Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

さいたまシティカップ(2003年フェイエノールト)

2008-07-31 22:09:42 | 浦和レッズ
今日は浦和のバイエルン戦ですが、昨日プレビュー記事を書き忘れました。また、平日夜の試合の即日更新は厳しいので、今回は穴埋めネタとして、過去に私が見たさいたまシティカップの思い出を書きます。一番の思い出は、2003年の小野伸二凱旋試合のフェイエノールト(オランダ)戦です。

この当時は、海外のサッカーが見られる物珍しさと、小野伸二を生で見る貴重な機会ということで、スタンドはほぼ満員でした。しかし、小野伸二はリーグ最終戦で足首を痛めてしまいました。自分が出なければ興行にならないというプロの意地で、最初の15分だけ出場して、ロングシュートを一本放って存在感を見せました。

ベストからは当然程遠い出来でしたが、サポは小野伸二が見せてくれた誠意には満足したと思います。また、この年の小野伸二は、アジア人で初めてヨーロッパのタイトルを取った(UEFA杯優勝)ことが評価されて、アジア最優秀選手に選ばれています。その表彰式が、この日の試合前に行われたことも印象的でした。

しかし、そんな親善ムードたっぷりだった試合は、小野伸二の交代と同時くらいに、スピード感たっぷりの試合になりました。プレミアリーグに詳しい方ならおそらくご存じであろう現アーセナルのファンペルシーが、当時若手FWとしてフェイエノールトに在籍していました。

そのファンペルシーが、爆発的なスピードを見せて浦和のサポを驚かせました。当時マークについていたのは堀之内でしたが、あまりの身体能力の前にほとんど何もさせてもらえず、置いていかれました。こんな選手が普段ベンチなのかと思うと、世界のサッカーの奥深さを知りました。

事実、数年後に名門アーセナルからオファーが来たのですから、その印象は間違っていなかったです。ただ、この時期は代表戦があったため、両チームとも代表選手はいませんでした。フェイエノールトにはベテランFWのファンホーイドンクや、コートジボアール代表FWのカルーらがいるはずでしたが、残念ながら見ることはできませんでした。

しかし、代役たちがそれなりに質の高いプレーを見せたことで、この試合の印象は悪くありません。しかし、翌年に来日したインテル(イタリア)はひどいチームで来日してしまいました。出場料欲しさに、チームを二つに分けて同時に二つの大会に出る誠意のなさは、私がシティカップのスタンドから遠ざかる理由になりました。

今は、リーグ戦の平日開催が増えて、そう何度も平日には休めないという理由で、今日もテレビ観戦です。生で見れば、世界の好プレーが見られるかもしれないとは思いますが、ACLもあるので、休みは残しておこうと思います。
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10年の日本サッカーの進歩(7/29U-23アルゼンチン戦)

2008-07-30 17:24:42 | ワールドサッカー
昨日のアルゼンチン戦、雷雨で後半35分過ぎに打ち切りになりましたが、両国協会が合意したため、試合は成立で0-1で日本の負けです。ただ、チームとしての成熟度にはスコア以上の差があったように思えます。やはり、オーバーエイジを3人入れているアルゼンチンには、オーバーエイジを軸にチームを作っています。

30歳のA代表の10番、リケルメがボールを持ったら、3トップが素早く前線に走り込み、戻りが遅かった日本に対し、瞬間的とはいえ、数的優位を作っていました。たまたま、この試合では必死で戻った日本DFが間に合って個人能力で何とかしましたが、一歩間違えばズタズタにされてもおかしくない試合でした。

しかし、日本もアルゼンチンに対して通用した点もありました。それは、香川、本田圭佑らが見せた瞬間的な個人技でした。アルゼンチンといえば、10年前のフランスW杯で対戦したA代表のイメージが今でもありますが、終了間際に中西が相手DFに仕掛けて抜いた場面はよく覚えています。

そんな場面が試合中に何度も出るように日本もレベルアップして欲しいと思っていましたが、その夢をちょっとだけ実現してくれたのがこの二人でした。本田圭佑は、自分のミドルシュートがバーに当たらず入っていれば、勝てる可能性もあったと語るほどで、少なくとも名前負けはしなくなったと思います。

