルも強く、アーリークロスを送り込んでもそれなりに競れる強さを持っていました。1トップに置いても活躍できるタイプですが、2014年のときは大会直前の負傷でW杯に出場することができず、この「偵察」は空振りに終わりました。日本にとっては敵ですが、見たかったという思いも持っていました。
その後はフランスリーグのモナコに移りますが、このモナコ時代にはイングランド・プレミアリーグの強豪マンチェスターユナイテッドやチェルシーからレンタルで呼ばれるなど、世界的に知られているFWという価値を見せます。2018年のロシアW杯が彼にとって初のW杯になりました。ここでは第2戦のポーランド戦で点を取り、4年越しのリベンジはしました。
彼は昨日書いたハメス・ロドリゲスと一緒に、2019年3月に来日してコロンビア代表でプレーしています。このときのプレーは、決定機を外し得点は挙げたもののPKの1点と、本来の彼の出来ではなかったですが、それでも日本のDFラインがバランスを崩しているとそこに入り込んでいいボールを待つ、世界を生きてきたFWらしいテクニックを見せました。
元チリ代表FWサモラーノが、彼のことを評して「世界で最後の偉大な典型的なセンターFW」と表現していました。それだけ、彼のフィジカルで中央で競れる力は相当です。今は35歳となり、2022年カタールW杯で見るのは難しそうですが、彼のプレーを生で見た記憶は大切にしたいと思います。
穴埋めネタはコロンビア代表MF、ハメス・ロドリゲスの記憶です。2019年3月にコロンビア代表の一員として、横浜国際競技場に来たときに写真を撮りました。彼は若くしてポルトガルのFCポルトでプレーし、フッキやファルカオが抜けた後のFCポルトで10番をつけて活躍していました。その後、フランスリーグのモナコで1年プレーします。
このモナコ時代の、2014年ブラジルW杯での得点王の活躍が今でも印象的です。当時からコロンビア代表の10番を背負い、初戦のギリシャ代表戦で3点目のゴールを決めると、グループリーグ最終戦で対戦した日本からも点を取り、決勝トーナメントのウルグアイ戦で2得点も決め、点の取れるセカンドストライカーとしてのトップ下と世界に大きくアピールします。
この活躍が効いて、スペインのRマドリードからオファーを受けて移籍します。Rマドリードでも10番をつけるなど期待されましたが、当時のRマドリードはFWにベンゼマ、ベイル、ロナウドという「BBC」と呼ばれた3トップがいました。ハメスはMFとして、クロースやモドリッチとポジションを争いますが、このポジション争いに敗れる格好でRマドリードでは出番が減っていました。
そのため、2017年にレンタルでバイエルンに移籍していました。この、ちょっと低迷期のハメスと、2018年ロシアW杯でまたも日本と対戦します。このときはグループリーグ初戦で、コロンビアは前半6分に退場者を出して一人少なく、ハメスはキンテロと交代で途中出場しますが、このときのハメスはコンディションが悪かったようで、彼の不振も日本が勝てた理由の一つになりました。
もっとも、2019年にコロンビア代表の一員として来日したときの彼のプレーは日本のファンを魅了しました。トップ下が彼向きのポジションですが、左MFでも存在感を示し、ロングボールをジャンプしながら空中でトラップしたプレーは日本代表を応援しているはずのファンから驚きの声が上がりました。スピードも持っており、サイドに回してから1トップのファルカオに横から入れるゲームプランを体現していました。
今はプレミアリーグのエバートンでプレーしています。Rマドリードやバイエルンで指導を受けたアンチェロッティ監督のつてだと思われます。これまでのようなビッグクラブではないですが、まだ年齢も29歳と若く、2022年のカタールW杯でのプレーが見られることを楽しみにしています。
このモナコ時代の、2014年ブラジルW杯での得点王の活躍が今でも印象的です。当時からコロンビア代表の10番を背負い、初戦のギリシャ代表戦で3点目のゴールを決めると、グループリーグ最終戦で対戦した日本からも点を取り、決勝トーナメントのウルグアイ戦で2得点も決め、点の取れるセカンドストライカーとしてのトップ下と世界に大きくアピールします。
この活躍が効いて、スペインのRマドリードからオファーを受けて移籍します。Rマドリードでも10番をつけるなど期待されましたが、当時のRマドリードはFWにベンゼマ、ベイル、ロナウドという「BBC」と呼ばれた3トップがいました。ハメスはMFとして、クロースやモドリッチとポジションを争いますが、このポジション争いに敗れる格好でRマドリードでは出番が減っていました。
そのため、2017年にレンタルでバイエルンに移籍していました。この、ちょっと低迷期のハメスと、2018年ロシアW杯でまたも日本と対戦します。このときはグループリーグ初戦で、コロンビアは前半6分に退場者を出して一人少なく、ハメスはキンテロと交代で途中出場しますが、このときのハメスはコンディションが悪かったようで、彼の不振も日本が勝てた理由の一つになりました。
