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警察署で父の遺品を受け取り、ボクとかみさんは無言のまま駅に向かって歩いた。
担当刑事は意外にも親切で、ボクらに接してくれた。
JR成田の駅を過ぎたところで、ボクはようやく口を開いた。
「ビールでも飲んで帰ろうか」。
かみさんは黙って頷いた。
2人だけで居酒屋に行ったのは多分1回くらいしかない。それもこのブログを開設するはるか昔だ。
怪鳥が絶賛する「ごんべえ」に行こうとも思ったが、ちょっとビールを飲む程度だからと思い、その隣にある「琉球むら」という店に入った。
掘りごたつ風の小上がりに座り、「オリオンビール」の生を2つ頼んだ。
ビールだけでもう十分だった。
とにかく、心を落ち着けようと思った。
ビールを一気に、喉を鳴らして飲んだ後、ボクはかみさんに言った。
「親父、公約どおりに逝ったなぁ」。
父の死は自身の退院から僅か3ヶ月後のことである。
父の入院中、ボクとかみさんは、父の退院後の生活を考えたとき、独居のリスクは高く、施設への入居が最善の道ではないかと判断し、何軒かのホームを見学していた。父の入院中、それとなくその話しをし、父には検討を促していた。
退院の日、父の家に着いてから、改めて今後の話をむけると、きっぱりと父は言った。
「ホームには入らず、ここで一人で暮らす」と。
余程真剣に考えたのだろう。その言葉はいつもの通り、毅然としていた。
「いや、病気を抱えてリスクは高い」とボクが遮ると、「誰にも迷惑をかけずに人生を全うする」と父はきっぱりと言った。
一度言うときかない父である。ボクはもうそれ以上口を挟むことはやめた。だが、心のなかでこう思った。
「誰にも迷惑をかけずに最期を迎えることなんてできるかよ」。
だが、父は本当に誰にも迷惑をかけることなく、旅立った。
退院から3ヶ月あまり、ボクは父に一度も電話をしなかった。虫が知らせたのだろうか。かみさんは父が逝く前日、電話をいれたという。だが、父は電話に出なかった。かみさんがそのことをボクに打ち明けたのが翌々日のことである。
なんとなく気になって、ボクもすぐさま電話をしてみた。だが、やはり電話に出ない。何十回と電話をしてみたが応答はなかった。ボクは父の家に行き、ベッドで眠るようにして旅立った彼を発見した。
死亡推定時刻から翌日のことだった。
父は就寝中に息を引き取ったという。
「虫が知らせたのかねぇ」。
「うん、お袋が知らせてくれたんだろう」。
「天晴れだったよ。親父」。
ボクらは2杯ずつ、ビールを飲んで席を立った。
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