ただ、まだまだかなわないのがFWで、豊田は得意のポストプレーをまったくさせてもらえず、森本もこれといったプレーはできませんでした。ポストプレーが得意でないドイツ代表のクローゼのように、点さえ取れば認めてもらえるのがFWというポジションですが、それも昨日はできませんでした。

正直、反町監督が「誠意」にこだわって候補を絞った結果、アクシデントでオーバーエイジを入れられなかった日本の五輪本大会は、苦戦は必至でしょう。しかし、昨日の試合のように、何が通用して何が通用しないかを世界レベルで測れる場が五輪本大会です。

マスコミはメダルを期待しているところもありますが、私はそういうものより、これからW杯につなげる強化の方が大事だと思います。一人でも多く、南アフリカのピッチに立てる選手が出てきてくれることを願っています。
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途絶えた「吊り出し」(霧島)

2008-07-29 21:49:30 | 他スポーツ
今日はU-23代表のアルゼンチン戦ですが、夏ばて気味の私は、豪州戦と同様、試合中に寝てしまうかもしれません。たとえ見れたとしても、平日夜の試合の即日更新は厳しいので、穴埋めネタでご勘弁下さい。今日話題にするのは、元大関霧島(現陸奥親方)のネタです。

Jリーグのなかった当時、大相撲を見てはひいき力士の勝敗に一喜一憂していましたが、霧島は特に好きな力士でした。新入幕の場所(1984年)で、巨漢の小錦、大乃国相手に得意の頭をつけて前みつを引く相撲で長い相撲に持ち込み、最後は下手出し投げで相手を横転させて感動を呼びました。

ただ、当時の霧島は110kgほどの軽量力士でした。そのため、前みつを引いて頭を付ける形になれば勝てましたが、突き押しの力士に弱く負けるときはあっけなく土俵を割りました。当時の評価は幕内を維持しているだけで立派というものでした。

しかし、次第に筋肉がついてきて、ある程度上位で取れるようになってきた矢先、霧島は小結に上がった場所で、なんと1勝14敗という惨敗を喫します。これがきっかけになりました。霧島は筋肉をつけて体重を140kgまで増やし、上位相手に四つに組んでも十分戦えるようになりました。

その結果、それまでは見られなかった吊り出しを得意技にするようになりました。これでパワーアップした霧島は、大関昇進の最初のチャンスだった場所で13勝2敗という好成績を残して、30歳という遅咲きの大関が誕生しました。大関としての霧島は、優勝1回、在位16場所と、大関としては平凡な成績でした。

しかし、霧島の時代はちょうど相撲界に巨漢が次々と登場してきた頃で、曙あたりの突き押しにはなかなか対抗できませんでした。そんな霧島を、一場所でも長く大関を守って欲しいと思い、連日テレビに声援を送っていた日々が、今でも懐かしく思えます。ちょうど大型化時代に立ち向かった最後の防波堤のようなイメージです。

霧島は大関を陥落した後も現役を続けましたが、吊り出しはもはや見られなくなり、相撲界で吊り出しを見るのは霧島が最後かもと思いました。しかし、最近の朝青龍、白鵬は吊り出しを見せるようになりました。また、相撲の醍醐味の力比べが見られると喜んだので、思わず霧島のことを思い出しました。
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気合の「勝ち点1」(7/27鹿島対浦和)

2008-07-28 20:21:43 | 浦和レッズ
昨日の鹿島戦は、テレビ観戦のため即日更新の予定でしたが、試合が雷雨中断で後ろにずれたため、翌日の朝を考えて更新できませんでした。そのため、今日ようやく書きます。プレビュー記事ではあまり期待していない書き方でしたが、昨日の浦和が見せてくれた運動量と闘志には、結果は引き分けとはいえ、十分満足しています。

ただ、前半はあまり良くなかったです。確かに田中達也が見せてくれた、前線からの激しい守備は感動的でしたが、取った後の攻める駒が足りず、相馬のクロスが無駄に終わる場面は何度かありました。ただ、阿部勇樹のボランチ起用は大成功でした。鈴木啓太がまだ100%でない穴を十分埋める運動量でした。

