kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

シンディ

2011年08月31日 | 音楽
こころに
ひびく


歌が
音楽が
あってよかった
生きてゆく意味が
ここにある

養老孟司は
「生きる意味について
考えるのは無意味だ
何故なら
生きていることは結果だから」
と言った
それで納得できたような
気分になった

でも
それは長くは続かない気分だった
せいぜい
数週間
理として正しい

けれど
生きてゆく
足を前に出す
動機が
シンディにはある
生きてゆく理由が
ここにある

こころという
言葉を
使ってよいのなら
それが許されるなら
ここに
あるのは
こころに響く


誰が知ろうと知るまいと
雨に濡れるように
音楽に濡れる

霧雨のように
有機に滋養となる
歌がある

この村で
僕はひとり
だけど
息をする

目を瞑ってみると
海が見えた
熊野の青い海
白い波頭
打ち寄る
波音
砂を引く音

楽器は
楽器と呼ばれるものだけじゃない
海に紡げば
それが判る





行きたい

2011年08月31日 | 生活
最近、ふっと、
気がついたのですけれど、
労働場にゆくとき、
お洒落してゆくわけにも、
いかないので、
控えめな格好でゆくわけです。
ところが、
先日、
免許を更新しにいって、
写真を撮ったのですけれど、
5年前と同じ、
スメ[ツシャツというか、
サッカーをする人が、
着ている上着みたいなものを、
今でも着ているのです。
それを暑い時期は必ず着てゆきます。
ャbケが深いので、
財布やケータイが落ちない、
という理由だけのため。
冬は、
古着で買った、
アーミーのジャケット。
これも、
ャbケが大きいので、
財布やケータイが落ちない、
という理由だけです。
今、書いていて、
僕は人生を本当に、
楽しんでいるのだろうか、
と思いました。
僕とよく会う人や、
労働場で会う人で、
注意深い人だったら、
「また同じ服」
と思っているに違いないです。
「いつでも同じシャツを着て」
という歌詞があり、
まさしくそれです。
コンサートに行くときは、
なるべく、
労働とは違う格好をしていこう、
と思うのですけれど。

でも、冬のアーミーは、
さすがにぼろぼろになってきたので、
新しいものを、
買う時期なのかも知れません。
きっとまた、500円とかの古着です。
僕はいったい、
何にお金を使うのだろう、
と思うと、
きっとライブじゃないかな、
と思います。
行きたい音楽会には、
絶対に! 行きたい、
と、労働先の監督さんに、
「今日は絶対、残業は駄目で!す!!」
と言ったこともあって、
「で、何観にいくの」
と訊かれるのが常。
言うと、
「知らないなあ」
と重ねられるのも常。
僕は聴きたい、観たい音楽だけを、
聴くし、観る!
読書だってそう。
「知らないなあ」
僕は読みたい本を、読む!
こないだ、
吉増剛造と藤井貞和を図書館で、
予約して、読んで、
ブクログで記録しようとしたら、
ない。
あれはちょっと凹んだというか、
商品として扱われないのかな、
と、神妙になりました。
二人とも、
すんごいん詩人だし、
すんごい詩集だけど、
その、
すんごいことは、
すんごいって、
思わなれていないのかな、
と。。。
でも、これが本物だぜ。
って、言ってみたり。

とまあ、ライブの日は、
労働を休むか、
大工さんたちが、
気を遣ってくれて、
早く終わってくれたりもしましたっけ。