早足になっても、背後からする「ハロー」という声は消えることなく追ってきた。ただ、ちょっと冷静になって、その声をよくよく聞いてみると、まだ幼い子どものものであることに気がついた。立ち止まって振り返ると、声の主はまだ4歳か、5歳くらいの小さな女の子だった。痩せ細った体にボロをまとったその子に、わたしは年甲斐もなく恐れたことが恥ずかしく、少し照れ笑いを浮かべて、「ハロー」と返した。
その子はわたしを見上げて、すぐさまこう言った。
「3ダラーズ」。
え? と聞き返すと、彼女はまた同じ言葉を繰り返した。
自ら欲しい金額を指定する物乞い。もしやと思った。
沢木耕太郎氏も遭遇した、自分の体を売る幼女。
まさか。
彼女の瞳の奥に光はなかった。
「3ダラーズ?」。
わたしが聞き返すと、彼女は黙ってうなづいた。
わたしがポケットに手を突っ込み。金を出そうとすると、彼女はわたしのズボンを引っ張って、どこかへ行こうという仕草をした。やはりだ。この子は体を売ろうとしているのだ。たった3ドルで。何故3ドルか。あまり考えたくはないが、この子はそうした経験則を持っているのかもしれない。自分にも腹の底から湧き上がってくる、絶望感のようなものを感じた。
わたしは彼女の手を払い、「OK、OK」と言うと、女の子は少し困った顔をして、わたしを見上げた。そしてポケットからありたけの金を出して、彼女に渡した。パイサの硬貨が何枚か、手からこぼれて、軽薄な音が辺りに響き渡った。彼女は急いで、その金を拾おうと硬貨の行方を追った。わたしはそれを見て、すぐにその場から離れた。
これで良かったのか。それは分からない。ただ、この子の根本的な問題は何一つ解決しないことは明らかだった。
これまで歩いてきたインドは常に貧困と隣合わせだった。街を歩くと、必ず物乞いの姿を多く見た。そして彼らは、悲しげな目を湛え、口に何かを運ぶような仕草をした。
だが、わたしはその度に彼らをやり過ごした。旅人の自分に何が出来るのかと。おびただしい数の物乞いの人全てにお金を恵むことはできないし、硬貨一枚を彼らが座るござの前に置かれた空き缶に放ったところで、今夜の糊口は凌げても、明日は分からないじゃないか。わたしはそうやって、いつも彼らを無視してきたのだ。
だが今夜、幼い女の子が、体を売る現場を目の当たりにしたのを見て、少し考えが変わった。その日の糊口を凌ぐだけで充分ではないか、と。
明日のことなんて、誰にも分からない。それは自分だって同じことである。何某かの金を持っている自分が、何を偉そうなことを考えているのだ。
振り返ると、もう女の子の姿はなく、已に都会の闇に消えていったようだった。都会の闇がまばゆければ、眩いほど、その印影は色濃く映る。ボンベイのこの街に、一体あの子のような少女はどれくらいいるのか。
わたしは絶望感のようなものを背負い、宿までの道のりを帰った。
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