ここで取ったボールがトップ下の永井に納まればいろいろな攻撃が可能になりますが、永井がサイドに流れていることが多く、浦和の攻撃は相馬頼みになってしまいました。また、高原があまりいい位置におらず、せっかく相馬がクロスを上げても、ターゲットが達也一枚では無理です。

前半は0-0でしのいで、後半勝負に持ち込みたいところでしたが、中断明けの最初のプレーで、小笠原にミドルを決められてしまいます。こういう場面に強いのは、長年勝利のノウハウを持っている鹿島らしいところで、これで後半の浦和は引き気味になるであろう相手から、最低1点は取らなければいけないという難しい状況にしてしまいました。

しかし、エンゲルス監督が打った交代の手は見事でした。相馬out、梅崎inの交代で、最終ラインを急造4バックにして、サイドハーフ気味に右に永井、左に梅崎を置きました。これで鹿島の守備が、誰が永井をマークすべきか徹底しなくなり、浦和はサイドまでならボールを納められるようになりました。

また、途中出場したエジミウソンやエスクデロも、短い時間で何かやってやろうと、高いモチベーションで試合に臨みました。特に、これまでトップの試合では一度も結果を残していない、エスクデロの気合いの入り方はすごかったです。無理なボールも追う必死さを見せるだけではなく、鹿島の守備体系を見て、トップ下のやや右寄りの位置ならキープできるというノウハウもつかみました。

その結果がキープからエジミウソンの走り込みを生んで、田中達也のゴールにつなげました。エスクデロは以前は、フリーになりたいという意識が強すぎて、ゴールから遠い位置にいるという悪い癖がありました。しかし、昨日の試合で何かをつかんだとすれば、これから楽しみな戦力になってくれるでしょう。
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強い横綱まであと少し(白鵬)

2008-07-27 12:03:36 | 他スポーツ
今場所は、13日目という早い段階で白鵬の優勝が決まりました。今場所は朝青龍が途中休場したので、白鵬が一人横綱になりましたが、その白鵬がどこまで横綱にふさわしい相撲を取ってくれるかに注目していました。結果を見れば、十分横綱としての風格が備わった相撲ぶりで、二代目貴乃花を彷彿させる腰周りの安定感は抜群でした。

すっかり、右四つ左上手の形を確立した感があり、四つ相撲ならまだまだ力を発揮する魁皇あたりにもすっかり差し勝って、相撲のうまさを見せています。また、白鵬には投げ技もあって、昨日の琴光喜戦では投げで相手を土俵に這わせています。

先日、貴乃花の話題をしましたが、あの当時と比べると今の相撲界は力士がスリムになり、技とスピードで勝つ時代になりました。白鵬は、今の150kg前後の体があれば十分で、無理をして太る必要はまったくありません。そのあたりは、巨漢力士の多かった貴乃花の時代とは違います。

この変化は、相撲界にとっては歓迎すべき変化だと思います。長年、相撲は取り口が面白くないとか、攻防がないとか、そういう批判を受けていた頃がありました。しかし、今の相撲は、モンゴル人が多いとか言われてはいますが、彼らモンゴル人力士も皆日本語を話し、日本的な相撲を取っています。

今や、彼らモンゴル人が、日本人以上に相撲がうまいのですから、素直に強さを認め、横綱らしい相撲をこれからも取ってくれることを期待しています。
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近所のサルスベリ

2008-07-27 09:43:40 | 雑記
近所の家にある、サルスベリ(百日紅)が満開になりました。夏は花の少ない季節ですが、このサルスベリは夏を彩る花ですね。サルスベリにはいろいろな品種があるらしく、白やピンクの花も見たことがあります。最近の夏は、連日猛暑が続き、早く家に帰ってクーラーの効いた部屋に入りたいと思わず思ってしまいますが、こんな風景に目をやってみるのもいいかなと思っています。
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鹿島戦プレビュー

2008-07-26 16:44:01 | 浦和レッズ
正直に言えば、今鹿島と当たるのは、一番嫌なときに一番嫌な相手と当たるというイメージです。それくらい、今の浦和のチーム状態は良くありません。チーム状態のいいときに当たってようやく互角という相手ですから、今当たるとどういうことになるか、正直怖いところもあります。

