Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

震えた試合(2008年日本対オマーン)

2023-01-23 22:41:56 | ワールドサッカー
歴代代表監督から一本ずつ記事を書いているので、岡田監督時代の思い出から、2008年のW杯3次予選オマーン戦の記憶です。当時、日本は初戦のタイには勝利したものの、2戦目のアウェイのバーレーン戦を敗れ、このオマーン戦は勝利しか許されない崖っぷちでした。そのため、この試合が行われた横浜国際競技場に出かけた、横浜線の電車の中で「この試合に負けたらW杯に出られなくなるんだな」と一人震える思いでした。

当時、日本代表を率いていた岡田監督は、3次予選の間はオシム前監督の選手選考を受け継ぎ、最終予選から自分のサッカーを出す予定でした。しかし、バーレーン戦の敗戦で後がなくなり、岡田監督はこのオマーン戦から「自分のやり方で戦う」意思を示していました。その岡田監督のやり方は、岡田、ザックと2代にわたって不動のコンビとなった、遠藤保仁と長谷部誠のダブルボランチでした。

もっとも、当時は攻撃的なタイプの遠藤保仁がどこまでアンカーというポジションをこなせるかは半信半疑でした。オマーンに狙われる最悪のシナリオも頭をよぎりましたが、試合が始まるとそういう心配は無用でした。オマーンは、直前の親善試合でコートジボワールに勝ち、パラグアイに引き分けていた日本代表を恐れているのがありありとしていました。

オマーンはアルホスニを1トップに置いた3-6-1をやりたい様子でしたが、オマーンのトップ下の2枚が日本が誇る中村俊輔と松井大輔の2シャドーを恐れて、サイドに開いて守備をしていました。これでは、1トップのアルホスニは孤立し、まったく攻撃が合いそうな予感はしませんでした。そのため、前半13分で入った中澤佑二のヘディングシュートで先制した日本は、楽に見ていられる展開になりました。

中村俊輔と松井大輔は高い位置で相手DFに仕掛け続け、負ける気はまったくしない試合になり、最終スコアは3-0と日本の圧勝に終わりました。震えまで感じていた、試合前の自分はいったい何だったのだろうと、これが南アフリカW杯が最も遠ざかった瞬間でしたが嘘のようでした。代表戦の場合は、1試合当たりの重みが大きいので、こういう試合に当たることはあります。

この試合はkobbyが毎回生で見ている最終予選ではなかったですが、印象的だったので今でもよく覚えています。遠藤保仁のアンカーも、これで6年間も続く起用となり、最も長く続いたダブルボランチになりました。それだけ、当時の岡田監督の、自分のやり方で試合をした決断は、正解だったと振り返ります。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« メキシコ対ポーランド後半 | トップ | 忘れ得ぬ代表戦(1997年日本対... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ワールドサッカー」カテゴリの最新記事