8月15日(日)澤井珈琲(境港市竹内団地)のレギュラーコーヒー/アンテンドウ (新宿区四谷)のリッチ石焼食パン
おはようございます。
今日は終戦の日です。終戦を迎えても、旧日本軍は武装解除出来ず、その後も戦闘が続いた地もあるとききます。とりわけ、8月9日から対日参戦したソ連軍とは千島、樺太で戦闘を行ったことがいわれています。樺太に生まれ、戦後引き揚げてきた親父、てっきり終戦後間もなく、本土に引き揚げてきたとばかり思っていましたが、彼が引き揚げてきたのは戦後昭和24年のこと。引き揚げ船のときの武勇伝は何百回も聞かされましたが、終戦からのその4年間について、親父はほとんど語ることをしませんでした。今から思うに、きっと一刻も早く忘れてしまいたかったのでしょう。
今でこそ、戦争を風化させないよう、取り組みが行われていますが、戦後からしばらくは誰も戦争について語りたいと思ってなかったはずです。それだけ大きな傷を誰もが抱えていたのでしょう。2014年9月号「文藝春秋」に掲載された「戦艦大和 戦後作られた最強神話」には、戦後間もなく、多くの人が抱えていた精神性のひとつを読み取ることができます。何故、戦後大和は最強と言われるようになったか。著者の一ノ瀬俊也さんによると、吉田満氏の小説、「戦艦大和ノ最期」が出版され、作中に吉田氏の上官、臼淵巌大尉の発言によって、戦争を生き残った人らの精神が解放されたと推論しています。一億総玉砕が唱えられていた戦中にあり、生き残ってしまったことへの後ろめたさが充満していた時代、そこへ出てきた生き残った者への訓示は、それがたとえ虚構だったにせよ、多くの人に希望を与えたことであろうと示唆しています。一方、この記事ではその「戦艦大和ノ最期」のアンチテーゼとして、「ウルトラセブン」に登場する「アイアンロックス」、漫画版「ウルトラマン」に出てくる「ヤマトン」にも言及しています。曰く、一億総玉砕を反故にした日本を攻撃する恨みによるものだと。
思うに、戦争を正面から語ることは1970年までは恐らくタブーだったのだと思うのです。ただ、彼が話したか否かは別にして、親父には樺太時代を含めてもっと多くの話しを聞きたかったと今は思っています。今日は76回目の終戦の日であるとともに13回目の息子の誕生日。自分らが今日あるのは、親父お袋、先輩方のおかげ。そんなことを上から目線で言われることは昔は嫌だったのですが、事実そうであることに変わりはなく、墓参りしながら、いろいろ思う8月15日です。
8月14日(土)Workshop・さくら(小樽市手宮)のマンデリン/ル・グルニエ・ア・パン (千代田区飯田橋)のパン・ド・ミ
おはようございます。
涼しい日が続いており、我が家では3日連続でエアコンが稼働しませんでした。涼しいので、夜もぐっすりです。ただ、昨夜はおちおち夜も寝られない人もたくさんいたのではないでしょうか。大雨が続く九州、西日本。この数年は毎年どこかで災害が発生しています。またか。そう思わせる降雨量。経験したことのない雨。なんだか毎年同じフレーズを聞いているような気がします。これに対して、人間はなす術もありません。世界は確実に終焉に向かっています。アフターコロナかウィズコロナか分かりませんが、パラダイムシフトはもう今しかありません。それでも、多分週が明けたら、多くの人は会社に向かうのでしょう。社畜の社は会社ではなく、社会の社だったりして。
今朝はヨーグルトを付けました。野菜もたっぷり。
8月9日(月)澤井珈琲(境港市竹内団地)のレギュラーコーヒー/PASCOのイングリッシュマフィン 超熟
おはようございます。
毎年、この時期になると、こうの史代さんの「この世界の片隅に」を再読します。読む度に発見があり、考えさせられます。今日は長崎の原爆の日。オリンピックでも広島ばかりがクローズアップされました。そのオリンピックは長崎の忌を待たず、昨日にて閉幕しました。長崎の原爆の日が広島と比べて地味な印象があるのは、戦後の活動の違いが影響していると聞いたことがあります。長崎の場合、財閥系の軍需工場に気を遣い、長崎を世界に発信するトーンが弱かったといいます。しかしながら、広島も同様、財閥系の工場は海苔の埋め立てで江波に造られます。「この世界の片隅に」の主人公、浦野家も漁業権を放棄し、すずのお父さんはその工場に勤めるようになります。長崎と広島。被害の大小ではなく、等しくその日を思う必要があると感じるのです。
今朝は久々のマフィン。買った人はかみさんです。要するにマフィンのリクエストでした。
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