ただ、逆に言えば、鹿島は中盤でしっかりつないでくる相手ですから、最初からカウンター狙いに絞る格下サッカーで番狂わせを狙うとゲームプランをしっかり定められるというメリットはあります。事実、前回鹿島と当たったときは、カウンター狙いの相手にやられたとオリベイラ監督がコメントを残していたくらいです。

しかし、そういうコメントが出ているということは、鹿島の方も同じ手は2度食わないぞと慎重なゲームの入り方をしてくる可能性はあります。そうなったときに、ただ引いているだけでは浦和も苦しいので、どこかで仕掛けないといけません。暑さの中でその仕掛けができるのは、田中達也、永井の2トップではと思っています。

この2トップなら、最後まで動いてくれますし、瞬間的な切れはありますから、鹿島に一瞬の隙ができれば逃さないでしょう。とにかく、鹿島に悠々と勝たせない、最後まで走り切る、そういう闘志を見せてくれないと、カシマスタジアムを埋めたレッズサポに申し訳が立たないと思います。

かつて、2005年の9月のカシマスタジアムで、2点ビハインド、しかも闘莉王退場の数的不利から2点を返し、引き分けに持ち込んでサポーターの感動を呼んだ試合のことは今でも鮮明に覚えています。そんなサッカーをもう一度見せてくれというのが、私の期待です。
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高校野球南埼玉大会決勝

2008-07-26 14:59:03 | 他スポーツ
今年の甲子園は、記念大会で、普段の年より出場できる高校が増えています。そのため、普段は一校しか出場できない埼玉県から2校出場できることになり、今年だけ「南埼玉大会」「北埼玉大会」に分割されています。昨日は北埼玉大会の決勝戦で、本庄第一が優勝して甲子園を決めました。

今日は、昔は県営大宮球場に行く行動力があったのに、今は駄目だなと思いながら、冷房の効いた室内で浦和学院対立教新座戦をテレビ観戦しました。浦和学院は埼玉の高校野球界にはおなじみのチームで、名将森監督が率いています。その前の監督が老将野本監督で、強豪の上尾高校から引き抜いたことで話題になっていましたが、その後を引き継いだ森監督は28歳の若さでの抜擢でした。

しかし、そんな森監督も44歳になり、すっかりベテラン監督の仲間入りで、しかも今年の大会には森監督の息子さんがマウンドに上がっているほどです。時の流れは早いなと、子供の頃から高校野球を見ている私には思えます。例年、浦和学院には、超高校級でプロから声がかかる選手が最低一人はいて、そういう選手の個人能力で十分埼玉大会は勝てる実力がありました。

しかし、今年の浦和学院を見ていると、そういう選手はいないように思えます。しかし、このチームは例年、勝負意識が高く隙のないチームを作ってきます。森投手も、それほど速いボールはありませんが、うまくコーナーに投げ分けて、要所を締める投球で相手の攻撃を本塁打の1点に抑えました。

そんな森投手を、スパッと5回で諦めて、もっと球の速い投手が6回から出てくる浦和学院の選手層にも驚かされます。この投手の球筋に慣れない立教新座は、すっかりリズムを狂わされ、凡打の山を築きます。結局、立教新座の岡部投手の立ち上がりを攻略した、1回の3点でこの試合を決めてしまえるあたり、例年とは違った浦和学院の強さを感じました。

しかし、甲子園で勝てるチームかというと、正直あまり期待はしていません。昨年、1回戦で敗退したチームより、もっと小粒なチームだからですが、去年優勝した佐賀北高校もそういうチームでした。総合力が高く、投手が二人以上いて、切れないメンタルタフネスを持っているチームなので、ひょっとして最初の勝利で自信をつければ、可能性はありえると言っていいでしょう。
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私のサッカーの原点(1994年アメリカW杯)

2008-07-25 21:08:31 | ワールドサッカー
それ以前も、ドーハの悲劇などは見ていたのですが、何せ高校サッカーしか見ていなかった私ですから、プロレベルの戦術や約束事にどういうものがあるのかは知りませんでした。そんな私に基礎知識を与えてくれたのが、1994年のアメリカW杯でした。

