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東京八重洲で小用を足して外に出ると、まだ時刻は18時を過ぎたばかり。
このまま、ウチに帰るのももったいない。
そうだ、最近、大阪の立ち飲み屋の「赤垣屋」が東京駅近くに出店したと聞いた。
今日は、いっちょう東京に進出してきた「赤垣屋」に乗り込んでみるとするか。
東京駅八重洲口からコンコースを通り、丸の内方面へ。
正面には建設中の新丸の内ビルディング。右手には丸の内オアゾ。左手には、丸ビル。
ここ最近の東京駅中央口の再開発は目まぐるしいものがある。
当の「赤垣屋」は東京ビルに入居しているという。
東京郵便局の横をすり抜け、東京ビルへ。
目指す立ち飲み屋は地下1階にあるらしい。
ビルはまだまだ新築で、無機質な匂いをふりまく。
果たして、大阪なんばにある、赤垣屋がここで再現できるか、エスカレーターで地下に向かう途中でふとわたしは心配になった。
大阪なんばの「赤垣屋」はまさに庶民の立ち飲みだ。
わたしは2回ほど大阪出張の折、立ち寄ったことがある。そのときのエピソードは当ブログ「大阪難波のドラフト井戸端会議にて」に記したし、その素晴らしき雰囲気は04年の居酒屋アワード、立ち飲み部門を制している。
なんといっても大阪なんばの店は殺気にも似た活気に溢れていた。
とにかく、夕方頃から店は常に満員の状態で、立って飲み続ける人と人の僅かな間隙を縫って入り込まなければいけない。カッコつけしぃの東京人には絶対真似のできない技だ。
しかし、スペースを確保しただけで、安心はできない。動きをやめることのない店員に間髪入れずに注文を投げつけなければいけないからだ。ここで躊躇は禁物だ。店員との間合いを計っていてもいっこうに注文するタイミングは訪れない。店員と目が合わなくても、野太い声で注文する。たとえ、関西弁のイントネーションでなくとも、その声は自信に満ちていなければならない。
また、注文して、店員のにこりともしない不遜な態度に怒ってはいけない。この店では誰もが無愛想だった。
そんな、「赤垣屋」を思い出しつつ、東京に初上陸したその店の前に辿り着いた。
お店は木の温もりが伝わる江戸の風情を意識した粋な作りだった。麻の暖簾が清々しい。
暖簾をくぐってみた。
お店には数人の客がいるが、満員ではない。
ほぼカウンターの中央にわたしは陣取り、店員に「端麗」と声をかけた。
なんばの「赤垣屋」には麒麟の「端麗」の生がメニューに名を連ねていたからだ。
「端麗は扱っていないんですよ」と標準語の返答が返ってきた。
仕方ない。生ビール(380円)を貰うことにしよう。
つまみはもちろん、「土手焼き」(2本250円)だ。
「生と土手ね」。
なんばの店には2回ほど行ったが、そこで覚えたのが「土手」という掛け声だ。ここではほとんどの客が「土手焼き」を「土手」と呼んでいた。知ったかぶりのわたしもカッコつけて「土手」と略して頼んでみた。
東京の「土手焼き」は貧弱だった。
身が小さく、変に気取った食べ物と化していた。
雰囲気の違いもあるだろうが、初めて食べたときの峻烈さは感じられなかった。
店内の雰囲気もなんかよそよそしい。中には大阪から出向している店員もいて関西弁も聞こえてくるが、店のほとんどは東京仕様になっている。
店の雰囲気を上品にしているのは、客層のほとんどがホワイトカラーで構成されていたからであろう。
なんばでも確かにホワイトカラーが半数を占めた。だが、少なくとも丸の内のワーキングクラスとは確実に異なる層である。
何故、創業80年を誇る「赤垣屋」の東京進出は丸の内だったのだろうか。
生ビールを飲み干して、わたしは芋焼酎「源蔵」のロック(300円)を頼む。
焼酎のお供にはおでんの「じゃがいも」と「はんぺん」(共に120円)だ。
それぞれ、ほどよくおいしいが、どこにでもある味。
人間くさいなんば店と無味無臭の東京ビル店では同じものでも味わいは全く違う。
正直言って、大阪の立ち飲み屋の心意気とはこんなもんなのだろうか。
どうせ東京へ進出してくるのであれば、そのスタイルを変えないまでに神田や浅草といった下町への出店がもっとも適切ではなかったか。
東京ビルという地価の高いテナントによってコストも従来のようにはいかないだろう。 テナント料にコストをかければ、サービスの低下や料理、肴のクオリティに跳ね返ってくる。それよりも、何よりも料理そのものの料金が高ければ、立ち飲み屋としての存在意義は半減するのでないだろうか。
そんなことを考えながら「源蔵」のロックを飲み干した。
さて、店を出るか、という段で友人MJからメールが来た。
「今晩、飲まないか」という文面を見ながら店を後にした。
