この日がまた巡ってきた。多分、毎年同じことを書いているような気がする。
尾崎豊の命日。
ボクは、いつものように、日暮里から京成線に乗り換え、千住大橋の駅に降りた。
この1年で、ボクの中に死が、もっとリアリティあるものになった。父の死である。心の中にある入れ物に、父がすっぽりと納まった。尾崎も納まっているが、父の入れ物に比べれば、全然小さい。だから、死者としての尾崎は、だいぶ小さくなった。だからといって、忘却の中に帰すものではない。
千住大橋の駅を降り、いつものルートを歩いた。いつもと同じように「太陽の瞳」を歌いながら。
現場に手を合わせて、酒場に向かった。
どこへ行こうか、あれこれ考えた。
昨年行った「おざわ」がよくて、今回も行こうかなと一瞬足を向けたが、すんでのとこでやめた。少し歩いてみようと、橋の方に行った。すると、市場の前に、大衆酒蔵と書かれた酒場が現れた。「きよし」という店である。判断に悩んだ。
ショボい系にも見えるし、実はすごい系にも感じられる。これは一か八かだった。ただ、店は比較的古そうで、長きこと店をやっているならば、店はほぼ間違いないのではないかと思い至り、意を決して店に入った。その瞬間、失敗したなと思った。
まさか、玄関の目の前におばちゃんが待機してるとは思わなかった。入口が狭く、店の右側が小上がりになっている。
おばちゃんは、「いらっしゃい」と言いながら、指を指して、奥を示した。奥の小上がりに行けと言う。もはや逃げられない。ボクは、小上がりに上がって、生ビールを頼んだ。
店はすっぽん料理の店だった。すっぽんの甲羅が飾りとなって店内に吊るされている。しかもその甲羅には何やら文字が書かれている。
どうやら寄せ書きのようだ。それが壁一面にびっしりとあるものだから、気味が悪い。
テレビはバラエティ番組を大きなボリュームで流していた。
ボクは「まぐろの刺身」と日本酒(300円)を頼んだ。お酒の銘柄は分からない。メニューには、ただ「日本酒」としか書かれていないのだ。
椅子に座っていたおばちゃんが、突然口を開いてこう言った。
「55歳でしょ?」。
バラエティ番組を見ていたわたしは我にかえった。
今の言葉は自分に言ったのだろうか。客はボクしかいない。厨房にいる仲間にわざわざ歳をきくわけはないから、どうやらボクに言ったのだろう。
「え?」と聞き返した。
すると、おばちゃんは、また同じ口調で繰り返した。
「55歳でしょ?」。
どうやら、ボクに55歳かどうかをきいている。
面倒なことになった。「違う」と言ったら、きっと延々と話が始まることになりそうだ。ボクは「あぁ、そんなもんです」と言った。
すると、おばちゃんは不適な笑みを浮かべた。
それにしてもショックである。10歳も老けてみられるなんて。
ボクはすっかり酒を飲む気がなくなった。
尾崎は生きていれば、ちょうど50歳。
心の地図の上で迷ってしまった45歳。
す、す、すっぽん、き・よ・し!
す、す、すっぽん、き・よ・し!
収拾つかないじゃないか。
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