ボンベイのヴィクトリア駅のホームで、歩きながら、その大柄な男を見上げた。頭一つ分も大きい痩身の男は、笑顔でわたしを見つめていた。
「サルベーションアーミーに行くのかい?」。
彼はわたしにそう尋ねた。
よく聞き取れず、わたしは、聴きなおした。
「ソーリー?」。
意味を汲み取って、少しゆっくりな発話に変えた彼は、もう一度同じ質問を繰り返した。どうやら、泊まるゲストハウスのことをきいているようだった。だが、彼の言うなんとかアーミーという宿は聞いたことがなかった。
「ノーアイディア」。
ちょっと、おどけたように言うと、彼は更に人懐こい笑顔を見せ、こう言った。
自分はサルベーションアーミーという宿に行くが、一緒に行かないか。もし、良かったら部屋もシェアしないか。
断る理由などない。彼に負けないくらいの笑顔で、OKと簡潔に答えた。
彼の名前はマーク。23歳のカナダ人である。身長197cmの優男で、自分より3歳も歳下だったが、少なくとも自分より大人びて見えた。駅から数分、その「サルベーションアーミー」という宿に着いたのだった。
「サルベーションアーミー」とは救世軍のことで、イギリス由来のプロテスタントの団体である。日本ではあまり馴染みがないが、救いを求める人々に社会福祉・教育・医療などの支援を行う、キリスト教の伝道事業である。その「サルベーションアーミー」がどういう訳か、インドで宿泊施設を開設しているのである。
宿に入ると、幸運なことにツインの部屋が一つだけ空いていた。どうやらドミトリーは満床のようだった。ツインの部屋代は一人27ルピー。このインド第二の都市に来ても、部屋代が100円にも満たないことは驚きだったし、インドの宿代最安値をまたもや更新した。
チェックインしている時、宿のロビーに日本人らしい顔を見つけ、話しかけてみた。
「もしかして、日本人ですか?」。
すると、彼も意外そうな顔をして、こう答えた。
「え?日本人久しぶりです」。
それは自分も同じだった。日本人と会うのは2週間ぶり。もちろん、日本語で会話するのも2週間ぶりだった。これまで、半年余り旅を続けてきたが、日本人は絶えず、身の回りにいた。日本人と会わなかったのはマレー半年を北上するクアラルンプールからペナンを経て、バンコクに至るまでの10日間だけであった。それが、インドを南下するにつれ、日本人の数が減り、とうとう16日間も日本人に会わなかったのである。久しぶりに日本語を話し、母国語でコミュニケーションできることがこんなに嬉しいのかと感激した。
彼の旅程は、自分とは反対にシュリナガルに行ってから南下してきたという。それによると、シュリナガルは絶えず銃声が聞こえ、緊張状態にあったようだ。ただ、ゲストハウスの部屋は湖上にあり、部屋から釣糸を垂れ、日がな一日中釣りが出来たと、彼は熱っぽく語った。自分も一通り、辿ってきた道のりを簡単に伝えたが、彼はさして興味を持たなかった。彼は丁度、チェックアウトをして、出発するところで、「これからどこへ」という質問に、「ゴア」と素っ気なく答えて宿を出て行った。
そうか。彼もゴアを目指していたか。もしかしたら、彼とはまた会えるかもしれない、そう思った。
マークとともにチェックインし、案内された部屋は恐ろしく広いツインルームだった。ただ、光が射し込むことはなく、ただただ暗かった。
マークはザックを置くなり、出かける素振りをした。
「もう行くのかい」。
自分が尋ねると、彼は準備をしながら、「あぁ」とだけ言った。そして、ドアから出て行く間際に、振り返り、こう言った。
「今夜、映画でも観に行かないか」。
今度は自分が「あぁ」と言った。
にしても、サルベーションアーミーってなんか聞いたことあるなあ。洋画とかで見たのかなあ・・・。
宿泊施設としての認識はないから、やっぱ洋画の炊き出しシーンとかでの印象かなあ。いや、刑事コロンボで見たような気もする。
しかしさすが大都会、宗教系安宿泊所とかあるんだね。YMCAみたいなかんじかな。イギリス統治の名残っていう側面もあるんだろうね。
それにしても27ルピー、超格安だなあ。さすが宗教系。
日本人とのエピソード、ちょっと笑ったよ。自分のことは熱く語って人の話は聞かない奴、俺も結構会ったから、「あるある!」ってなったよ。やっぱ若さゆえかなあ・・・。
まあけど、俺も当時は十分以上にスカしてたし、もともと顔も怖いから、好感度はめっちゃ低かったと思うよ。
俺と師が初めて香港で会った時の、無駄なスカシ合戦を思い出したよ。(苦笑)
>声をかけてきたのは外国人バックパッカーだったのか。俺、インド人だと思ってたよ。
いや、インド人も外国人だし(笑)
サルベーションアーミーは、本家「深夜特急」で出てくるよ。沢木氏がカルカッタに着いたシーンで。だから、聞いたことがあるんじゃないかな。
スカシ合戦。懐かしいね。
しっかりお互いを意識しているというのが笑える。若さゆえだね。
インドは特に複雑だよね。
長く滞在している奴が一番偉いみたいな。今思えば、これってバックパッカーカーストだよね。
あー、絵に書いたような言い訳だな。(笑)
言われてみると、サルベーションアーミー、深夜特急にもあった気がするよ。でも、たしかにコロンボや洋画でも見た記憶があるんだよなあ。欧米ではYMCAとかと同じように一般的なのかな。
しかし、狭いバックパッカーの中にまで序列や差別があったりして、人間というのは本当に悪い意味での業な生物であるなあと思うよ。
サルベーションアーミー、洋画でも出てきたか。日本人には馴染みがないけど、キリスト教圏に行ったら当たり前なんだろうね。
若さ故、この当時、サルベーションアーミーについて、なんとも思わなかったかったけど。多分貴重な機会だったと思う。初めて、その名称を聞いたとき、軍隊の宿かと思って身構えたような気がする。
いやはやもう四半世紀の前のことなんだよね〜。