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BASEBALL馬鹿 BLOG

オレたちの「深夜特急」~カンボジア編  シェムリアップ①~ 

2007-08-26 13:20:01 | オレたちの「深夜特急」
 2発の乾いた銃声が合図となって、2隻の高速船は突如エンジンをストップした。
 わたしは後続の船に乗っていたので、先頭を行く船のその先で何が起こっているのかここからでは見渡せない。だが、前を往く船がにわかに騒がしくなり、何かが起こっていることは確かなようだった。
 海賊が現れ、発砲してきたのか。或いは船の中で騒動が起きたのか。判然としない。
 だが、船は30分ほど止まっていたが、いつしか船はまた何事もなかったかのように動き始めたのである。
 我々2隻の船の他に、不審な船やボートの影は見当たらなかった。周囲の欧米人らは、「不審な船でもあって、威嚇射撃をしたのでは」と推理する者もいた。
 とにかく、何事もなかったかのように船は、海原のような広大な湖を走りはじめたのである。

 船は時折、岸辺を往くときがあった。
 そして、ごくごく稀にその淵に高床式の家を見つけることができた。
 その家からは赤ちゃんが顔を出して不思議そうに眺めていたり、漁に出ているのか、人の気配がない家だったり、単調だった湖の光景に、小さな変化をもたらしてくれ、それを眺めているだけで不思議な気分になったものだ。
 「こんなとこにも暮らす人々がいるもんなんだな」と。

 灼熱の日差しがほぼ真上にのぼり肌を容赦なくじりじりと焦がす。
 どうやら太陽は南中高度に差し掛かったようだ。
 時刻はもう2時を回るころだろう。
 時計をみると、案の定2時を指していた。
 もう間もなく、船は目的地に着くだろう。

 やがて、船は河をのぼり始め、その河もみるみる狭まっていく。
 川幅は20mくらいになり、船がようやく行き来できるほどになると、エンジンが突如止まった。
 船の先を見ると、数人の男女がプラカードを持ってこちらの様子を窺っている。
 どうやら、シェムリアップに着いたようだ。
 彼らはゲストハウスの客引きである。

 彼らが持つプラカードにはゲストハウスの名前が書いてあり、それがズラリと並んでいる。
 ゲストハウスの名称はNO.260とか、270といった具合に、全て番号だ。
 それが住所を意味するものなのか、判然としないのだが、とにかく分かりやすかった。
 このうち、日本人旅行者で占められるゲストハウスが幾つかあった。
 今となっては、もはや番号までは思い出せないが、それらが、バックパッカーの間で噂は絶えなかった。

 例えば、「○○は昼飯付きで1泊2ドル」という情報から「○○のドミは南京虫の巣窟だった」というものまで、中には「○○の宿は女主人自らハッパを巻いてくれる」だのと言った感じで、様々な情報が日本人バックパッカーの間を駆け巡っていた。
 ガイドブックの類などはなきに等しかったので、この情報だけが我々の頼りだったのだ。

 ともあれ、わたしは特に泊まるところを決めていたわけではない。
 「なるようになるさ」というのがわたしのスタンスだった。
 船を下りる際、少し肝を冷やした。
 桟橋というものがなく、細い10mほどの板切れが橋代わりだった。つまり板幅20cmほどの細い板を渡るのだが、もし足を踏み外したら、そのまま泥土の河に真っ逆さま。
 幸い、事なきをえて、渡りきったが、女の子は「キャーキャー」言いながら渡れない子もいたほどだ。

 橋を渡りきると、いきなり数人の手が伸びて掴まえられた。ゲストハウスの客引きは少々荒っぽい。
 一番早く手を出した男に「一泊いくらか」と尋ねた。ドミトリーで2ドルだという。
 すると、もうひとりわたしのシャツに手を掛けていた男がいった。
 「ウチはシャワー室がいっぱい」と。
 ふむふむ。それも宿選びの重要な要素だ。
 すると、今度はまた別の男が、「そんなの当たり前だ。ウチはランチ付きで2ドル」と言った。
 もう、それで充分だ。この男の宿に行くよ。
 と、わざと大きく聞こえるように独り言を呟くと、またしても荒っぽい手がわたしの腕を掴まえ、押し合いへし合いが始まるのである。
 わたしはなんとかそれを振り切り、昼飯付きの宿の男に尾いていったのである。
 そして、その男の運転するピックアップの荷台へと乗りこんだ。シェムリアップ市街はまだ先のようである。
 「これはフリーなのか?」
 宿への送迎で別途料金をせがまれたら堪ったものではない。そう思って荷台から客引きの兄ちゃんに確かめてみた。
 「オブコース」。
 そう言って彼はわたしに振り返りながらウインクしてみせた。

 クルマが河沿いの土手を往くと、平原を一望できた。
 ものすごい風景だった。
 茶褐色の荒涼とした大地に時折低木が生えているだけの風景。道路もなく建物もなく、遥か彼方まで続いている。まさに、その先は地平線だ。
そんな光景に圧倒されながら、わたしはトラックの荷台に揺られた。
 15分程すると、クルマは小さな村に入り、やがて大きな家の中庭に入って止まった。
 入り口にはゴロツキのようなバイクタクシーのあんちゃんたちが数人暇を持て余していた。

※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。



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2 コメント

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いやあ (ふらいんぐふりーまん)
2007-08-27 04:09:05
懐かしい感じ一杯で読んだよ、シェムリアップ編。俺の時は銃撃はなかったけどね。(しかし、なんだったんだろうね。ただ、知らないことで逆に怖くなかったって言うパターンも考えられるね。)

師がこの後、アンコールワットをどのように巡るのか楽しみだよ。

さて、俺の方はトルコで弾け過ぎて、本戦初日でぶっ飛んだ。(ぶっ飛ぶとは、大した距離も飛ばずに降りてしまうこと。当然成績は最悪だ。)

そして、トルコアルコール人生の方も芳しくない。(苦笑)宿舎が大学の寮であるため、当然ここにはアルコールはない。

そして町でも、イスラム教が根付いているため、レストランとバーがはっきりと別れてるんだよ。更にスーパーでも酒類は売ってなかったりする。

ということで、カッパドキアツアーでビールを飲んで以来、アルコールを口にしてないよ。ちなみに、こちらでのメジャービールブランドは effe's っていうやつらしい。爽やかな癖のない飲み口だよ。

そんな訳でカンボジアの屋台で気軽に安価な大瓶ビールが飲めたことをうらやましく思い出す今日この頃だ。



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元気そうじゃないか! (熊猫刑事)
2007-08-27 13:31:16
元気そうで何よりだ。
しかし、競技はまだ本調子じゃないみたいだね。

トルコからこうしてコメントが来るっていうのも不思議な感覚だよ。
なにしろ、「オレ深」の頃はインターネットがまだ普及してなくて、情報を集めるのは、もっぱら紙媒体だったもんね。
まさに隔世の感があるよ。
バックパッカーも変わったんだろうね。
必ず、インターネットカフェに寄ったりとか、或いはゲストハウスにインターネットがないと嫌われる、とかね。

さて、師はいつまでトルコに居るんだっけ?
とにかく、体調には気を付けて、ガツンとすごい飛びを見せてくれ。

健闘を祈ってる!
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