<続く>
このまま、ウチに帰るのももったいない。
そうだ、最近、大阪の立ち飲み屋の「赤垣屋」が東京駅近くに出店したと聞いた。
今日は、いっちょう東京に進出してきた「赤垣屋」に乗り込んでみるとするか。
東京駅八重洲口からコンコースを通り、丸の内方面へ。
正面には建設中の新丸の内ビルディング。右手には丸の内オアゾ。左手には、丸ビル。
ここ最近の東京駅中央口の再開発は目まぐるしいものがある。
当の「赤垣屋」は東京ビルに入居しているという。
東京郵便局の横をすり抜け、東京ビルへ。
目指す立ち飲み屋は地下1階にあるらしい。
ビルはまだまだ新築で、無機質な匂いをふりまく。
果たして、大阪なんばにある、赤垣屋がここで再現できるか、エスカレーターで地下に向かう途中でふとわたしは心配になった。
大阪なんばの「赤垣屋」はまさに庶民の立ち飲みだ。
わたしは2回ほど大阪出張の折、立ち寄ったことがある。そのときのエピソードは当ブログ「大阪難波のドラフト井戸端会議にて」に記したし、その素晴らしき雰囲気は04年の居酒屋アワード、立ち飲み部門を制している。
なんといっても大阪なんばの店は殺気にも似た活気に溢れていた。
とにかく、夕方頃から店は常に満員の状態で、立って飲み続ける人と人の僅かな間隙を縫って入り込まなければいけない。カッコつけしぃの東京人には絶対真似のできない技だ。
しかし、スペースを確保しただけで、安心はできない。動きをやめることのない店員に間髪入れずに注文を投げつけなければいけないからだ。ここで躊躇は禁物だ。店員との間合いを計っていてもいっこうに注文するタイミングは訪れない。店員と目が合わなくても、野太い声で注文する。たとえ、関西弁のイントネーションでなくとも、その声は自信に満ちていなければならない。
また、注文して、店員のにこりともしない不遜な態度に怒ってはいけない。この店では誰もが無愛想だった。
そんな、「赤垣屋」を思い出しつつ、東京に初上陸したその店の前に辿り着いた。
お店は木の温もりが伝わる江戸の風情を意識した粋な作りだった。麻の暖簾が清々しい。
暖簾をくぐってみた。
お店には数人の客がいるが、満員ではない。
ほぼカウンターの中央にわたしは陣取り、店員に「端麗」と声をかけた。
なんばの「赤垣屋」には麒麟の「端麗」の生がメニューに名を連ねていたからだ。
「端麗は扱っていないんですよ」と標準語の返答が返ってきた。
仕方ない。生ビール(380円)を貰うことにしよう。
つまみはもちろん、「土手焼き」(2本250円)だ。
「生と土手ね」。
なんばの店には2回ほど行ったが、そこで覚えたのが「土手」という掛け声だ。ここではほとんどの客が「土手焼き」を「土手」と呼んでいた。知ったかぶりのわたしもカッコつけて「土手」と略して頼んでみた。
東京の「土手焼き」は貧弱だった。
身が小さく、変に気取った食べ物と化していた。
雰囲気の違いもあるだろうが、初めて食べたときの峻烈さは感じられなかった。
店内の雰囲気もなんかよそよそしい。中には大阪から出向している店員もいて関西弁も聞こえてくるが、店のほとんどは東京仕様になっている。
店の雰囲気を上品にしているのは、客層のほとんどがホワイトカラーで構成されていたからであろう。
なんばでも確かにホワイトカラーが半数を占めた。だが、少なくとも丸の内のワーキングクラスとは確実に異なる層である。
何故、創業80年を誇る「赤垣屋」の東京進出は丸の内だったのだろうか。
生ビールを飲み干して、わたしは芋焼酎「源蔵」のロック(300円)を頼む。
焼酎のお供にはおでんの「じゃがいも」と「はんぺん」(共に120円)だ。
それぞれ、ほどよくおいしいが、どこにでもある味。
人間くさいなんば店と無味無臭の東京ビル店では同じものでも味わいは全く違う。
正直言って、大阪の立ち飲み屋の心意気とはこんなもんなのだろうか。
どうせ東京へ進出してくるのであれば、そのスタイルを変えないまでに神田や浅草といった下町への出店がもっとも適切ではなかったか。
東京ビルという地価の高いテナントによってコストも従来のようにはいかないだろう。 テナント料にコストをかければ、サービスの低下や料理、肴のクオリティに跳ね返ってくる。それよりも、何よりも料理そのものの料金が高ければ、立ち飲み屋としての存在意義は半減するのでないだろうか。
そんなことを考えながら「源蔵」のロックを飲み干した。
さて、店を出るか、という段で友人MJからメールが来た。
「今晩、飲まないか」という文面を見ながら店を後にした。
<続く>
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