もっとも、2019年にコロンビア代表の一員として来日したときの彼のプレーは日本のファンを魅了しました。トップ下が彼向きのポジションですが、左MFでも存在感を示し、ロングボールをジャンプしながら空中でトラップしたプレーは日本代表を応援しているはずのファンから驚きの声が上がりました。スピードも持っており、サイドに回してから1トップのファルカオに横から入れるゲームプランを体現していました。
今はプレミアリーグのエバートンでプレーしています。Rマドリードやバイエルンで指導を受けたアンチェロッティ監督のつてだと思われます。これまでのようなビッグクラブではないですが、まだ年齢も29歳と若く、2022年のカタールW杯でのプレーが見られることを楽しみにしています。
今週末の土曜日、ついにJリーグが開幕し、浦和はホーム埼玉スタジアムでFC東京と対戦します。今季の浦和は選手を大きく入れ替えており、マルティノス、エベルトン、レオナルドの外国人選手にとどまらず、長澤や青木、鈴木大輔ら主力選手の多くが抜けています。代わりに獲得した選手は若手が多く、彼らの成長待ちという苦しいシーズンが予想できます。
もっとも、新監督リカルド・ロドリゲス氏の采配という楽しみがあります。ロドリゲス氏はJ2徳島で4年間指揮を執り、昨年ついにJ2で優勝してJ1に昇格させたところで浦和に移籍してきました。天皇杯で徳島のサッカーを見ましたが、ボランチの動きに特徴があり、一人が前に残ってバイタルエリアをケアし、もう一人は最終ラインに降りてSBなどの積極的な上がりをサポートしていました。
先日の練習試合相模原戦を見た印象では、大槻前監督があまり起用していなかった、ベテランの宇賀神や阿部勇樹がスタメン出場しており、彼らがどこまでシーズンを通して戦えるかはどうかとも思います。ロドリゲス氏のサッカーに、ボランチとDFをこなせる阿部勇樹は向いていますが、39歳という年齢的な衰えの可能性もあり、どうしても気になります。
また、かつてのミシャのように、徳島から戦術の理解者を連れてくるという発想はなかったようです。そのため、浦和の選手はゼロからロドリゲス氏の戦術を学ぶことになりました。果たして、最初からロドリゲス氏のサッカーを選手がピッチで表現できるかは、相手が昨年ACL出場の強豪FC東京ということもあって、微妙です。
FC東京はACLの強行日程で昨年こそ苦しみましたが、チーム作りの上手い名将長谷川健太監督が率いています。もっとも、昨年はシーズン途中で右SB室屋とボランチの橋本を引き抜かれて苦しみました。今年、浦和から青木を補強しているのは、ボランチの即戦力が欲しいというチーム事情の現れでしょう。
開幕戦ということで、今のチーム状態などの予想は困難ですが、浦和としては最初でつまずくと若手主体のメンバーで立て直せるかどうかの懸念もあるので、何とか早いうちに結果が出て欲しいと祈るような心境です。
もっとも、新監督リカルド・ロドリゲス氏の采配という楽しみがあります。ロドリゲス氏はJ2徳島で4年間指揮を執り、昨年ついにJ2で優勝してJ1に昇格させたところで浦和に移籍してきました。天皇杯で徳島のサッカーを見ましたが、ボランチの動きに特徴があり、一人が前に残ってバイタルエリアをケアし、もう一人は最終ラインに降りてSBなどの積極的な上がりをサポートしていました。
先日の練習試合相模原戦を見た印象では、大槻前監督があまり起用していなかった、ベテランの宇賀神や阿部勇樹がスタメン出場しており、彼らがどこまでシーズンを通して戦えるかはどうかとも思います。ロドリゲス氏のサッカーに、ボランチとDFをこなせる阿部勇樹は向いていますが、39歳という年齢的な衰えの可能性もあり、どうしても気になります。
また、かつてのミシャのように、徳島から戦術の理解者を連れてくるという発想はなかったようです。そのため、浦和の選手はゼロからロドリゲス氏の戦術を学ぶことになりました。果たして、最初からロドリゲス氏のサッカーを選手がピッチで表現できるかは、相手が昨年ACL出場の強豪FC東京ということもあって、微妙です。
FC東京はACLの強行日程で昨年こそ苦しみましたが、チーム作りの上手い名将長谷川健太監督が率いています。もっとも、昨年はシーズン途中で右SB室屋とボランチの橋本を引き抜かれて苦しみました。今年、浦和から青木を補強しているのは、ボランチの即戦力が欲しいというチーム事情の現れでしょう。
開幕戦ということで、今のチーム状態などの予想は困難ですが、浦和としては最初でつまずくと若手主体のメンバーで立て直せるかどうかの懸念もあるので、何とか早いうちに結果が出て欲しいと祈るような心境です。
足元に咲く青くて小さな花、オオイヌノフグリが早くも開花していました。この花の青色はカメラではなかなか出しにくかったですが、カメラ側が次第に成長して、出てくるようになってきました。もっとも、じっくり何度も狙えばもっと青い色は出せたかもと、時間をかけずに撮った一枚なので思います。