ビエンチャンのバスターミナルに着いて、ぞろぞろと客が降りていき、バスの中は瞬く間に空っぽになってしまった。
「おや?ここが終点か?」
不審に思い、運転手に「街の中心街まで行ってくれないか」と聞くと、運転手の彼はきょとんとした顔で「ここが中心部だ」と言った。
窓の外を見ると果たしてここがラオスの首都の街なのかと思うほど、街並みは平坦だった。
バスの外に出て、あたりを見回すと3階以上の建物がない。
行き交う車の列も、通りを歩く人の姿も、ショッピングをするようなお店もほとんど皆無だ。
わたしは拍子抜けしてしまった。
そして、ビエンチャンで過ごす日々も街の風景と同じように実に平坦だった。
そこには何もなかったからだ。
翌日、朝起きて、練乳入りのコーヒーを飲みに行こうと出掛けてみたところで、コーヒーショップは近所になく、さりとておいしいパン屋や、ましてやコンビニなどもあるはずもなく、朝からわたしは調子が悪かった。
昼飯と夜飯はなんとか屋台が近所に出て、糊口をしのぐことができたが、しかしそのご飯の時間も何かわびしく感じられた。
そもそも、あれだけバスに乗っていたバックパッカーは一体どこへ消えてしまったのだろう。
そもそも、ラオスの人とも会うことがない。
これまで旅に出てから、一人で行動することも少なくなかったが、寂しさなどは感じたことがなかった。
夕食に出れば、必ずといっていいほど誰かと友人になれたし、宿に泊まる様々な人ともすぐに打ち解けることができた。
だが、このビエンチャンには何もなかった。
何かを手繰りよせる糸口すら見当たらなかった。
旅に出て初めて味わう寂寥感だった。
バスでビエンチャンに着いたその日、わたしは散歩を切り上げ、早々と宿に帰ってくると、寂しさからか、NHKの短波放送の電波を探った。
日本語が恋しかったのだ。
すると、日本のプロ野球中継が聞こえてきた。
広島カープVSヤクルトスワローズ。
わたしは途切れ途切れに聞こえてくる実況の声に耳を傾けながら、何もすることもなく、ベッドに横たわりながら、天井を見上げるだった。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
「おや?ここが終点か?」
不審に思い、運転手に「街の中心街まで行ってくれないか」と聞くと、運転手の彼はきょとんとした顔で「ここが中心部だ」と言った。
窓の外を見ると果たしてここがラオスの首都の街なのかと思うほど、街並みは平坦だった。
バスの外に出て、あたりを見回すと3階以上の建物がない。
行き交う車の列も、通りを歩く人の姿も、ショッピングをするようなお店もほとんど皆無だ。
わたしは拍子抜けしてしまった。
そして、ビエンチャンで過ごす日々も街の風景と同じように実に平坦だった。
そこには何もなかったからだ。
翌日、朝起きて、練乳入りのコーヒーを飲みに行こうと出掛けてみたところで、コーヒーショップは近所になく、さりとておいしいパン屋や、ましてやコンビニなどもあるはずもなく、朝からわたしは調子が悪かった。
昼飯と夜飯はなんとか屋台が近所に出て、糊口をしのぐことができたが、しかしそのご飯の時間も何かわびしく感じられた。
そもそも、あれだけバスに乗っていたバックパッカーは一体どこへ消えてしまったのだろう。
そもそも、ラオスの人とも会うことがない。
これまで旅に出てから、一人で行動することも少なくなかったが、寂しさなどは感じたことがなかった。
夕食に出れば、必ずといっていいほど誰かと友人になれたし、宿に泊まる様々な人ともすぐに打ち解けることができた。
だが、このビエンチャンには何もなかった。
何かを手繰りよせる糸口すら見当たらなかった。
旅に出て初めて味わう寂寥感だった。
バスでビエンチャンに着いたその日、わたしは散歩を切り上げ、早々と宿に帰ってくると、寂しさからか、NHKの短波放送の電波を探った。
日本語が恋しかったのだ。
すると、日本のプロ野球中継が聞こえてきた。
広島カープVSヤクルトスワローズ。
わたしは途切れ途切れに聞こえてくる実況の声に耳を傾けながら、何もすることもなく、ベッドに横たわりながら、天井を見上げるだった。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
さほど栄えていなくとも、その国の首都というものは、その国においては大都会なんだよね。
で、大都会というのはどこも、なんかあまり居心地がいいものではないようで・・・。
っていうか、俺が都会が苦手だからかもしれないけど。
師がビエンチャンで、手持無沙汰な上になんともいえない寂しさを湛えている感じが良く分るよ。
さて熊猫刑事はこの後、ビエンチャンでどんな事をするのだろう?それとも、すぐさまに脱出を試みるのだろうか?
どこに泊まったのかも。
ほとんど、人と会話することもなかったと思う。
帰国してから1年後くらいだったか、新聞でビエンチャンの記事を読んだ。
ビエンチャンではラップやアシッドジャズが流行っていてクラブが大盛況とのこと。
ちょっと信じられなかったなぁ。