まず、セットプレーでCBを敵陣に上げて、ヘディングでゴールを狙わせるという基本中の基本がわかっていなかったです。アメリカW杯は比較的アップの映像を多用していたため、あれ?このアウダイールという選手はCBだよなと初めて気付きました。それ以前は、CBだけは唯一攻撃センスが要らないポジションだと思っていたので、実は全ポジション攻撃センスが要るということに、遅れ馳せながら気付きました。

また、SBをどうやってオーバーラップさせているか、気付いたのもアメリカW杯のときです。このアメリカW杯は世界的な猛暑で選手の動きが鈍く、延長戦になるとボールを持っている選手と、その選手をマークする相手以外は全員歩いていたこともあります。

しかし、スウェーデンは攻撃的MFがうまく内に絞って、左右どちらのSBも上げられる戦術的完成度がありました。そのため、スウェーデンのSBはテレビに何度も登場し、今でも名前を覚えているくらいです。

また、強いはずの国にも隙があり、ナイジェリアは監督の意志が選手に伝わっていません(意図的に無視)でしたし、オランダはいつも民族問題でもめて大事なところで力を出せないなど、いろいろな問題を抱えていることも、このとき初めて知りました。

また、このアメリカW杯はマラドーナの興奮剤服用のドーピングや、オウンゴールをしたコロンビアの選手が銃殺されたりと、世界に衝撃を与える事件が二つも起きました。ただ、それを見たことでサッカーから気持ちが離れることはなく、世界はサッカーの勝敗でいつも熱くなっているのだから、いつか日本もその仲間入りをして、W杯に出てほしいと強く思いました。

そんな気持ちが、フランスW杯予選のチケットを徹夜で並んで取ったり、サッカーノートに戦術を書き込んだりという行動につながったのでしょう。今、自分のサッカーファンぶりの原点は、このアメリカW杯だと思っています。
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優しい横綱(二代目貴乃花)

2008-07-24 21:24:47 | 他スポーツ
朝青龍が、貴乃花の優勝回数に並びました。朝青龍は今場所こそ途中休場しましたが、この大横綱の記録が塗り替えられるのかと思い、かつての横綱貴乃花の話題にします。皆さんご存じの通り、このしこ名はかつての名大関だった父親から受け継いだものです。

今の力士では白鵬が一番近い取り口で、力が落ちた晩年を除けば変化せず、まっすぐ立つ力士でした。貴乃花と聞いて、一番最初に出てくるのは、相撲巧者というイメージです。右四つでも左四つでも取れて、相手のまわしを切ったりする技術は超一流のものでした。また、貴乃花と言えば、あまり相手を土俵に叩きつけるような荒々しさを見せたりせず、慎重に腰を落として無難に相手を寄り切る相撲が多かったイメージがあります。

おそらく、貴乃花は冷静な性格で、自分が勝つために一番確率の高い方法を常に選択しているので、周囲からは相撲内容が面白くないという批判も受けましたが、彼にとってはこれがベストという信念があったと思います。

また、貴乃花はきっと優しい人なのではという想像もできます。ゆっくり寄り切るのは、相手に怪我をさせずに勝つ方法としては一番の手段です。また、勝った後に笑顔を見せないのは、負けた相手への配慮だからという話を聞いたことがあります。

しかし、そんな貴乃花の時代は、曙、武蔵丸、小錦といった力士のいた大型化時代のさなかでした。幕下時代は100kg程度だった軽量力士だった貴乃花は、何とか大きい相手に渡り合おうと、無理に太ろうとしてしまいました。体重140kg程度だった頃は強い横綱でしたが、体重を一時160kgまで増やそうとしたのがたたり、怪我が多くなってしまいました。

また、伝説に残る貴乃花の最後の優勝も、シビアに見れば無理をしてしまったと思います。膝の半月板を損傷している状況なら、休場を選択しなければならなかったです。結果的には決定戦で武蔵丸に勝って優勝しましたが、武蔵丸もやりにくかったでしょうし、しかもこの無理は半月板が砕け散って膝の関節のいろいろな部分に入り込むという、力士生命を縮めてしまう重傷を招きました。確かに強い横綱でしたが、全盛期は短かったという注釈がついてしまったのは、今でも残念です。
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