松山へ向かう予讃線の車窓から見た瀬戸内の美しさに思わず息をのんだ。
壮厳な波が岩礁に乗り上げ、その飛沫が水晶のように浮かんで消えると、ボクは電車の遅れなど、忘れてしまって、すっかりその景色に見惚れてしまったのだ。
ボクは朝からついていなかった。
15時に東温市の取材先に着くように、高松から特急に乗り込むと、1時間もしないうちに電車は動かなくなった。車内アナウンスによると、沿線の家屋が火事になり、あえなく電車は立ち往生となった。
結局、取材先に着いたのは約束の時間から遅れること1時間あまり。松山駅から市電と私鉄を乗り継いで、現場に着いたときはもう、くたくたになっていた。
取材を終えて、ボクは松山市駅に戻ってきたのが,18時頃。
さて、朝ごはんを食べたきりでお腹がペコペコだった。松山には果たして立ち飲み屋があるのか。そんな興味本意でネット検索すると、「三丁目の夕日食堂」という店がヒットした。
ライフスタイルがクルマ中心となっている地方都市において立ち飲み屋は珍しい。
少し遠そうだが、行ってみることにした。
銀天街を歩き、松山市駅から30分近くは歩いただろうか。ようやくくだんの店に辿りついて、がっかりした。
立ち飲みではないのである。
だが、例によって折り畳みの簡易椅子があるところをみると、どうやらかつては立ち飲み屋であっただろうと想像はできる。
要するに「転んだ」様なのである。
仕方ない。30分も歩いたのだから、入ってみることにした。
店はその名の通り、レトロ昭和演出系の酒場だった。
店頭には旧型の丸ポストを置き、中には昭和の鉄板広告を壁に飾る。
あの「フマキラー」や「ボンカレー」といった類のものである。
客はわたしだけであった。カウンターの一角に腰かけ、生ビール(300円)を頼む。
酒肴はやきとりとやきとんが主のお店のようだ。
メニューを見ても、東京のそれと変わり映えがしない。いや、まるで東京のコピーをしているようだ。
例えば、飲み物でいえば、「電気ブラン」。ご存知、浅草の神谷バーのお酒である。例えば、「ホッピー」。ホッピーがこんな西にまであるのだと感心したが、なんてことはない。黄色いラベルの小売り用の瓶であった。
なるほど、店の趣向といい、お酒といい、東京のそれなのである。
店主はなかなか面白い人物だった。学生時代は陸上競技に精を出し、それなりの実績を積んだという。
気が付けば、街はすっかり黄昏色に包まれている。
ボクもすっかり黄昏てしまった。
偉大な先人の文化が漂う松山の黄昏酒場に、ボクは落胆していた。
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